高島平三郎(読み)タカシマ ヘイザブロウ

20世紀日本人名事典 「高島平三郎」の解説

高島 平三郎
タカシマ ヘイザブロウ

明治〜昭和期の児童心理学者,体育学者



生年
慶応1年10月1日(1865年)

没年
昭和21(1946)年

出生地
江戸・西片町(文京区西片町)

経歴
広島県内の小学校教員から明治20年上京し、東京高師で教鞭をとった後、22年学習院教授、30年日本女子大教授をつとめ、35年日本体育会体操学校校長に就任。37年体操遊戯取調委員、他に立正高等女学校校長、立正大教授、東洋大教授を務めた。この間、雑誌「児童研究」顧問、東京右文館で編集長として教科書を編集。児童学研究の草分けで、明治後期に児童心理学に基づく教育を提唱。また、体育学の代表的な理論を樹立した。その他、師範学校用の内外教育史を執筆した。著書に「体育原理」「児童心理講話」、共著に「体操及遊戯法精義」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高島平三郎」の解説

高島平三郎 たかしま-へいざぶろう

1865-1946 明治-昭和時代前期の児童心理学者,教育者。
慶応元年10月1日生まれ。独学で児童学,心理学をおさめ,東京高師,学習院,日本女子大などでおしえる。児童心理学にもとづく家庭教育を提唱,雑誌「児童研究」顧問をつとめ,東京右文館で教科書を編集した。昭和21年2月15日死去。82歳。著作に「家庭に於ける児童教育」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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