日本歴史地名大系 「駒場7遺跡」の解説
駒場7遺跡
こまばなないせき
静内川右岸の支流シンヌツ川に面した標高三〇メートル、南面向きの舌状台地の先端部にある。縄文時代早期の集落跡。昭和五〇年(一九七五)遺跡パトロールによって発見され、同五五年・同五六年の二ヵ年にわたり農地改良事業に伴い発掘調査が行われた。調査面積は六八〇〇平方メートル。縄文早期の住居跡二四軒、同中期の住居跡三軒、ほかにTピット一七五本・土坑四三基が確認され、遺物は土器・石器など約三万五千点が出土した。縄文早期の住居跡は不整円形ないし不整方形を呈する。平面規模は最大のPH-17が一一・一×一二・五メートル、最小のPH-10と25が二・五×二・五メートルで、径五―六メートル規模のものが多い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報