日本歴史地名大系 「高倉庄」の解説 高倉庄たかくらのしよう 岡山県:津山市旧苫田郡地区上高倉村高倉庄「和名抄」苫東(とまひがし)郡高倉郷の郷名を継ぐものか。上高倉・下高倉東・下高倉西を遺称地とし、一帯に比定される。近江日吉社・比叡山延暦寺末常住(じようじゆう)院領としての立券庄号を示す文暦二年(一二三五)九月九日の官宣旨(美作古簡集)に記す四至は、東は綾部(あやべ)郷、南は高野(たかの)郷、西は苫田(とまた)郷、北は大佐々(おおざさ)郷とある。右の官宣旨によると高倉郷は美作守源兼康が由緒によって知行し、日吉社に寄進し前大僧正坊領となっていた。嘉禄二年(一二二六)井上新(いのうえしん)庄(現和歌山県那賀郡粉河町)の替地として常住院に渡され、摂政家の庇護を受けて同家の申請によって立券庄号に至った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報