新屋敷(読み)シンヤシキ

デジタル大辞泉 「新屋敷」の意味・読み・例文・類語

しん‐やしき【新屋敷】

新しく開墾・造成した屋敷地
新築屋敷新家
分家新宅

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精選版 日本国語大辞典 「新屋敷」の意味・読み・例文・類語

しん‐やしき【新屋敷】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. 新たに開墾した屋敷地。〔ロドリゲス日本大文典(1604‐08)〕
      1. [初出の実例]「鶯になじみもなきや新屋敷〈芭蕉〉」(出典:俳諧・曠野(1689)二)
    2. 新築の屋敷。新家。
    3. 分家。新家。
      1. [初出の実例]「新屋敷の叔母がお祝ひに来た」(出典:牡丹雪(1930)〈嘉村礒多〉)
  2. [ 2 ] 江戸時代の大坂の私娼街。難波新地の北にあった。
    1. [初出の実例]「新屋敷是も右之卦に属して女郎は一段おとりたれとだんだんはなやかせ」(出典:洒落本・浪花色八卦(1757)檜扇卦)

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日本歴史地名大系 「新屋敷」の解説

新屋敷
しんやしき

[現在地名]水戸市新荘しんそう一―三丁目・末広すえひろ町一丁目・さかえ町一―二丁目

北は馬口労ばくろう町、東は馬口労町片ばくろうちようかた町、南は向井むかい町、西は常葉ときわ村に囲まれるほぼ正方形武家屋敷町。馬口労町と並行して北から梅小路うめのこうじ松小路まつのこうじ紅葉小路もみじのこうじ(楓小路)が東西に通じ、馬口労町片町と並行して東から常磐小路ときわのこうじ桜小路さくらのこうじ花小路はなのこうじ柳小路やなぎのこうじの七小路が南北に走る。

寛文六年(一六六六)常葉村のうち四町四方、石高九八石余が水戸藩付家老中山備前守の別荘地となり、その家臣の居住地となった。「水府地理温故録」は「馬口労町向井町の中間なる中山侯中屋敷」とし、「諸人呼んで新屋敷といふ」と記す。また「水府地名考」は「この地を中山家へ賜ハりし由来古老の伝説に嘗て中山に賜ふ所の別荘備前守信吉の時なるへし見和村にあり此所河和田見河入会の地にして其地最広し家士の徒を土着せしめて大概当地に住せしむ漸々原野を開発し過分の地面に成りしかは寛永十八年邦内検地の時請て縄打をせし田地五百六十余石あり其見河河和田両郷の地なるを以て両村の一字を取りて見和新田といふ信吉の孫備前守信治実ハ信吉の三男也か時此新田を公に献し府下近隣にて代地を賜らん事を願ひしかば彼村の中若干の地を賜ひて余は公納の地となし別に常葉村の内此所を代りに給ふ実に寛文六年なりしとそ」とある。


新屋敷
しんやしき

[現在地名]桑名市新屋敷

八幡はちまん町の南にある中級藩士の屋敷地。南は城下の外郭堀で、土堤がめぐっている。江戸時代の初期まで本願寺ほんがんじ村の地内であったが、寛永一二年(一六三五)城地拡張の際に藩士屋敷地となった。数条の区に分れ、東の通りを広小路ひろこうじあるいは桃林寺とうりんじ(古くは南北町)、西の通りを餌差えざし町あるいは西ノ町、また広小路より土堤に沿って東に入った所を袋町(古くは貝殻塚筋)、八幡町寄りの入口を手木長屋てこながや、広小路東裏を八軒はちけん町と称し、これらの小名の総称が新屋敷である。また「久波奈名所図会」では柳原やなぎはら・八幡町も新屋敷の小名としている。


新屋敷
しんやしき

[現在地名]小倉北区大手町おおてまち

むらさき川左岸にあり、堀の対岸はほん町・小道具こどうぐ町など。中間組屋敷が続く。「倉府俗話伝」に「新屋敷の地は沼なりしを小笠原公の御代となり、地形を築き上け町割出来候」とある。正保城絵図(国立公文書館内閣文庫)では足軽町とあり、新屋敷の北側は堤囲いのみで、埋立がなされていない。宝永元年(一七〇四)八月下旬、新屋敷などで床上四、五尺の浸水があった(「忠雄公年譜」県史資料六)


新屋敷
しんやしき

[現在地名]鶴岡市若葉町わかばまち家中新町かちゆうしんまち

裏鷹匠うらたかじよう町・御小姓おこしよう町の北にある郭外の家中屋敷地。北・西は新形にいがた村。新屋敷町ともいわれ、名称は酒井氏入部後ほどなく新たに立てられたことによる(大泉掌故)。延宝六年(一六七八)の城下絵図によれば、新形口木戸の西側から三の丸堀の北側へと鉤の手に広がり、三の丸堀端の東西に通る道に片町一五二間、その北側に並行する道には侍町一四六間とある。同年の御家中仮名付(鶏肋編)に新屋敷とみえ、御屋敷御番頭衆四五〇石北爪九蔵・御小姓組三〇〇石角田儀右衛門ら二八名の屋敷があった。


新屋敷
しんやしき

[現在地名]能代市檜山字新蟹しんかに

川原かわら町の東方、檜山川の河岸段丘へ登るように発達した足軽町。享保一三年(一七二八)の檜山一円御絵図(秋田県庁蔵)にはなく、天保二年(一八三一)檜山絵図(秋田県庁蔵)に「新屋敷、七六間」とある。享保の絵図の赤館あかだて町と町の間の足軽屋敷と川原町の足軽屋敷の半分が移住してできたと思われる。


新屋敷
しんやしき

[現在地名]加賀市大聖寺新屋敷町だいしようじしんやしきまち

五軒ごけん町の南に続く両側町で、町名は新たに開かれた武家屋敷に由来するという。天明六年(一七八六)大聖寺絵図では道の東側が田丸・高木ら士分の屋敷、西側は士分と足軽・徒士の屋敷となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の新屋敷の言及

【賀茂川∥鴨川】より

…これ以後河畔の町地化が進み,難波町,清水町などの九ヵ町(のち十ヵ町となる)が,西岸の四条~五条間に出現した。これらは新屋敷と呼ばれ,草分けの町として下古京巽組の新シ町として高瀬組を組織している(《久板家文書》ほか)。ちなみにこれらの町には,高瀬川によって運ばれる薪炭,材木を商う商家が多く含まれていた。…

【新地】より

…とくに江戸時代の都市の,17世紀後半以降の拡大再編過程で,河川の改修工事や海辺の埋立て,また土地の割替えなどの結果,新たに造成され居住地となった部分を,従来からある土地に対して新地という。新町,新屋敷も同様の意味で用いることが多い。大坂では17世紀末の元禄期に河村瑞賢により安治川の開削,堂島川,曾根崎川の浚渫(しゆんせつ)など大規模な河川改修工事が行われ,安治川新地9町,堂島新地11町,堀江新地24町などの新たな町が成立している。…

※「新屋敷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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