高守山(読み)たかもりやま

日本歴史地名大系 「高守山」の解説

高守山
たかもりやま

井尻の大平いじりのおおびら口と東母里の神宮寺ひがしもりのじんぐうじおよび守合しゆごうとにまたがる山で、標高約二七七メートル。戦国期この山に城が築かれており、吉左衛門覚書(石原家文書)に「一ツノ城ハ高守山ト云フ、此城ハ永禄元年戊午年立原備前守幸隆初テ築住セリ、又後ノ世ニ盛重モ此城ニ住セリトゾ」とある。永禄元年(一五五八)尼子晴久の在世中であり、立原氏は佐々木盛綱の後裔であった。また母里の宮廻家の古記帳に「高守城主立原備前守幸隆、小林太郎兵衛則延一所ニ居住、宇津木又六親久ハ小門口平之城ニ居住」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む