最新 心理学事典「心理学」の解説
しんりがく
心理学
psychology
【近代心理学の成立と分化】 心理学の進展は,ブントWundt,W.が1879年ライプチヒ大学に大規模実験室を備えた心理学教室を開くことによって初めて公式の学問領域に市民権を得た。彼はその『生理学的心理学綱要Grundzüge der physiologischen Psychologie』(1873~74)に,本書は「新しい科学の領域を定める」ものと宣言しているが,その背景にはデカルトDescartes,R.により西欧思想の主潮となった理性論(合理主義)の教義である物心二元論が心理学の成立を後押しした事情がある。19世紀には学問領域の分化が目覚ましく,ミルMill,J.,コントComte,A.など多くの思想家が物心二元論に基づいてその区分と体系化を試みた。物の世界の基礎学が物理学とされたのに対し,心の世界のそれは心理学だった。心理学は実際の誕生以前にすでに人文諸科学の王座を約束されていた。
初期のブント心理学はフェヒナーFechner,G.T.の創始した精神物理学を体系化し,分析と総合という科学の一般的方法を適用して系統的観察と計測により意識の解明をめざすものだった。だから,意識主義(心理学)consciousness psychologyとも実験心理学ともよばれている。以降,心理学は意識の科学と定義されるようになった。この時代まで人の心の本体は意識にありと信じられていたので,語義と定義の間に矛盾はなかった。
ブント心理学は,感覚の計測(定量化)により意識の要素の究明をめざした。感覚が標的とされたのにはブントが生理学出身という理由もあるが,より大きいのは感覚主義の影響であろう。理性論は理性とそれによる高次知識は心の先験的所与とするのに対して,イギリス経験論は「心は白紙」と唱える。いきおい普遍妥当な知識の獲得を説明する理論が必要となり,認識論epistemology(知識学theory of knowledge,cognition theory)が成立する。これに応えたのは,要素的な経験や観念が連合して高次の知識を形成するという連合の原理であり,連合主義心理学を導いた。ここで反省その他の内的要因を認めずすべての認識の源泉は感覚のみに帰着すると説く極端な経験論を感覚主義(感覚論)sensationalism,sensualismとよび,経験論のヨーロッパ大陸への移入に伴いコンディヤックCondillac,E.B.deらによってさらに強化された。感覚研究は生理学から分化した新科学であるばかりでなく,認識論の中心課題を解くものでもあった。その意味で,ブントの新科学は大陸理性論とイギリス経験論との巧妙な融合でもあった。その心理学は世界的反響をよび,日本を含む各国からの留学生がブントのもとに集まり,大講堂での講義には人があふれたという。門下生によりブント心理学は世界に移植され,その後のアカデミックな心理学の正統を築いた。
しかし,意識主義の全盛も長くは続かず,やがて叛旗を掲げる新学派が20世紀初頭にこぞって登場してくる。主領域の感覚研究に対して,ゲシュタルト心理学Gestalt psychologyはブントの説く感覚研究には前提として要素主義,連合主義,感覚恒常性が仮定され,感覚はあたかも煉瓦細工に似ると批判した。ありのままの事物の姿こそ第1次の所与であり,そのまとまりのあり方であるゲシュタルトGestaltを作る先験的要因を規定し,それらを統合して最もよく分化した全体構造を生み出す力動的機制としてのプレグナンツの法則(簡潔性の法則)Gesetz der Prägnanzを説いた。ブント派による感覚の実験心理学もいくつかの成果を収めはしたが視野の狭さは争えず,ゲシュタルト学派の主張に席を譲り感覚はむしろ生理学の主題となっていった。外界の認識については,要素的な感覚よりも全体論的な「知覚」という用語が採用され心理学の主力分野に成長していく。この経過は経験論から理性論への回帰を示している。論理哲学者のウィトゲンシュタインWittgenstein,L.(1933)は,認識論は哲学よりも心理学の精練すべき課題だったと指摘しているが,前述の経過はそれを裏づける。
ゲシュタルト心理学の興隆は,認識研究というそれまでの正統における主権交代にすぎないといえるが,その他の学派の主張は心理学の正統そのものを揺るがした。フロイトFreud,S.による精神分析psychoanalysisは,心の世界を意識を超える無意識にまで拡張し,むしろ無意識こそ心の本体と主張する。意識主義の心理学は根底から覆された。
新大陸アメリカでも,パブロフPavlov,I.P.の条件反射学に触発されてワトソンWatson,J.B.が唱導した行動主義behaviorismが起こり,意識や心という内在的・主観的存在は科学的研究の対象ではない,心理学も自然科学と同様に間主観的に観察可能な刺激と行動のみに対象を制限すべきだと主張した。心の研究という心理学の語義は行動主義では無効になり,「心なき心理学」とよばれた。行動主義はまた,学習という研究分野の興隆を導いた。以降,心理学そのものの定義も大きく変わることを免れない。内外問わず現行心理学辞典の多くは,心的体験と行動の研究,または端的に行動の科学と定義している。これに伴い,心理経済学とよばれてもよい領域が行動経済学とされるなど用語の交代が行なわれてきた。
【ヘルムホルツ学派と近代心理学】 新しい諸学派の登場は心理学の分裂のように見えるが,実は一つの共通項でくくられてもいた。19世紀中葉のベルリン大学にはヘルムホルツHelmholtz,H.L.をはじめデュ・ボア・レイモンDu Bois-Reymond,E.H.,ブリュッケBrücke,E.,ルドウィッヒLudwig,K.の4人の生理学者が集まり,強固なサークルを作っていた。ヘルムホルツは物理学者としても盛名が高く,明るさの対比効果について無意識の推理という心理学的原理を唱えるなど当代のエンサイクロペディストだった。彼はすべての自然現象は物理的エネルギーの変化の過程や産物として説明できると信じていた。この時代,生命現象は単なる物質的作用としては説明できずそれ以上の神秘な生命力を仮定しなければならないとする生気論vitalismはなお有力な地位を保っていた。生命現象も他の自然現象と同様な力学的変化として説明できると信じるヘルムホルツ学派にとって,生気論は最大の標的であった。19世紀後半には,ヘルムホルツ派の主張はドイツの医学や生理学を支配するに至った。
近代心理学を築いた人びとは,皆ヘルムホルツ派の教義のもとに青年期を過ごしている。ブントはデュ・ボア・レイモンに学びヘルムホルツの助手を務めた。パブロフはルドウィッヒに学んだ。フロイトもブリュッケの門下生としてその教室の助手に任じられた。力学的自然観が生命の領域を支配下に収めるならば,やがて心の領域にも及んでいくのは必然だった。
ブント,フロイト,パブロフに共通するのは,先進自然科学に倣う精神の科学の創設であり,従来の観念的な心理学とは一線を画する姿勢である。その自負と意欲はブントの宣言によく現われている。しかし,力学的自然観の受け取り方は三者三様だった。ブントは観察と計測による実証的方法を重視し感覚という対象に適用した。フロイトの初期の体系は生理学的概念や法則に依拠しようとする努力が目立ち,たとえばリビドーlibidoもホルモン様物質の発見に触発されたものという。彼はしだいに独自の心理学的概念を作り上げていくが,エネルギー保存の原則は変わらずに保持されている。パブロフは心の独自性を認めず大脳両半球の機能解明で足りるとしていたが,これはワトソンに文字どおり受け継がれた。これらの経緯は,心および科学をどのように解釈するかによってその心理学の性格は大きく変わることを示し,後の展開を予告する。
【心理学諸領域の展開】 近代心理学における心の概念は多様であったが,科学主義と実証的方法は広く浸透した。以後,心理学にふさわしい手法の整備が大きな課題となり,また周辺諸科学の動向が直ちに影響を与える傾向が強まった。その反動として,人間的事象の歴史性・一回性・独自性・個体性を強調し心理学の自然科学化に反対する主張もディルタイDilthey,W.やシュプランガーSpranger,E.の了解心理学Verstehende Psychologieなどとなって展開された。この対立は現在も解消されず,了解的手法は臨床やそれに類比される領域に広まっていった。他方,心の中心は意識と理性にありとする意識主義の公理が覆されたことにより,心理学の対象は大きく広がり新しい主張と領域の開拓とが並行して進んだ。とくに旧大陸の心理学思想が新大陸アメリカという異なる文化的風土に移植されることにより,異質な発想に生まれ変わり新奇な探究を促進することの寄与が大きかった。主な動向を次に挙げる。
1.力動心理学とパーソナリティ研究 イギリス人ティチェナーTitchener,E.B.によりアメリカに移植されたブント心理学はいっそう強固な構成主義へ進展したが,アメリカ心理学の祖といわれるジェームズJames,W.は「意識は流れ」と説き,ブントの構成観と対立する見地を示した。この流れは,意識の構成よりはその機能を主題とするデューイDewey,J.らの機能主義へと展開し,行動主義と並ぶアメリカ心理学の流派となった。構成主義と機能主義の会同は,ウッドワースWoodworth,R.S.(1918)による力動心理学の主張を生んだ。彼は,旧来の実験心理学を「いかにhow」の心理学とよび,それに対して「なぜ,何のためにwhy,for what」の解明をめざす心理学体系を力動心理学(動的心理学)dynamic psychologyと名づけた。前者が心の構成の機制を主問題とするのに対して,後者は行為の動機や目的解明をめざすとする。この主張においては心理学の基本原理は分割され,異なる体系化による研究領域の開拓が示唆された。
実際それまでのヨーロッパ性格学の主流は遺伝的な体質・気質を強調し,これに呼応するようにヨーロッパ精神分析学も深層心理学Tiefen Psychologieとよばれて動機論よりも無意識の構造論に関心を寄せる。しかし,精神分析もまたアメリカでは無意識論よりは徹底した動機論として受け入れられ,これに社会的相互作用の重視論も付け加わる。力動心理学はアメリカでは精神分析の別称ともなった。これらを契機にして,アメリカ心理学ではパーソナリティ研究personality studyという新領域が大きく開けていった。当初オルポートAllport,G.W.の折衷主義が主流をなし,特性論に基づく質問紙法が発展し多種多様なパーソナリティ・テストが生み出された。また1950年代のアドルノAdorno,T.W.,ブルンスビクBrunswik,E.らによる権威主義的パーソナリティauthoritarian personalityの研究は,社会学・社会心理学・精神分析・認知心理学などの会同と総合によるこの分野での記念碑的業績を示している。その後はむしろ社会的環境を重視する状況主義が唱えられ,アメリカ独自のパーソナリティ理論が成熟していく。
2.知性観と知能テスト ヨーロッパ心理学の伝統の一つに能力心理学faculty psychologyがある。心のもつ能力(権能)を系統的に分類整理しようとする思弁的心理学を指し,さまざまな試みの末19世紀初めころには知情意三分説に落ち着いたが,知性は理性論の伝統によって最上位に位置づけられ,知性の研究は心理学の主目標となった。この要請に応えて史上最初の科学的知能テストを作ったのは,ダーウィンDarwin,C.の従兄弟で優生学の提唱をはじめ社会学・心理学・統計学など多彩な業績を残したゴールトンGalton,F.であった。彼は,当時失語症の病巣発見から脳の機能解明へと進んだ脳科学とイギリス伝統の感覚主義の二つの理論的支柱によって,演繹的にテストを構成しようと試みた。ゴールトンは進化論や遺伝に関心をもち優生学に見るように人種や個人間序列の絶対性を信じていたから,彼のテストが格差実証のため使われるのは自然の勢いだった。知能の人種間格差の問題はすでにここに兆している。しかし,ゴールトンテストは成功せず,反対に年齢に相応する問題解決能力という通念に沿う資料収集を行なう帰納的方法によって,最初の実用的テスト開発に成功したのはフランスのビネーBinet,A.とシモンSimon,T.だった。彼らはパリ市当局の依頼であらかじめ遅進児を選別できるテストを作ろうとした。ここから見てわかるように,ビネーテストの本質は発達の水準を測る発達尺度であった。ビネー-シモン尺度Binet-Simon scaleは遅進児判別に奏効し世界に広まったが,その後の発展はむしろアメリカのターマンTerman,L.M.の努力によるところが大きく,元来のビネー版よりもターマンのスタンフォード-ビネー尺度Stanford-Binet intelligence scaleが代わって世界に普及した。ターマンと門下生の業績のうち特筆されるのはカリフォルニアの英才児giftedの追跡研究である。彼らはIQ140以上の優秀児がどのように成長するかを追跡し成人期に達しても,IQの水準は不変,身体的にも情動的にも安定,大学卒業率など学業や職業地位・収入などにも優れ,社会的成功度が高いという包括的結果を見いだした。IQテストは本来発達検査のはずであるが,以降IQこそは成功の第1指標とするIQ神話が生じ今も社会通念になっている。これに触発されてIQに関する膨大な資料が蓄積され心理学の共通財産を作った。しかし,カリフォルニアの英才児からは一人も傑出した才能は出なかったのに対し,皮肉なことにIQが140に届かず英才児の選に漏れた子どもの中からノーベル賞受賞者が二人も出現した。知性のすべてをただ一つの数値で表わすのは序列化願望の所産であり,もともと無理な企てだった。ギルフォードGuilford,J.P.らによる創造性の研究が起こり,またこの20~30年来はガードナーGardner,H.の多重知能理論をはじめとする知能のパラダイム変革の動きが著しい。知能研究の大きな副産物として相関をはじめとする統計数理的概念の発展を促し,因子分析のような優れた多変量解析の技法が生み出された。因子分析は今や他の学問領域でも多用されるに至っている。
3.児童研究から発達心理学へ 意識主義のもとでは,児童は精神障害・未開社会人・動物などと並んで十分な意識体験をもたないから心理学の対象にはならないとみなされていた。しかし,女性解放運動家ケイKey,E.が『児童の世紀』で説いたように,20世紀に入ると西欧社会ではそれまで男性の家父長的権力のもとに女性と並んで抑圧されてきた児童の権利擁護を唱える運動が急速に力を得た。この動きはアメリカではホールHall,G.S.の質問紙調査による児童研究として結実し,やがて児童研究運動child study movementという実践的活動と児童心理学建設という理論的活動の二つの流れに分岐していった。ホールは,ダーウィンの発想をヘッケルHaeckel,E.H.が定式化した個体発生は系統発生を繰り返すという反復発生説recapitulationismを柱として,それまでの心理学諸学派とは異質の原理に立つ児童心理学child psychologyを創始した。意識主義とは無縁なアメリカの文化的風土のもとに,児童心理学という新しい領域が初めて生まれた。しかし,アメリカの児童心理学は児童研究運動の双生児として誕生した由来をもち,ワトソンのいう孤児を思いのままに育てられるとする環境万能論の行動主義に抗して,児童の内的権利――その自律性を守ろうとする気風が強い。ゲゼルGesell,A.L.をはじめとするアメリカ児童心理学は,生得の発達機制としての成熟maturationを重視する成熟説を唱え環境-学習要因はとくに初期発達においては無効と主張してきた。行動主義全盛時代のアメリカ心理学界では異端の一王国の趣があったが,第2次大戦後ユネスコの生涯学習の提唱に伴い,ピアジェPiaget,J.,ビゴツキーVygotsky,L.S.らによる認知発達研究が導入され,ブルーナーBruner,J.S.やハントHunt,J.McV.らも加わり認知発達は一躍花形研究分野に飛躍した。ピアジェ説は発生的認識論épistémologie génétiqueとよばれているようにヨーロッパ思想の伝統をなす認識論を発生(発達)という視点から解こうと試みる。ビゴツキーはまた,マルクス主義に基づく社会・文化・歴史的発達観という発想による独自な探究方式を示した。こうして認知発達や生涯発達が問題となりまた発達研究の方法論としての役割が確認されるとともに,児童心理学も変貌し発達心理学developmental psychologyという名称に置き換えられていく。一方,アメリカでは児童研究運動はまたその理論的領域として教育心理学へと発展した。
4.社会心理学の展開 心理学は個人中心の視点や探求が主力をなしてきたが,人間が社会的存在であることはすでにギリシア時代から指摘されてきた。その流れの上にフランス革命の民衆蜂起を契機にして集団行動は個人と異なる原理によるのかという問題が生まれ,ル・ボンLe Bon,G.による『群集心理学Psychologie des foules』(1895)が提起された。群集心理とは被暗示性や情動の亢進,匿名性と無責任などの非理性的特性が強いと説かれた。フロイトはこれに対し,群集はエロスの発現による社会的再結合体の側面をもつとして集団心理の積極性を擁護した。ここには当時のヨーロッパ社会が階級対立の激化に脅かされていた背景がうかがえる。同時期のフランス社会学者デュルケムDurkheim,E.は社会的・集合的存在の個人に対する独自性―外在性と拘束力―を唱え大きな影響を与えたが,このような動きは合体して社会心理学という新領域の開拓を促した。1908年たまたま期を同じくしてアメリカの社会学者ロスRoss,E.A.とイギリスの心理学者マクドゥガルMcDougall,W.がともに「social psychology」(社会心理学)を表題に冠する著書を発表した。マクドゥガルの社会心理学は社会的本能を強調し,また永続的・組織的集団に存在する超個人的な集団心group mindの概念を提起し,先の問題意識を継承している。しかし,こうしてヨーロッパで生まれた問題意識は,フロンティアの国アメリカでの社会的相互交渉重視の文化と出会うことにより本格的に開花し,社会心理学の領域が確立された。初期には同調行動など当初の問題検証が試みられていたがしだいに研究範囲は拡張され,とくに1932年ナチスに追われ渡米したレビンLewin,K.は,ゲシュタルト派の発想に立って場理論と力学観を導入して集団力学group dynamicsを提唱した。レビン派はアクションリサーチや参加観察による巧みな実証的手法をもたらすなどアメリカ社会心理学の発展に大きな功績を残した。
【近接領域との相互交流】 心理学は人間性にかかわるすべての学問領域と関連するため,近接諸領域における進展や変動に直ちに影響を受け,また逆の影響も及ぼす。連合主義は条件反射学と結びついて,「学習」という分野が生まれた。また,実験心理学はもともと生理学から派生したから生理心理学の発展は半ば必然であり,現在の脳科学にも連なっている。精神分析は精神医学にも浸透し,力動精神医学が起こったなど,歴史的な背景は上述した。近年の大きな相互交流には次が挙げられよう。
1.文化人類学 アメリカの文化人類学者ミードMead,M.は『三つの未開社会における性と気質Sex and temperament in three primitive societies』(1936)において,西欧社会とは反対の性役割をもつ文化の存在を報告し大きな衝撃を起こした。ミードの報告には伝聞と誇張が多く必ずしも真実ではないと批判されたが,性差は不変かつ普遍とする伝統的観念に動揺を与え,やがてフェミニズムの波に伴いジェンダー心理学を開く契機になった。
2.遺伝学 1953年のワトソン-クリックモデルの提唱により,遺伝子の構造が解明され遺伝学は飛躍的な進歩を遂げた。発達心理学は生物系科学の基本問題の一つとして早くから「遺伝と環境」の関係に関心が深かったが,遺伝学の発展は大きな刺激になり従来の血縁法を改良して大規模なサンプルの収集と数理統計的解析を主眼とする行動遺伝学behavior(behavioral)geneticsが発展し,それまで環境として一括してきた概念は少なくとも共有・非共有環境の二つに区分されるなどの新知見を見いだしている。
3.比較行動学 古くから動物への関心は深くさまざまな研究が行なわれてきたが,心理学的研究としては19世紀末にすでにソーンダイクThorndike,E.L.はネコによる問題箱実験の結果から動物には見通し能力はなくその学習は試行錯誤trial and errorにすぎないとした。ゲシュタルト学派のケーラーKo¨hler,W.は,これに対し動物も系統発生の序列に応じてそれなりの洞察insightをもち,チンパンジーは道具を使いこなすだけではなく簡単な道具製作も可能なことを示した。デカルトの動物機械論に見る人間以外は知性をもたないという西欧的動物観は疑われ,比較研究の必要性が示唆された。この要請は,ローレンツLorenz,K.Z.やティンバーゲンTinbergen,N.らが主導し,形態進化とは次元の異なる行動の系統発生の研究をめざす比較行動学comparative ethologyによって満たされた。比較行動学は刷り込みという現象を発見して発達心理学に大きな影響を与え,ボウルビーBowlby,J.による愛着概念とその研究を促した。刷り込みに伴う臨界期の知見も発達期の概念に変革をもたらした。さらに,比較行動学は霊長類学や認知考古学などの進展と相まって進化心理学という新しい領域を開く貢献をも果たした。
4.言語学 言語は思考との関連で早くから心理学の対象になっていたが,ドイツの民族学者フンボルトHumboldt,K.W.に由来する言語相対性の仮説はアメリカの人類学者サピアSapir,E.とウォ―フWhorf,B.L.のアメリカ先住民言語研究に基づく裏づけを得て,思考と認知の研究に影響を与えた。ピアジェの自己中心語説はビゴツキーの外言-内言移行説による批判を受け,この論争を契機に言語と思考との関連に改めて注目を集めた。これら諸説は言語心理学の興隆を促した。しかし,チョムスキーChomsky,N.は,スキナーSkinner,B.F.の条件づけ言語理論に代表されるアメリカ的経験論-行動主義の全盛を批判し,理性論の復活をめざして言語は理性論的心理学の前線を開くとする構想を生成文法generative grammarに結晶し,『文法の構造Syntactic structure』(1957)を著わした。以後言語論の隆盛につれて,言語心理学などの名称は衰え心理言語学,社会言語学,神経言語学などへの衣替えが行なわれた。また,ブントは後期には記憶以上の高次精神過程は実験的方法の対象にはならず言語・民族学的資料の分析が唯一の方法としたが,この発想は文化心理学を展開させる遠因になった。
5.情報科学 言語論の転回が契機となり,コンピュータの飛躍的進歩とそれを支える情報科学の急速な発展によってアメリカでは行動主義から認知主義への主権交代が行なわれたといわれる。心理学でも従来の記憶や思考など単一機能とみなされてきた諸領域が認知論の視点のもとに統合され,認知心理学cognitive psychologyが隆盛となった。認知心理学的研究は他領域にもさまざまな影響を及ぼした。顕著な例は経済学にある。経済学は人は最大限の利得を求めて合理的に振るまう(経済人)という仮定に立っている。しかし,カーネマンKahneman,K.とツベルスキーTversky,A.は人間の判断が合理的とはいえない根拠に基づく多くの事例を提示した。こうして,意思決定における非合理的・情動的要因を考慮に入れた経済学の新しい体系化が試みられ行動経済学behavior(behavioral)economicsとよばれている。前述の行動遺伝学や行動療法などの名称と考え合わせると,アメリカでは行動主義は,なお根強い底流をなしていることが知られる。
【心理学の研究分野】 前述したように,心理学の研究領域はヨーロッパとアメリカ両文化の異種交配また近接領域との交流によっていわば雑種強勢的に変容と新分野開拓を繰り返し発展してきた。今後ともこの情勢は続くと予想されるから,心理学の研究領域は他の学問分科より流動性が高いと考えられる。ちなみに本事典の第1版(1957)の「心理学」の項目では,1.知覚,2.記憶,3.思考,4.感情,5.意志,6.人格,7.発達心理学,8.動物心理学,9.民族心理学,10.社会心理学,11.臨床心理学,12.教育心理学,13.産業心理学の13分野が挙げられている。第2版(1981)の「心理学」の項目では,1.知覚・感覚心理学,2.記憶心理学,3.思考心理学,4.感情心理学,5.欲求・意志心理学,6.学習心理学がまず挙げられ,その他として動物心理学,児童・青年・老年心理学,文化発達の心理学,異常心理学,差異心理学(知能,性格),社会心理学,また児童心理学を中心に動物,未開などを合わせると発達心理学,さらに以上の理論的領域に対する応用的領域として教育心理学,臨床心理学,産業・経営心理学,犯罪・司法心理学が数えられている。学習心理学の急速な発展,臨床心理学,犯罪・司法心理学などの市民権の承認と,約4半世紀の間にかなりの変化がうかがえる。むろん分野名は領域の分類法や次元に従って変動するから,建築心理学という講座の置かれている大学もあったりする。新登場といっても,多くはマイナーとみなされていた分野の発展確認にすぎない。しかし,それなりの安定と進展の両側面が知られる。
本事典は約30年ぶりの新版になるが,立項の分野分けとして理論,方法を別に,おおむね生理心理学,知覚,学習,言語,認知,感情,性格,臨床,社会,教育,発達,法心理学,産業心理学,進化心理学の14を区分している。同様な安定と進展の様相が見られる。ただし,これらすべてを同列と見てはならない。性格(パーソナリティ)分野が前述したように力動心理学の代表領野とするなら,それは実験心理学とは異なる体系化原理の本拠となる。たとえば「対人知覚」や「認知スタイル」などの研究には,同じ用語を使っても正統の知覚や認知研究とは異なる目標と手法が取られている。知覚,学習,認知,言語,生理などはhowの心理学の色彩が濃くその他はむしろwhyの心理学に属するが,これらの間には微妙な交差分類が生じている。藤永保(1982)は,発達心理学も,実験心理学や力動心理学とは異質の体系化原理を含み,他分野と同列というよりはメタ分野に近いことを指摘した。知覚の発達,学習の発達その他の暗黙の交差分類が容易に生じることに同様に注意しなければならない。
【現代心理学の課題】 近年の心理学はきわめて急速な発展を遂げたために,そこに潜む問題点は見逃されがちである。たとえば,心理学は統一科学かがしばしば問われる。これに対し科学革命の提唱者クーンKuhn,T.S.(1962)は,心理学は統一的なパラダイムをもっていないのでいまだに科学の前段階としている。近代心理学の成立と分化の節で述べたように,それらはそれぞれ心についての特定視点を選び取ることによって成立した。同様な過程はその後も引き続いている。心理学諸分野は定義的属性に立って統合されているのではなく,ウィトゲンシュタイン(1953)の言う家族的類似性に基づいて同種領域とみなされているとするのがより適切である。ブントの自負に見るようにアカデミックな心理学は生理学の自然科学化の道を追随したから,人文・社会科学の中では最も早く実験と計測などの実証的手法を取り入れ,因子分析など独自の数理的解析法を編み出すなどによって新しい成功を収めてきた。しかしそうした成功にもかかわらず,実証的手法が十分に適用しうる分野は限られ,実験研究の生態学的妥当性も問われている。了解心理学に始まり,人間性心理学,現象学,社会的構成主義など心理学の自然科学化に反対する学派も数多い。物理学など先進諸科学とは異なり心理学の対象は複雑多岐にわたるから,同様な統一的パラダイムを求めるのは困難である。その意味では西周の初めの命名「性理学」が示唆するように,心理学を意識と行動の科学と妥協的に定義するよりも,主として個体中心の視点から多様な方法により人間性の諸側面の多角的な解明と統合的理解をめざす研究領域の総称とするのが実情に近い。
心理学の外見が統一的に見えることには,もう一つの隠れた要因がある。アメリカは心理学社会とよばれるように,その心理学は質量ともに世界の圧倒的優位を占めている。イギリスの心理学者アイゼンクEysennck,W.M.(2000)は,アメリカの大学生の平均的結果があたかも一般法則のごとくに通用していると批判した。アメリカ的基準が基軸価値と化し統一的外見を作る反面,その含む偏りや狭さも見逃しえない。より高い普遍性を求める努力は当然のことだが,現代心理学の発展経緯に見たように新旧両大陸の異なる文化的価値の交流が新分野の開花を促した歴史を忘れてはならない。メスメリズム(動物磁気)と同一の思想は中国の禅宗にも認められるという。心理療法の起源はインドのヨガにあり,東西に広まった可能性がある。現行心理学が今まで無視してきた異種文化との交流を果たしその価値を取り入れることによって,より豊かな普遍性の獲得が期待される。最近,個人主義対集団主義,幸福感などについて,アメリカの研究者による大規模な比較文化的調査研究がいくつか行なわれたのはその第一歩となり得る。
近接領域との交流が発展の原動力となった事例を考えると,現在脳科学の進展が目覚ましいことは注目を引く。分離脳や盲視の知見から意識はできないのに見ることはできるといった従来の意識観からは理解できない現象が見いだされ,意識consciousnessとは何かが改めて問われている。20世紀がフロイトによる無意識発見の世紀だったとすれば,21世紀は意識の再発見の時代といえよう。意識の階層性とその機能の解明が望まれ,それにより心の概念にも変革が生じ,ひいては心理学の再体系化が課題となろう。 →意識 →学習 →機能主義 →言語心理学 →社会心理学 →人格 →進化心理学 →心理学史 →精神分析 →知覚 →知能 →認知心理学 →能力心理学 →発達心理学 →比較行動学 →力動心理学
〔藤永 保〕
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