折衷様(読み)せっちゅうよう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

折衷様
せっちゅうよう

鎌倉時代末期頃生れた,和様を主とし大仏様禅宗様の手法を取入れた寺院建築の様式。構架法と装飾的細部に特色を示した。瀬戸内海沿岸地方に多く行われ,1420年代まで活発で複雑な様式展開を示す。最も早い例は和歌山県の松生院本堂 (1294建立,戦災で焼失) ,遅い例は兵庫県の朝光寺本堂 (1428頃) 。「観心寺様」の名で呼ばれることもあるが,大阪府の観心寺本堂 (1378) は必ずしも代表例とはいえないので,この名称は適切でない。

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大辞林 第三版の解説

せっちゅうよう【折衷様】

社寺建築の一様式。和様を基礎とし、新様式の唐様・天竺てんじく様の特徴を取り入れる。鎌倉末期から室町時代にかけて行われた。大阪府の観心寺本堂はその代表例。観心寺様。

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精選版 日本国語大辞典の解説

せっちゅう‐よう ‥ヤウ【折衷様】

〘名〙 日本建築様式の一つ。鎌倉時代に宋から伝来し東大寺に用いられた建築の様式である大仏様(天竺様)、同じ宋様式で禅宗建築に用いられた禅宗様(唐様)、従来の様式である和様を混合した様式。和様を基本とし、これに新様式を採り入れたもので、鎌倉時代末から室町時代前半まで盛んに行なわれた。観心寺様。

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世界大百科事典内の折衷様の言及

【唐様】より

…日本では施主も技術者も和様にみられる繊細で神経の行き届いた細部表現を好んだためであろう。この日本化された様式は,大仏様の貫や木鼻の応用と同様にしだいに和様建築にとり入れられ,明王院本堂(広島県福山市,1321)などにみるように,鎌倉時代末には折衷様と呼ばれる仏堂が造られるようになる。また禅宗寺院だけではなく,密教本堂や日蓮宗などのほか,海老虹梁や肘木と木鼻の形式などの装飾的要素は神社建築にも使われるようになった。…

【寺院建築】より

…しかし,鳳停寺極楽殿の頭貫(かしらぬき)木鼻を垂直に切った形式や,母屋(もや)桁下架構の発達などは,中国華北の遼時代建築細部を受容したものであり,また,肘木(ひじき)下端の繰形は12世紀ころに南宋から伝わった様式(日本でいう大仏様=天竺様)の影響と認められる。新羅以来の伝統様式の上に新しく中国の建築様式を採り入れて折衷様化を図り,日本の折衷様式と同じ経過をたどっている。この様式は斗栱の組み方から柱心包様式と呼ばれ,前記2例に続く例に修徳寺大雄殿(1308),江陵密舎門(14世紀),成仏寺極楽殿(1320ころ),浮石寺祖師堂(1377),道岬寺解脱門(1473),無為寺極楽殿(15世紀),松広寺国師殿(15世紀)などがある。…

【日本建築】より

…これらに対して,平安時代以来の様式を和様と呼ぶ。和様建築は天台・真言の寺院に引き続き用いられた最も一般的な様式であったが,大仏様・禅宗様の細部をとり入れ,鎌倉時代末には折衷様といわれる新しい様式を生んだ。鎌倉時代の遺構としては,東大寺南大門,浄土寺浄土堂(大仏様。…

【室町時代美術】より

… これに代わる新しい美術の展開の契機となったのは,禅宗とともに中国からもたらされた宋・元の美術様式である。建築では安楽寺八角三重塔(長野)にみられるような禅宗様(唐様)が宋風の異国調をただよわせ,伝統的な和様建築はこの禅宗様や大仏様(天竺様)をとり入れて,いわゆる折衷様を生みだした。彫刻では慶派,院派,円派が前代末から引き続いて活躍し,各地に多くの像を残している。…

【和様建築】より

…そして禅宗様建築に特徴的な貫(ぬき),木鼻(きばな)や桟唐戸(さんからと)などの応用が一部にとどまるものと,全体のプロポーションや組物にも禅宗様などの影響が強いものとがみられるようになる。前者を新和様,後者を折衷(せつちゆう)様と呼ぶことがある。また細部の特徴からみて平安時代以来の伝統的な要素を持っていても必ずしも和様とはいえないのは,禅宗様建築でも檜皮(ひわだ)葺きや柿(こけら)葺き,野屋根,板壁など日本で発達した技術を用いるようになるためである。…

※「折衷様」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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