高塚新田(読み)たかつかしんでん

日本歴史地名大系 「高塚新田」の解説

高塚新田
たかつかしんでん

[現在地名]松戸市高塚新田

秋山あきやま村の南東に位置し、西は稲越いなこし(現市川市)、東は大野おおの(現同上)下総台地の南端部分にあたり、寛文―延宝期(一六六一―八一)に開発の進んだ下総台地畑地新田村の一つで、成立以後幕府領で幕末に至る(旧高旧領取調帳)。開発以前は小金こがね五牧の一、中野なかの牧のうちにあった。高塚の地名は当地に名馬生月の墳丘と伝える高塚があったことによるという。

「八柱誌」に引く石橋家旧蔵文書によると、国分こくぶん(現市川市)名主藤城長右衛門と同村組頭山田勘右衛門の願出により「伊奈左門支配下小金領高塚原」の開発が許可され、延宝三年には入植者の一人平右衛門に六町が一〇両で引渡されたという。このように入植者には有償で譲渡されたものと思われ、同四年に検地高入れされた。同年の検地帳(岡田家文書、以下断りのない限り同文書)によれば、反別は畑一七五町一反余・屋敷二町八反余、畑はすべて下畑で、名請人は八三名、屋敷は二五筆。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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