日本歴史地名大系 「高堂新村」の解説 高堂新村たかどうしんむら 富山県:下新川郡入善町高堂新村[現在地名]入善町板屋(いたや)北は笹原新(ささはらしん)村、東は上飯野(かみいいの)村、南と西は板屋村。寛永一六年(一六三九)から万治三年(一六六〇)まで富山藩領、以後加賀藩領。明暦三年(一六五七)の草高は一〇石(入善町史)。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一〇石、免四ツ(三箇国高物成帳)。黒部川主流部の西遷で天保一〇年(一八三九)頃までは川の中洲となっていた。天和三年(一六八三)には川崩れで八石の引高、貞享元年(一六八四)には皆流れとなり、翌二年一石の出来高があり、村は存続した(天保一一年「高免帳」杉木家文書)。 高堂新村たかんどうしんむら 石川県:小松市旧能美郡地区高堂新村[現在地名]小松市高堂町(たかんどうまち)北・東・南の三方を高堂村に囲まれ、西は中江(なかえ)村(現根上町)。もとは高堂村の出村で、八反田(はつたんだ)村と称したという。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高二六四石、免三ツ九分(三箇国高物成帳)。明治初年の本籍九戸、人数男一五・女一四、物産に実綿・麻・菜種・繭・木綿がある(皇国地誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by