日本歴史地名大系 「高向村」の解説 高向村たこうむら 大阪府:河内長野市高向村[現在地名]河内長野市高向・南花台(なんかだい)一―六丁目など上原(うわはら)村の南にある南北に細長い村。北部を石川が北東流し、長野(ながの)村より滝畑(たきのはた)村に向かう道が通る。「住吉大社神代記」に「高向」がみえる。元慶七年(八八三)九月一五日の観心寺勘録縁起資財帳(観心寺文書)によると、「高向村」には観心(かんしん)寺領高田(たかだ)庄の一部があった。のち山城安楽寿(あんらくじゆ)院領高向庄の地。金剛(こんごう)寺蔵「日経疏第三愚草」(本)の正平一一年(一三五六)二月二一日付奥書によると、同九年一〇月、金剛寺が後村上天皇の行在所となったとき、高向にも公家の宿舎が置かれた。 高向村たかぶくむら 三重県:度会郡御薗村高向村[現在地名]御薗村高向宮川の河口近く右岸にある。「和名抄」の高向郷の地であり、「神鳳鈔」にも高向郷がみえる。寛元五年(一二四七)三月八日付と考えられる戸田売券(光明寺古文書)に「わたらひのこほりたかふく(高向)のかう」とある。「杉の落葉」に「同町(山田大世古町)ノ森勘右衛門、吹上町ノ森左京ガ家共ニ高向ニ在テ、同シク森殿ト呼シナリ。今ニ於テ高向村ノ毛利社ハ吹上町ノ森氏ノ支配ナリ、(中略)高向ヲタカムクト云ヘトモ、越前国坂井郡ノ高向ト云フ地及ヒ日本記姓氏録等ニ出タル高向氏ハ、ミナタカムコト読ナリ」と記されている。「勢国見聞集」は「高福村 森地之料米三石五斗」と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報