高取八蔵(読み)たかとり・はちぞう

朝日日本歴史人物事典 「高取八蔵」の解説

高取八蔵

没年承応3.8(1654)
生年:生年不詳
江戸前期の高取焼開祖の朝鮮人渡来陶工。名は八山。諱は重貞。文禄1(1592)年,黒田長政の命を受けた後藤又兵衛の家人桐山常右衛門によって妻と1子と共に渡来した。慶長7(1602)年,高取八蔵の名を賜り,このころ高取焼最初の窯である永満寺宅間窯を開窯。同19年,内ケ磯窯を開窯。寛永初年,長政の死去に伴い,朝鮮への帰国を願い出て黒田忠之の勘気にふれ山田村に蟄居し,山田窯を開窯。寛永7(1630)年,帰参を許され白旗山窯を開窯。このころ,伏見小堀遠州のもとで茶器制作の指導を受ける。白旗山で没。次男新九郎が八蔵貞明を名乗り2代目を襲名した。

(伊藤嘉章)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高取八蔵」の解説

高取八蔵 たかとり-はちぞう

?-1654 朝鮮の陶工。
朝鮮名は八山。文禄(ぶんろく)元年黒田長政の家臣につれられて来日。慶長(けいちょう)5年以後,筑前(ちくぜん)(福岡県)の鷹取山麓の永満寺宅間で窯をひらき,高取焼をはじめる。のち内ケ磯窯,山田窯,白旗山窯をひらき,また京都で小堀遠州から茶器製作の指導をうけた。承応(じょうおう)3年8月18日死去。名は重貞。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高取八蔵の言及

【高取焼】より

…福岡県の陶器。開窯は,領主黒田長政あるいは加藤清正に従って渡来した朝鮮の陶工八山(日本名は高取八蔵)によるとされている。黒田家が筑前に入部するのは1600年(慶長5)であり,築窯はこの直後のことと推測されている。…

※「高取八蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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