高峰村(読み)たかみねむら

日本歴史地名大系 「高峰村」の解説

高峰村
たかみねむら

[現在地名]飯豊町高峰

村の南に位置する。高嶺とも記した。天文二二年(一五五三)の晴宗公采地下賜録に手ノ子郷内として「西たかむねさいけ」とあり、遠藤上野守に加恩として与えられた。近世初期に手ノ子村より分村したと思われる。地内赤岩あかいわしら川より取水する赤岩堰は万治年中(一六五八―六一)開削で、添川そえがわ松原まつばら・手ノ子三ヵ村など白川右岸の田地を灌漑する。自普譜で開削にあたった添川村肝煎小松四郎兵衛が寛文年中(一六六一―七三)同村内で七〇〇石余を開田したのをはじめ、同堰の通水により手ノ子・松原両村でも二〇〇石余の新田が開発された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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