翻訳|psychology
②は米国人ヘブンの著書「mental philosophy」を西周が「心理学」と訳したのが最初。同書に「メンタルフヰロソフヰー、爰に心理上の哲学と翻し、約めて、心理学と訳す」とある。西周は psychology を「性理学」、mental philosopy を「心理学」と区別して訳したが、明治一〇年以降、混用され、双方を「心理学」というようになった。
英語のサイコロジーということばは、ギリシア語のプシュケーpsukhe(心)とロゴスlogos(学)とが一つになってできたもので、心の学問という意味である。すでにアリストテレスは『プシュケーについて』(ラテン語で『デ・アニマ』De Anima)という著書を残しているが、「サイコロジー」という名称が用いられたのは、アメリカの心理学者ボーリングによれば、マルコ・マルリックMarko Marulić(1450―1524)という人の16世紀初めごろの著書が、今日知られている最初のものであるという。日本語の「心理学」ということばは明治初期につくられたもので、1873年(明治6)開成学校(東京大学の前身)のカリキュラムのなかに、この名称が用いられている。75年にはヘブンJ. Haven(1816―74)の著書が『心理学』という名で西周(あまね)によって翻訳され、文部省から刊行された。
[萩野源一]
心とは何かということについての関心は、おそらく人類の歴史とともに古いものであろう。古代においては、心は身体とは別個の存在として考えられていた。心の問題が組織的な学問の形をとるに至ったのはギリシア哲学においてであるが、前述のアリストテレスは、当時一般的であった心身二元論をとらず、心を身体活動の本源としてとらえている。しかし、霊魂の救済を説いた中世のキリスト教神学においては、依然として二元論的な考え方が優勢であった。
近世哲学の祖といわれるデカルトは、心と物質とをそれぞれ独立の実体であると考え、物の属性は延長(大きさ)であり、心の属性は思考(意識)であるとみた。直接経験による内観心理学への途(みち)を開いたともいえるし、一方、身体を自動機械にすぎないと考えた点では機械的行動心理学の先駆であった。さらに、心と身体とが間脳の松果体において接触すると考えたが、これは今日の生理心理学的説明の萌芽(ほうが)であったとみることもできよう。しかしこのような思想は、いずれも形而上(けいじじょう)学的な「魂の心理学」であって、現在の科学的心理学とはほど遠い。
一方、ケプラー、ガリレイ、ニュートンなどによって経験的事実を統一的に説明しようとする自然科学が発達するにつれて、哲学界にも経験を重視する傾向が現れ17、18世紀にかけてイギリスにおいて経験論哲学がおこった。ロックは、子供の心はもともと白紙のようなもので、生後の経験によって、さまざまな観念が形成され、また観念の連合が生じると考えたが、この主張はバークリー、ヒューム、ハートレーなどに引き継がれ「観念連合の法則」は発展した。さらにこれを連合主義心理学として大成したのはJ・ミル、J・S・ミル父子、ベインA. Bain(1818―1903)であり、スペンサーはさらにそれに進化論をも取り入れた。この段階における心理学は、すでに実体としての心を論じる形而上学ではなく、意識としての心を考察する「魂のない心理学」であった。
一方、ドイツの心理学は17世紀にライプニッツに始まるといわれるが、理性論的であって、その弟子ウォルフは、心は認識能力と欲求能力とをもつ実体であるとし、それは能力心理学といわれる。その流れを受けたテーテンスJ. N. Tetens(1736―1807)は、心的活動を知・情・意の三つに分け、この三分法はいまでも常識的には一般に受け入れられている。19世紀初頭におけるヘルバルトの心理学もやはり形而上学的ではあるが、経験科学として観察的方法を取り入れ、数学を適用して表象に関する力学説を唱えた。しかし、それには基礎となる測定を伴っていなかった。
[萩野源一]
心理学はこのように哲学のなかで洗練されてきたが、その方法はあくまでも思弁によって心の働きを説明するもので、つまるところ「ひじかけ椅子(いす)の心理学」といわれるものである。これに対して科学的、実験的に心の諸相を研究しようとする動きが生じた。それは哲学に根ざすものではなくて、自然科学を背景とし、直接的には19世紀初頭から急速に進歩した神経生理学や感覚生理学の影響によるところが大きい。
たとえば、ドイツの生理学者ウェーバーは、重さの違いが弁別できる最小可知差異の変化が、もとの重さの変化との間に一定の比率(ウェーバー比)を保つことを発見した。さらにこのことは他の感覚においても認められた。彼の研究はフェヒナーによって発展させられ、感覚量は刺激量の対数に比例するという、いわゆるフェヒナーの法則として定式化された。彼は自分の研究を精神物理学という新しい学問の創設であるとしたが、内容は後の実験心理学の問題となり、その実験法は精神物理学的測定法として精密化され、現在でも用いられている。一方ヘルムホルツやヘリングなどによっても、聴覚や視覚に関する重要な実験的研究が行われたが、これらもまた心理学の問題であった。
[萩野源一]
しかし心理学者とよぶことのできる最初の人物はブントである。彼は初めヘルムホルツのもとで感覚生理学の研究を行っていたが、1879年に世界最初の心理学実験室をライプツィヒ大学に開設して、心理学を独立した実験科学として公認させた。彼は心理学の対象を直接経験(意識)であるとした。実験室における種々の統制された条件下において、自己の意識(直接経験)を観察するという心理学独自の実験的自己観察(内観)によって、意識を構成する要素をみいだし、さらにそれがどのようにして具体的な意識へ統合されるかを研究するのが彼の実験心理学であった。その要素として、彼は感覚と単純感情とをあげ、それらの要素は統覚または連合によって結合するとした。ちょうど化学において物質を分子や原子に分解し、再構成することによって自然を理解しようとするのに似ている。これをもっとも忠実に引き継いだのがティチナーであり、構成主義心理学といわれる。こうして「ひじかけ椅子の心理学」は「鉄と真鍮(しんちゅう)の心理学」となった。鉄や真鍮でつくった器械を用いて実験を行うようになったからである。一方ブントは、この実験心理学とは別に、高等精神作用を民族学的資料に基づいて研究する民族心理学を創始したが、その流れは今日の文化人類学に受け継がれている。ブントの実験は主として生理学的方法に基づいていたが、エビングハウスは、記憶の研究において心理学独自の実験法を考案した記念すべき人である。
[萩野源一]
ブントの心理学は当時の主流であったが、そのほか多くの学説が急速に現れ始め、現代までそれらの影響は残っている。ブレンターノは、心理学は見たり聞いたりする心的作用そのものを対象とするものであって、その作用の対象とは区別すべきであるとした。これを作用心理学という。この系統にシュトゥンプ、さらにオーストリア学派といわれるマイノングやエーレンフェルスC. v. Ehrenfels(1859―1932)など表象産出説や、さらに形態質を唱えた人たちがいる。またブントの弟子であったが、独自の方法で思考の実験的研究を行ったキュルペおよびその門下たちのウュルツブルク学派などがある。
同じころアメリカにおいて、意識を分析的に研究するブントの心理学に反対し、意識の流れそのものが心的実在であって、それを生物学的機能としてとらえるジェームズの心理学が出現した。これはデューイ、エンジェルJ. W. Angell(1869―1949)などに引き継がれて、機能主義心理学となった。しかしこの系統から1910年代に、意識主義心理学を徹底的に排除した、ワトソンの行動主義心理学が出てきた。心理学が純粋な科学となるためには、主観的な現象である意識を対象とするべきではなく、客観的観察が可能な行動のみを研究対象としなければならないと主張した。行動の単位は反応であり、もっとも単純なものは反射であると考え、パブロフの条件反射学の方法を取り入れて、刺激(S)と反応(R)の機械的結合によって動物や人間の行動を説明しようとした。彼の心理学が「意識のない心理学」といわれるのはこのためである。
行動主義と同じころ、ドイツに新しい心理学がおこった。ゲシュタルト(形態)心理学である。ウェルトハイマー、ケーラー、コフカなどによって代表される。心理現象の特性は要素の集合によって決まるのではなく(要素主義の否定)、むしろ全体の特性によって部分の特性が決まり(非加算性)、また部分の性質が変わっても全体の性質は保存されることがありうること(移調可能性)などの全体の特性を中心として、刺激と感覚との間に一対一の関係がないこと(恒常仮定の否定)を主張した。このように機械的な連合論を退けて、力学説と場の理論を中心に置いた。ケーラーは、このような心理現象におけるゲシュタルトは大脳における電気生理的現象の全体的特性(物理的ゲシュタルト)に対応するものであるという心理物理同型説を唱えた。しかし同じ系統に属するレビンは、この同型説には賛同しなかったが、場の理論や力学説を独得な方法で発展させ、情意やパーソナリティー、社会行動の研究に導入して、現在のグループ・ダイナミックス研究の源となった。なお、この学派とよく似た考え方で、分析的方法を用いずに条件変化に伴う知覚現象の変化の法則を明らかにしようとする一派は実験現象学と称せられ、ルビンE. Rubin(1886―1951)やカッツによって代表される。
一方、あまりに極端すぎたワトソンの行動主義にも、その後さまざまな新しい変化が現れた。トールマンは、行動は刺激と反応という単純な結合関係だけでは説明できなく、生活体の諸条件を考慮に入れなければならないとした。それは、刺激を独立変数、反応を従属変数としたとき仲介変数(仮説的構成体といわれることもある)として両者を関連づけるものである。さらに行動は目的をもった全体的なものであって、ワトソンがいうような物理的・生理的性質を強調した機械的、要素的なものではない。さらに仲介変数としては、要求などのほか認知その他意識心理学的な概念をも用いている。生活体変数を仲介変数として用いることはハルにもみられるが、ハルは強化を中心的原理とし、それに関係ある仲介変数を求め、それを習慣強度とか反応ポテンシャルとかいう中性的な仮説構成体で表現した。そして小範囲ながら行動に関する精密な関数式を導き出している。しかし一方、スキナーは、仲介変数を考えずに、オペラント行動(生活体の自発的能動的行動)の条件づけ、すなわちオペラント条件づけの手法を用いて、多岐的強化スケジュールにより、実験的行動分析を目ざして活発な研究活動を行っている。それは基礎的研究にとどまらず、教授法や心理療法などにも大きい影響を与えている。このような傾向は一括して新行動主義とよばれている。
こうした系譜とは別個に、心理検査によって個人差の研究も盛んに行われてきた。イギリスでは進化論の影響を受けたゴルトンによって開始され、集団内における個人差を分析するために統計的手法が心理学に導入され、因子分析法が開発されるに至った。フランスのビネーが作成した知能検査は、アメリカの機能主義心理学に受け入れられて隆盛をきたし、また心理検査によるパーソナリティー研究の急速な発展がみられた。
このような計量的な研究とは対照的に、独自の方法によってパーソナリティーの力動的構造を明らかにしようとした一派に、フロイトに始まる精神分析学の流れがある。フロイトの学説は特異な精神病理学であるが、無意識の存在を重視し、心的現象を欲動による力の葛藤(かっとう)とみるところに、人間理解に対する深い洞察を含んでいる。精神分析学はアドラー、ユングなどによる分派を生じたが、アメリカでは社会科学と結び付いた新フロイト派と称する一派が現れた。
なお、以上に述べたもの以外にも取り上げねばならない多くの学説や研究分野があるが、それぞれの項目に譲る。たとえばスイスの心理学者ピアジェの発生的認識論は発達心理学に大きな貢献をした。また最近急速に発展しつつある認知心理学は、旧来の認知論と異なり、人間の情報処理という見地から実験的、客観的に内面的な心的活動を解明しようとするところに特長があり、将来さらに研究が盛んになる分野である。
[萩野源一]
実験心理学の創始者ブントの最初のアメリカ人の弟子スタンレー・ホールG. Stanley Hall(1844―1924)にジョンズ・ホプキンズ大学で教えを受けた元良勇次郎(もとらゆうじろう)は、1888年(明治21)に帝国大学(東京大学の前身)で精神物理学の講義を始めた。その弟子松本亦太郎(またたろう)もエール大学で同じくブントの弟子スクリプチュアーE. W. Scripture(1864―1943)に指導を受け、ブントの研究室にも赴いた。彼は帰国後1903年(明治36)に東京帝国大学に、07年京都帝国大学に本格的な心理学実験室を設立し、ここにわが国の科学的心理学の基盤ができあがった。松本は両大学のほか東京高等師範学校(東京教育大学の前身)、早稲田(わせだ)大学、日本大学その他多くの学校で心理学を講じた。彼の心理学はブントの実験心理学が中心であったが、同時に発達・精神動作学(応用心理学)など広い視野にたって弟子を養成し、その門下から多数の俊秀が出て、各地の大学に心理学研究室ができるにしたがい、彼らはその教授となった。27年(昭和2)日本心理学会が設立されるとともに、松本は会長に推され、日本応用心理学会が31年に結成されたときにも初代会長となった。実に松本を除いて日本の科学的心理学の成立を論じることはできない。
[萩野源一]
大正時代隆盛であったブント流の心理学はしだいにゲシュタルト心理学にとってかわられ、第二次世界大戦前におけるわが国においてはもっとも一般的な学説となったが、その先鞭(せんべん)をつけたのは高木貞二、佐久間鼎(かなえ)などであった。しかしこのころまでの日本の心理学は、外国、ことにドイツの心理学説の祖述が中心であったが、増田惟茂(これしげ)はワトソンに先だち行動主義的な考えを述べたり、一つの学派に偏することなく、公平な視点より心理学のあり方を自ら述べるという、独自の立場をとったり、その感化力は大きかったが、若くして世を去った。昭和10年代、戦時体制に入るとともに軍事心理学が全盛となり、軍関係の機関へ就職する者が増えたが、それでも全国15大学の心理学専攻卒業生は全部で年間50名くらいであった。
[萩野源一]
戦後になると急激にアメリカの心理学がすさまじい勢いで流入してきた。新行動主義をはじめ、社会心理学、臨床心理学が隆盛となってきた。反面、いままで強い影響力をもっていたドイツの心理学は衰え、同じヨーロッパでも、イギリス、フランス語圏、旧ソ連などの心理学が入ってくるようになった。このなかで、戦前に比較してもっとも目だつ変化は、臨床心理学(精神分析学を含む)が盛んになったことと、職場における心理学の実質的な活用の気運が高まったことで、心理学を専攻した大学卒業生は毎年2000名を超えるに至った。
次に国際交流が盛んになったことがあげられる。1951年(昭和26)に国際心理科学連合が設立されると同時にわが国も加入し、72年には東京で第20回国際心理学会議が開催され、52か国から2500人以上の参加者(うち外国人約1400人)があった。これを契機として外国との交流はますます盛んになり、各種の専門に関する国際会議が毎年のように開かれている。研究成果もある部面では世界のトップレベルに達している。たとえば、盛永四郎をはじめとする視知覚の研究や、梅津八三(はちぞう)らの、盲聾唖(もうろうあ)者における、言語行動の形成に関する理論と実験とに基づく活発な実践研究と活動があげられる。なお日本独自の研究分野として、黒田亮(りょう)に始まり、佐久間鼎、佐藤幸治(こうじ)、秋重義治(あきしげよしはる)と続く、仏教ことに禅の心理学的研究が注目されている。
[萩野源一]
どんな学問にもその学問に固有な研究法があり、逆に研究法自体がその学問の性格を決める面がある。したがって研究法を無視してその学問を語ることはできない。
一般に科学においては、まず事実の観察が研究の第一歩である。そこから問題が生じ、それを説明するために仮説や理論が構築される。さらに、その仮説や理論は事実と合致するかどうかが吟味されなければならない。それの繰り返しによって知識は豊富になり、事実に対する理解が深まり、予測可能の範囲も広がってくる。そのためにはこの際、とくに観察の客観性が重視されなければならない。すなわち、主観性と客観性の混在に気をつけねばならない。他者についての、あるいは他者による観察が必要とされるのは、このためである。次に心理学における具体的な研究法について述べる。
[萩野源一]
研究のための観察は無目的に漫然と行われるのではなく、一定の目的と方法のもとに計画的に行動や言語報告などを記録・収集するものである。それには客観性を高めるための種々の方法が開発され、また人間の観察能力を補うために映画やビデオなども用いられる。また収集された結果の処理についても種々のくふうがなされている。
[萩野源一]
いま述べたものを自然観察法というのに対し、実験的観察法ということもある。普通には単に実験という。自然の状態では目的とする現象の生起の時期が不定であり、しかも雑多な要因が関与している。そこで、特定の条件を設定し、その条件下で観察を行うことが必要となってくる。通常の環境には存在しない条件を人工的につくりだし、その条件下で確立された法則が逆に自然状態での現象を説明することになる。心理学においても比較的周知の忘却の法則は、日常使用することのない無意味綴(つづ)りの学習実験によって確立されたものであり、一般的に法則には実験により確立されたものが多い。そこで実験法の発達は科学としての心理学の進歩を促すことになる。一方、人間を被験者として実験することには、人権問題その他さまざまな制約があるので、かわりに動物を使用することがしばしば行われ、また社会行動その他、複雑な現象については実験を行うことが不可能で、自然的観察が有効な場合も多い。
[萩野源一]
前述の2方法は自然科学一般においても用いられるものであるが、人間を対象とする心理学にはまた以下に述べるような特有の研究法がある。質問紙法とは、研究対象となる問題について、あらかじめ作成された質問用紙を多くの人に配布し、記入を求める方法で、これは印刷された言語刺激に対する反応を求めることである。態度や意見、興味や人格特性などの測定を目的とし、一時に多くの資料を求めることができるので、広く用いられている。
[萩野源一]
まえもって標準化された質問や課題を印刷した用紙、あるいは器具を用いて多くの人々の反応を求め、結果は一定の手段によって得点化し、個人や集団の行動や特性の差異を数量的に明らかにしようとするものである。実施は個別的に行われたり、集団的に行われたりする。知能検査、性格検査、適性検査その他多くの種類がある。
[萩野源一]
この方法は、単なる質問紙に対する回答や、テストに対する反応ではなく、直接に質問し、詳しい回答を求めるものである。それにより柔軟性のある生き生きとした資料が得られ、臨床心理学や社会調査によく用いられる。面接には特別の訓練や準備を必要とすることも多く、また面接自体が矯正効果をもつこともある。
[萩野源一]
前記の諸方法はいずれも、特定の問題について、特定の時期における資料を得るための方法であるが、ときにより長期にわたる多方面の資料を得る必要のある場合がある。このような研究を特定の個人について行うとき事例研究という。
これらおよびその他のさまざまな研究法を目的に応じて適用することにより、実際の研究が行われるのであるが、それらの研究法を精密化し、資料を記述し、処理するために、数学的手段が広く取り入れられ、またそれらの方法を開発するための分野が重要性をもっていることが、現代心理学を特徴づけている。
[萩野源一]
すでにみてきたように心理学の対象は、実体としての霊魂から意識へ、さらに外部から観察することのできる行動へと変化してきた。つまり心理学ということばができた当時と同じではない。また研究方法も、哲学的な思弁から自然科学的なものへと変化してきた。古来の霊魂説をはじめとして、心に関する理論には実証不可能なものが多かった。人間行動の因果関係については、神話にもまた、民間伝承においても述べられていることは周知のとおりである。これに反し現代の心理学は形而上(けいじじょう)学ではなく、科学として実証可能な範囲内での理論体系を構築し、その範囲内での説明を目ざすものである。科学的認識はすべて限定されたものであるが、その限定内で明確な法則性を確立しようとするものである。
われわれが心というべきものをもっていることは、デカルトのことばを引用するまでもなく事実であり、少なくとも自分自身の意識については、ある程度直接に観察することができる。しかし自分の意識についていくら詳しく述べてみても、それは1人だけの主観的な記述であって、他人によって確認することはできない。それでは他人の心についてはどうであろうか。もちろん他人も自分と同じように心をもっていると考えることは当然のこととされている。しかし、われわれは他人の意識について直接にはなにも知ることはできない。自分が赤という意識と他人が赤ということとが同じであるという保証はどこにもない。色覚異常者のことを考えれば、このことは容易に推測できるであろう。結局、心理学は心の存在を否定するものではないが、科学が客観性をもつものである以上、客観的に観察することのできない心を直接の研究対象とすることはできない。したがって心理学は、言語その他、広い意味での行動の法則を確立することにより、心の科学的研究を目ざす学問であるということができる。またその意味で心の科学である。他の科学のことを考えてみよう。たとえば物理学において電気や力の実在を疑う人はいないが、これらは直接に観察することはできない。物理学が直接、研究の対象としているのは、その作用の結果として客観的に観察することのできる光や熱や運動である。しかも客観的であるとされるこの物理学も直接人間の体験しうる意識を通じてできたものであるのに、意識を取り扱おうとする心理学において、なぜこのような厳密な考慮が必要であるかという理由は、とかく自分自身の意識の状態を他の人に、またときには動物にさえ簡単に類推、拡大して、学問としての客観性を失うことを歴史に教えられたためである。科学の客観性については、さらにあとで述べる。
行動生起の機序をウッドワースR.S.Woodworth(1869―1962)はS―O―Rという簡明直截(ちょくせつ)な形で示した。この図式をもとにしていままでの学説を説明すれば非常に理解しやすい。Sは刺激で本来感覚器官に作用する物理・化学的エネルギーをさす概念であるが、心理学では一般に行動を喚起する対象や事態をもさすものと考えられている。Rは反応すなわち行動であり、それは腺(せん)や筋肉の活動ばかりでなく表情や言語表現なども含め、他者により観察可能な生活体の変化である。さらに文章や絵画などもその内に含めることができる。Oは生活体、すなわち人や動物である。系統発生的な連続性を前提として動物の研究も人間理解のためには有力な分野である。ところで、Sを独立変数、Rを従属変数とすれば、Oは仲介変数となる。あるいはこれを仮説構成体と考えてもよいし、生活体条件または変数といってもよい。このようにSとRとが観察可能な変数であるのに対して、生活体変数は直接観察できないものである。ワトソン流の考え方のS―Rの機械的な結び付きですべての行動が理解できないことは当然であって、その間に生活体自体の活動があり、それを解明することこそ心理学の課題である。S自体に変化がなくても生活体条件の変化によって行動が触発されることはよく観察されるところであるし、さらに実験的にも確認されている。そこでわれわれはその生活体内の過程を、意識的なものとして考えるか、無意識的なものをも含めて考えるか、これを心と表現するか、生理的なものとして考えるか、それは各研究者によってかならずしも一致しないが、いずれにしてもいままでのところ十分に説明しうる理論はない。
レビンはB=f(P,E)という方程式を示した。Bは行動、Pは人、Eは環境である。この式は、行動は人と環境との関数であるというわかりよい形であるが、実のところ彼の示したP、Eは心理的人、心理的環境をさしていて、仲介変数としての意味をもっているもので、それと独立変数としての人や環境との関係を明らかにしなければ、この関数式は解けない。われわれが行動をおこす環境は、かならずしも物理的なものではなく、物理的な環境をいかに認知したかということを含めて、その人のパーソナリティー特性によって行動の様式が決まるのである。むしろ行動によって、PやEの状態と物理環境との関係が明確になる。彼は前式を別にB=f(L)とも書いている。ここにLとは生活空間のことである。したがって、究極的にはやはり行動を通じてPの解明がなされなければならない。トールマンやハルその他は、種々の仲介変数や構成概念を措定してそれと独立変数との関係を解明しようと試みたが、やはり十分なものとはいえない。
そこでワトソンとはまったく発想は異なるが、Oにはいちおう直接には触れないで、SとRとの関係をまず確立しようとする研究が多い。たとえばフェヒナーの法則も、彼の意図はともかくとして、結果としてはそうであり、精神物理学的測定法で求められた法則の多くはそれに属する。さらに全体的(マクロ)な環境と行動との関係は、社会心理学や生態学的心理学、また応用心理学の各分野では一般に行われているところである。いずれにしても客観的に観察可能な環境と行動を通じて、行動の法則、さらにそれを生ずる心の法則を解明しようとするのである。そして心理学が究極的に目ざすものは人間一般に通じる法則性とともに、おのおのパーソナリティーその他が異なる個々の人の行動の法則性の解明である。そして現在、心理学はその途を進んでいる。
ところで、なおここで述べるべき問題が残されている。われわれは行動は客観的に観察できるという前提にたってこれまで述べてきたが、その観察もやはり個人の意識によってなされるのである。意識が主観的であるというならば、行動の客観的観察はどうして可能となるのであろうか。
実は科学における客観性とは、対象そのものを直接示しているということではなく、その対象に関して複数の人によって一致した判断が得られることを意味しているにすぎない。前述のように「赤い」という場合も、意識内容がだれでも同じというのではなくて、ある対象に対して複数の人が「赤い」ということばで反応するところに客観性が成立すると考えるのである。物理学は客観的な学問であると考えられているが、その客観性もやはり本質的には以上に述べたところと同じで、共主観的な観察ないし測定結果に基づいているのである。したがってこの場合、使用されることばが多義的であってはならないことは当然である。その意味で日常のことばはかならずしも科学的使用にふさわしいとはいえず、科学的概念はすべて厳密な操作的定義を必要とすると主張する人々がいる。この立場によれば、概念の内容はその概念が得られた操作と同一であるとされる。たとえば知能とは知能検査によって測定されるものである。知能の本質を言語的に定義するのは非常に困難であるが、前述の操作的定義では、明確であるようにみえる。しかし実際にはさまざまな知能検査があり、それらを別々のことばでよばなければならないとすれば、たいへんに煩わしいことになる。これらを統一的に表現しようとすれば、さらに新たな操作が必要となってくる。この考え方はもともと物理学から出たものであり、そこでは当然のことと考えられているものが、人間という複雑な行動をするものに対しては、それほど簡単にはいかない。しかしこの操作主義のために、心理学で使用される概念もできるだけ客観性をもったものへ向かおうとする努力が高まってきた。
次に心理的過程には神経過程が対応していると考えるのは常識であるし、生理学的な知識のほうがより客観的と考える見方が強い。そこで、心理過程の生理的基礎の研究やそれらの対応関係を研究する分野が盛んである。トールマンは、生理学は分子的行動を、心理学は全体的行動を研究するものであるといって、そのあいだの連続性を認めているが、現在ただちに心理学を生理学のことばで直接表現しようとすることは不可能であり、まして物理学のことばに置き換えることはできない。
一方、レビンその他、心理学はそれ自体として、独立した論理的整合性をもつ理論や法則を確立することが心理学の目的であるとする人も多い。そのために、他の科学の知識も十分に活用すべきであることはもちろんである。ただ自我や意志の自由の問題などを、現在の生理学、まして物理学のことばで表現することは不可能である。
いずれにせよ、心理学は、意識の主観的な記述や、心理現象の常識的あるいは思弁的な説明に満足するものではなく、行動(繰り返しいうが言語活動をも含んだ広い意での)の客観的観察に基づく実証可能な理論体系を目ざす科学である。このような意図が現在どこまで実現されているかという点については問題もあるが、その基本的方向は、すでに述べたように、一般的に認められているし、確立された法則性が加速度的に増加しつつあることも事実である。
[萩野源一]
同じ人間を対象とする医学に基礎部門と臨床部門との区別があるように、心理学においても基礎と応用の二つの部門を大別することができる。また各領域は取り扱う内容の複雑性によって、研究法や法則性発見の段階にもおのずと相違がみられる。生理学においてニューロン1個の精細な特性が解明されているのに、精神病理学における病理の十分な解明が進んでいないというようなことは、心理学においてもいえることである。このことは生物の複雑さが著しいことによるものであり、細胞1個の生物のほうが全無機物の世界よりも複雑であるとさえいわれている。しかも人間――この複雑なるものの中心は心である。
基礎部門としては、実験心理学の発足以来盛んに研究されてきた感覚、知覚、記憶、学習、思考、感情、情動や行動などを取り扱う領域がまずあげられる。これらのうちの、いわゆる知的活動に属するものは近年、人間の情報処理という観点から、前述の認知心理学という形で包括的に取り扱われる傾向がみられる。さらに数理心理学とか、古くから発達した領域として生理心理学、動物心理学、発達心理学、人格心理学、社会心理学などの分野があげられる。
応用部門については、前述した基礎分野の成果が実際場面に適用されることも多いが、それとは別に応用心理学という名称で独自に発達してきた研究も多い。それはさらに分化して産業心理学、職業心理学、環境心理学、教育心理学、臨床心理学、犯罪心理学などとなっている。
しかし、前述したものは代表的な例にすぎない。専門分野はますます増大する傾向にあり、現在(1984)わが国で専門の分野に関する学会の数は20近くに達している。学際領域のものを加えるとはるかにその数は増大する。たとえば、アメリカ心理学会についていえば部門だけでも42あり、現在(1984)活躍している部門は40となっている。なお、他の科学との研究協力関係がしだいに強くなりつつあり、いわゆる学際的領域を除いて心理学を論ずることは十分でないことは他の科学の場合と同様である。
[萩野源一]
『今田恵著『心理学史』(1962・岩波書店)』▽『八木冕監修『講座心理学』全15巻(1968~75・東京大学出版会)』▽『日本心理学会編『日本心理学会五十年史(第一部)』(1980・金子書房)』▽『藤永保他著『講座現代の心理学1 心とは何か』(1981・小学館)』
出典 最新 心理学事典最新 心理学事典について 情報
心理学とは文字どおり心の理(ことわり)の学であり,心理学を表す西欧語は,ギリシア語のプシュケーpsychē(心)とロゴスlogos(理法,学)の合成にもとづく。日本では,1878年西周によって〈mental philosophy〉の訳語として用いられたのが最初とされる。ところで,心というものは客観的存在でなく,どこにあるのかわからず,つかみどころがない。そのため,心理学は,他の諸科学,たとえば物理学のように次々と研究業績が積み重ねられて発展してゆくというわけにはゆかない。心というものをどう考えるかによってさまざまな学派にわかれ,学派同士の論争は,それぞれの前提が違っているから決定的決着はつかず,不毛であることが多く,ある学派の研究が他の学派の研究に資することが少ないという事情があった。もちろん,これも心理学に対する一つの見方であって,心の定義だけでなく心理学の定義も人によって異なり,科学としての心理学は着実に研究を積み重ねて発展してきており,今後も発展してゆくと考える人もいる。
まず,ギリシアの昔から説き起こせば,すでに,肉体から独立してイデアの世界に存在する霊魂を考えたプラトン,肉体を素材(ヒュレ)とする形相(エイドス)としての霊魂,肉体を肉体たらしめ,活動させる原理としての霊魂を考えたアリストテレス,霊魂をも含めて万物は原子の運動に由来すると考えたデモクリトスやエピクロスらの説があった。プラトンの霊肉二元論は,中世のキリスト教思想を支配し,近世においては,物質の本質を延長とし,精神の本質を思惟としたデカルトの物心二元論に引き継がれた。さらに19世紀にはじまった近代および現代の心理学においては,精神を肉体から独立に存在するとは考えないけれども,精神をそれ自体として独自に研究しようとする人たちの理論に影を落としている。もちろん,心理学においては,デモクリトス=エピクロス的な原子論ないし唯物論の思想が支配的であるが,そのなかでも大別すると次のような三つの立場があって見解は統一されていない。(1)精神は完全に肉体に依存するとし,自覚的にせよ暗黙のうちにせよ,心理学は生理学が未発達であるかぎりにおいてしか必要のない一時的な科学であって,最終的には生理学に還元されると考える立場。(2)たしかに精神は肉体を座として生じ,肉体に規定されるが,精神として成立した以上,逆に肉体に影響を及ぼすと考える立場。(3)肉体なくして精神はないが,精神のない肉体も考えられず,肉体を動かしているものこそ精神であると考える立場。また,精神と意識を同一視する立場や,無意識を考える立場もあり,ましてや,精神を研究する方法論に至っては,それを不可能であるとする立場もあって,まったくさまざまである。
近代において一応学としての心理学らしきものがはじまったのは,イギリスの経験論にもとづくロック,D.ヒュームらの連合心理学からである。この学派によれば,生まれたとき人間は白紙(タブラ・ラサ)であって,経験によって観念を獲得し,さまざまな観念が連合して精神が形成される(観念連合)。つまり精神は経験からくる観念という要素の寄せ集めであって,それ自体としての存在をもたない。この要素主義的精神観はデモクリトス=エピクロス的原子論の系統を引いている。連合心理学の要素主義と,精神内容を研究対象とする点は,1879年世界で初めて心理学実験室をつくったW.M.ブントに引き継がれた。ブントによれば,直接経験としての感覚,意志,感情などの要素を内観法によって把握し,それらの要素が構成されたものとして精神を研究するのが心理学であった。しかし,精神は要素の寄せ集めではなく,要素を総合する能動的な統覚作用をもっている。ブントの方向をさらに発展させ,彼が扱わなかった判断や思考などの高等な精神作用をも内観法で研究したのが,O.キュルペなどのビュルツブルク学派である。一方,連合心理学の経験主義と要素主義を忠実に引き継いだのがJ.B.ワトソンの行動主義心理学である。ただ,パブロフの条件反射学の影響を受けたワトソンにおいては,連合心理学における観念という要素が刺激(S)-反応(R)という要素に置き換えられており,内観法が否定されて,行動という客観的な観察と測定が可能なものだけが研究対象とされた点が違っている。意識という,当人しか知らない主観的現象は客観科学としての心理学の対象たりえないというのがワトソンの主張であった。ここに心や意識ぬきの心理学という奇妙なものが成立した。
他方,要素主義を排し,精神を全体として把握しようとする伝統も消滅したわけでなく,いろいろな理論の装いのもとに次々と現れ,現在に至っている。ライプニッツのモナドの考えの影響を受けたC.ウォルフの能力心理学もその一つで,彼によれば,精神は諸要素の受動的集合ではなく,諸能力をもった単一の能動的実体であった。感覚,想像,記憶,悟性,感情,意志などは精神の能力として説明された。F.ブレンターノの作用心理学では,意識の内容よりも作用が重視された。彼によれば,ブントが考えたような要素は意識の内容を成しているにすぎず,その内容を内容たらしめる作用を研究するのが心理学であった。この考えは,デカルトのコギトから出発して意識の志向性(〈意識はつねに何ものかについての意識である〉)を人間理解の中心に据えたサルトルに受け継がれたが,心理学それ自体のなかでは力をもたなかった。W.ジェームズの機能主義心理学も,有名な〈意識の流れ〉という言葉からわかるように,個々の要素ではなく一つの全体的流れとしての意識の機能を問題とした。W.マクドゥーガルの本能論心理学も,精神の能動性を主張する学派の一つで,精神のあらゆる活動の推進力として生得的な本能を考えた。しかし,行動主義心理学ともっとも激しく対立したのはM.ウェルトハイマー,W.ケーラーらのゲシュタルト心理学であった。彼らは全体は部分の総和以上のものであると主張し,同一刺激が同一反応を引き起こすとする恒常仮定に反対し,連合心理学以来の要素主義,機械論を否定した。とくに認識の発達を研究したJ.ピアジェの発生的認識論も,問題にされた能力は違っているが,能力心理学の伝統に位置すると考えられ,精神を全体として見る点では同じであった。精神の全体性を主張するこれらの立場は,たしかに要素主義の弱点をつくその批判において正しいが,精神が一つの全体としてある方向性をもっているという前提に立てば,その方向性はどこからくるかという問題に直面する。プラトンのイデアをもってくるわけにもゆかないから,ウォルフはライプニッツのモナドを,サルトルはデカルトのコギトを,ジェームズは生物学的適応機能を,マクドゥーガルは本能を,ケーラーは心理的ゲシュタルトの背後にある同型の物理的ゲシュタルトを,ピアジェは現代西欧の成人の知能形態を到達点とする定向発達をもってきて,そこに根拠をおいた。そうするとどうしても客観科学としての心理学からはずれてゆくのである。
以上述べてきたさまざまな心理学のほかに了解心理学の流れがある。了解心理学はW.ディルタイにはじまるが,了解を直接経験の直観的把握にとどめず,精神構造の理論に裏打ちさせたのがS.フロイトの精神分析である。彼の理論は,神経症者の心を扱わなければならない開業医としての必要性からつくられた理論で,アカデミックな心理学とは無関係であるが,一つの心理学理論として見れば,はじめは自我本能と性本能,のちには〈生の本能〉と〈死の本能〉の二つの基本的本能の表れとして精神現象を説明する本能論心理学である。それらの基本的本能の多くの派生物の離合集散を考える点で要素主義的であり,自由連想法を用いて精神を探る点で連合心理学の面もあり,人格の統合機能としての自我を重視する点で機能主義的でもある。彼の理論のもっとも重要な点は無意識を仮定したことで,これによって心理学の研究対象となる領域を大いに広げ,文化,宗教,芸術など人間のあらゆる営為が問題にされるようになった。精神分析は,はじめ,アカデミックな心理学,精神医学から非科学的だとして無視されたが,今日では臨床心理学,精神医学において大きな勢力となっている。
アカデミックな心理学のほうも,その後さまざまな展開を示した。行動主義の立場に立つ人も,刺激(S)と反応(R)の連結だけを考えるのではなく,R.S.ウッドワース,C.L.ハル,E.C.トールマンのようにそのあいだに生体(O)を介在させ,S-O-Rの図式で考えることもある。このOの要因には,判断,習慣,要求など,いろいろなものを想定できるわけで,そのように考えれば,客観的行動の科学である心理学のなかに一種の主体をもち込むことになる。この立場は新行動主義と呼ばれているが,B.F.スキナーのようにいっさいその種の要因を想定しない人もいる。行動主義心理学は,かつては大学の研究室のなかで主としてネズミなどを相手に実験していただけであったが,近年は行動療法と称して心理療法の分野に乗り出している。ゲシュタルト心理学は,学派としてはほとんど勢力を失っているが,その考え方そのものは,K.レウィンの〈場の理論〉に見られるように,社会心理学にも取り入れられている。
要するに,心理学は人間を研究する学問の一つであるが,人間とは客体であるとともに主体であり,客体としてとらえれば,客観的に観察可能な行動を対象とせざるをえない。この方向は,現代の工学,数学,コンピューターなどの発達に支えられて,心理学というより行動工学となってしまうか,または,かつてのように仮説的な生理学的モデルではなく,現代生理学のめざましい発達に裏づけられて生理学に吸収されてしまうかのいずれかになる。しかし,人間が直接経験するのは,あくまで主体としての自己であり,この自己は悩みや葛藤をもち,どれほど客観的に説明されても満足することはできない。自己とは何かは人間の永遠の課題である。自己を問題にすれば,心理学は最終的には哲学になる。今日,心理学と呼ばれているものは,工学または生理学と,哲学のいずれかに解体しつつあるといえよう。
→精神医学 →精神分析
執筆者:岸田 秀
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…その端緒は,西周にあったと考えられる。彼はアメリカ人ヘーブンJoseph Havenの《Mental Philosophy》(1857)を翻訳して,《心理学》上下巻(1875‐79)として出版したが,それに付された〈翻訳凡例〉の中で,訳語を案出する苦心に触れながら,〈意識〉等の語については〈従来有ル所ニ従フ〉と述べている。それからほどなく,井上哲次郎らの手によって刊行された《哲学字彙》(1881)には,〈Consciousness意識〉とあり,この語がほぼこのころ哲学,心理学等の用語として定着したことが知られる。…
…西洋の哲学思想の日本への最初の紹介者,西周は,ヘーブンJoseph Havenの《Mental Philosophy》(1857,第2版1869)を《心理学》(上・下巻,1875‐79)として上梓するに当たり,〈従来有ル所ニ従フ〉訳語の一つとしてimaginationに〈想像〉をあてている。したがって,〈想像〉の語が日本でも古くから慣用されていたことが知られるが,しかしその語は,漢籍などでは〈旧故ヲ思イテ,以テ想像ス〉(《楚辞》)などと使われ,〈おもいやり〉や〈おしはかる〉ことを意味していたようである。…
…心が固有の精神現象であるなら,その成立ちや機能を改めて考える必要があり,17世紀後半からの哲学者でこの問題に専念した人は多い。心を〈どんな字も書かれていず,どんな観念もない白紙(タブラ・ラサtabula rasa)〉にたとえた経験論のロック,心ないし自我を〈観念の束〉とみなした連合論のD.ヒューム,あらゆる精神活動を〈変形された感覚〉にすぎないと断じた感覚論のコンディヤックらが有名で,こういう流れのなかからしだいに〈心の学〉すなわち心理学が生まれた。ただし,19世紀末までの心理学はすべて〈意識の学〉で,心の全体を意識現象と等価とみなして疑わなかった。…
…人類学は自然科学と社会科学にまたがる学問であるが,それの社会科学部門である社会人類学および文化人類学は,その理論的な部分を社会学と共有する。心理学も自然科学と社会科学にまたがる広大な学問で,前者に属する部門のほうが後者に属する部門よりもずっと大きく,そして後者は社会心理学になるからこれを社会学に含めて考えることができる。経営学,行政学,教育学などは,それぞれ企業,官庁,教育組織という特定領域の問題を専攻する領域学で,学問分野としては経済学や政治学や社会学や心理学に還元される(経営経済学,経営社会学,経営心理学等々)。…
※「心理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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