心理学(読み)しんりがく(英語表記)psychology

  • 心理学 psychology

翻訳|psychology

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

語源からいえば,心あるいは精神をその研究対象とする学問を意味する。ギリシア時代にを発し,近世にいたって,意識を心理の研究対象であるとする W.ブントらの立場確立された。 J.B.ワトソンはその難点を指摘して,心理学は動物または人間行動のみを研究対象とする科学であると主張した (→行動主義 ) 。他方,S.フロイトによって無意識概念が提出され,人間の異常行動や病的反応を扱う道が開かれた。こうした史的系譜のもとに,現代の心理学は人間および動物の個体としての行動や集団としての行動 (社会的行動) を扱う分野から,人間の感覚,知覚体験を精神物理学的,実験現象学的に解析しようとする分野,さらには精神療法パーソナリティの形成過程を問題にする分野にまで及ぶ,広範囲の領域を包括する学問となっている。

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百科事典マイペディアの解説

英語psychology,mental philosophyなどの訳語として用いられ,広く心に関する知見を扱う学問の称。実証的学問としては,1879年世界初の実験室を作ったW.M.ブントを嚆矢とするといわれ,以来さまざまな学派と分科が形成された。歴史的にはJ.B.ワトソンの行動主義,W.ケーラーらのゲシュタルト心理学,W.ディルタイ了解心理学などが一定の役割を果たしたが,現象学精神分析精神医学の登場ないし革新,さらに生理学や行動工学の進展にともなって急速にその有効性を減じている。
→関連項目教育学行動科学反動形成比較心理学

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世界大百科事典 第2版の解説

心理学とは文字どおり心の理(ことわり)の学であり,心理学を表す西欧語は,ギリシア語のプシュケーpsychē(心)とロゴスlogos(理法,学)の合成にもとづく。日本では,1878年西周によって〈mental philosophy〉の訳語として用いられたのが最初とされる。ところで,というものは客観的存在でなく,どこにあるのかわからず,つかみどころがない。そのため,心理学は,他の諸科学,たとえば物理学のように次々と研究業績が積み重ねられて発展してゆくというわけにはゆかない。

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大辞林 第三版の解説

西周にしあまねが psychology から訳した語
経験的事実としての意識現象と行動を研究する学問。精神についての学問として形而上学的な側面をもっていたが、一九世紀以降実験的方法を取り入れ、実証的科学となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

英語のサイコロジーということばは、ギリシア語のプシュケーpsukhe(心)とロゴスlogos(学)とが一つになってできたもので、心の学問という意味である。すでにアリストテレスは『プシュケーについて』(ラテン語で『デ・アニマ』De Anima)という著書を残しているが、「サイコロジー」という名称が用いられたのは、アメリカの心理学者ボーリングによれば、マルコ・マルリックMarko Maruli(1450―1524)という人の16世紀初めごろの著書が、今日知られている最初のものであるという。日本語の「心理学」ということばは明治初期につくられたもので、1873年(明治6)開成学校(東京大学の前身)のカリキュラムのなかに、この名称が用いられている。75年にはヘブンJ. Haven(1816―74)の著書が『心理学』という名で西周(あまね)によって翻訳され、文部省から刊行された。[萩野源一]

哲学のなかの心理学

心とは何かということについての関心は、おそらく人類の歴史とともに古いものであろう。古代においては、心は身体とは別個の存在として考えられていた。心の問題が組織的な学問の形をとるに至ったのはギリシア哲学においてであるが、前述のアリストテレスは、当時一般的であった心身二元論をとらず、心を身体活動の本源としてとらえている。しかし、霊魂の救済を説いた中世のキリスト教神学においては、依然として二元論的な考え方が優勢であった。
 近世哲学の祖といわれるデカルトは、心と物質とをそれぞれ独立の実体であると考え、物の属性は延長(大きさ)であり、心の属性は思考(意識)であるとみた。直接経験による内観心理学への途(みち)を開いたともいえるし、一方、身体を自動機械にすぎないと考えた点では機械的行動心理学の先駆であった。さらに、心と身体とが間脳の松果体において接触すると考えたが、これは今日の生理心理学的説明の萌芽(ほうが)であったとみることもできよう。しかしこのような思想は、いずれも形而上(けいじじょう)学的な「魂の心理学」であって、現在の科学的心理学とはほど遠い。
 一方、ケプラー、ガリレイ、ニュートンなどによって経験的事実を統一的に説明しようとする自然科学が発達するにつれて、哲学界にも経験を重視する傾向が現れ17、18世紀にかけてイギリスにおいて経験論哲学がおこった。ロックは、子供の心はもともと白紙のようなもので、生後の経験によって、さまざまな観念が形成され、また観念の連合が生じると考えたが、この主張はバークリー、ヒューム、ハートレーなどに引き継がれ「観念連合の法則」は発展した。さらにこれを連合主義心理学として大成したのはJ・ミル、J・S・ミル父子、ベインA. Bain(1818―1903)であり、スペンサーはさらにそれに進化論をも取り入れた。この段階における心理学は、すでに実体としての心を論じる形而上学ではなく、意識としての心を考察する「魂のない心理学」であった。
 一方、ドイツの心理学は17世紀にライプニッツに始まるといわれるが、理性論的であって、その弟子ウォルフは、心は認識能力と欲求能力とをもつ実体であるとし、それは能力心理学といわれる。その流れを受けたテーテンスJ. N. Tetens(1736―1807)は、心的活動を知・情・意の三つに分け、この三分法はいまでも常識的には一般に受け入れられている。19世紀初頭におけるヘルバルトの心理学もやはり形而上学的ではあるが、経験科学として観察的方法を取り入れ、数学を適用して表象に関する力学説を唱えた。しかし、それには基礎となる測定を伴っていなかった。[萩野源一]

科学的心理学前史

心理学はこのように哲学のなかで洗練されてきたが、その方法はあくまでも思弁によって心の働きを説明するもので、つまるところ「ひじかけ椅子(いす)の心理学」といわれるものである。これに対して科学的、実験的に心の諸相を研究しようとする動きが生じた。それは哲学に根ざすものではなくて、自然科学を背景とし、直接的には19世紀初頭から急速に進歩した神経生理学や感覚生理学の影響によるところが大きい。
 たとえば、ドイツの生理学者ウェーバーは、重さの違いが弁別できる最小可知差異の変化が、もとの重さの変化との間に一定の比率(ウェーバー比)を保つことを発見した。さらにこのことは他の感覚においても認められた。彼の研究はフェヒナーによって発展させられ、感覚量は刺激量の対数に比例するという、いわゆるフェヒナーの法則として定式化された。彼は自分の研究を精神物理学という新しい学問の創設であるとしたが、内容は後の実験心理学の問題となり、その実験法は精神物理学的測定法として精密化され、現在でも用いられている。一方ヘルムホルツやヘリングなどによっても、聴覚や視覚に関する重要な実験的研究が行われたが、これらもまた心理学の問題であった。[萩野源一]
実験心理学の成立
しかし心理学者とよぶことのできる最初の人物はブントである。彼は初めヘルムホルツのもとで感覚生理学の研究を行っていたが、1879年に世界最初の心理学実験室をライプツィヒ大学に開設して、心理学を独立した実験科学として公認させた。彼は心理学の対象を直接経験(意識)であるとした。実験室における種々の統制された条件下において、自己の意識(直接経験)を観察するという心理学独自の実験的自己観察(内観)によって、意識を構成する要素をみいだし、さらにそれがどのようにして具体的な意識へ統合されるかを研究するのが彼の実験心理学であった。その要素として、彼は感覚と単純感情とをあげ、それらの要素は統覚または連合によって結合するとした。ちょうど化学において物質を分子や原子に分解し、再構成することによって自然を理解しようとするのに似ている。これをもっとも忠実に引き継いだのがティチナーであり、構成主義心理学といわれる。こうして「ひじかけ椅子の心理学」は「鉄と真鍮(しんちゅう)の心理学」となった。鉄や真鍮でつくった器械を用いて実験を行うようになったからである。一方ブントは、この実験心理学とは別に、高等精神作用を民族学的資料に基づいて研究する民族心理学を創始したが、その流れは今日の文化人類学に受け継がれている。ブントの実験は主として生理学的方法に基づいていたが、エビングハウスは、記憶の研究において心理学独自の実験法を考案した記念すべき人である。[萩野源一]

心理学の諸学派

ブントの心理学は当時の主流であったが、そのほか多くの学説が急速に現れ始め、現代までそれらの影響は残っている。ブレンターノは、心理学は見たり聞いたりする心的作用そのものを対象とするものであって、その作用の対象とは区別すべきであるとした。これを作用心理学という。この系統にシュトゥンプ、さらにオーストリア学派といわれるマイノングやエーレンフェルスC. v. Ehrenfels(1859―1932)など表象産出説や、さらに形態質を唱えた人たちがいる。またブントの弟子であったが、独自の方法で思考の実験的研究を行ったキュルペおよびその門下たちのウュルツブルク学派などがある。
 同じころアメリカにおいて、意識を分析的に研究するブントの心理学に反対し、意識の流れそのものが心的実在であって、それを生物学的機能としてとらえるジェームズの心理学が出現した。これはデューイ、エンジェルJ. W. Angell(1869―1949)などに引き継がれて、機能主義心理学となった。しかしこの系統から1910年代に、意識主義心理学を徹底的に排除した、ワトソンの行動主義心理学が出てきた。心理学が純粋な科学となるためには、主観的な現象である意識を対象とするべきではなく、客観的観察が可能な行動のみを研究対象としなければならないと主張した。行動の単位は反応であり、もっとも単純なものは反射であると考え、パブロフの条件反射学の方法を取り入れて、刺激(S)と反応(R)の機械的結合によって動物や人間の行動を説明しようとした。彼の心理学が「意識のない心理学」といわれるのはこのためである。
 行動主義と同じころ、ドイツに新しい心理学がおこった。ゲシュタルト(形態)心理学である。ウェルトハイマー、ケーラー、コフカなどによって代表される。心理現象の特性は要素の集合によって決まるのではなく(要素主義の否定)、むしろ全体の特性によって部分の特性が決まり(非加算性)、また部分の性質が変わっても全体の性質は保存されることがありうること(移調可能性)などの全体の特性を中心として、刺激と感覚との間に一対一の関係がないこと(恒常仮定の否定)を主張した。このように機械的な連合論を退けて、力学説と場の理論を中心に置いた。ケーラーは、このような心理現象におけるゲシュタルトは大脳における電気生理的現象の全体的特性(物理的ゲシュタルト)に対応するものであるという心理物理同型説を唱えた。しかし同じ系統に属するレビンは、この同型説には賛同しなかったが、場の理論や力学説を独得な方法で発展させ、情意やパーソナリティー、社会行動の研究に導入して、現在のグループ・ダイナミックス研究の源となった。なお、この学派とよく似た考え方で、分析的方法を用いずに条件変化に伴う知覚現象の変化の法則を明らかにしようとする一派は実験現象学と称せられ、ルビンE. Rubin(1886―1951)やカッツによって代表される。
 一方、あまりに極端すぎたワトソンの行動主義にも、その後さまざまな新しい変化が現れた。トールマンは、行動は刺激と反応という単純な結合関係だけでは説明できなく、生活体の諸条件を考慮に入れなければならないとした。それは、刺激を独立変数、反応を従属変数としたとき仲介変数(仮説的構成体といわれることもある)として両者を関連づけるものである。さらに行動は目的をもった全体的なものであって、ワトソンがいうような物理的・生理的性質を強調した機械的、要素的なものではない。さらに仲介変数としては、要求などのほか認知その他意識心理学的な概念をも用いている。生活体変数を仲介変数として用いることはハルにもみられるが、ハルは強化を中心的原理とし、それに関係ある仲介変数を求め、それを習慣強度とか反応ポテンシャルとかいう中性的な仮説構成体で表現した。そして小範囲ながら行動に関する精密な関数式を導き出している。しかし一方、スキナーは、仲介変数を考えずに、オペラント行動(生活体の自発的能動的行動)の条件づけ、すなわちオペラント条件づけの手法を用いて、多岐的強化スケジュールにより、実験的行動分析を目ざして活発な研究活動を行っている。それは基礎的研究にとどまらず、教授法や心理療法などにも大きい影響を与えている。このような傾向は一括して新行動主義とよばれている。
 こうした系譜とは別個に、心理検査によって個人差の研究も盛んに行われてきた。イギリスでは進化論の影響を受けたゴルトンによって開始され、集団内における個人差を分析するために統計的手法が心理学に導入され、因子分析法が開発されるに至った。フランスのビネーが作成した知能検査は、アメリカの機能主義心理学に受け入れられて隆盛をきたし、また心理検査によるパーソナリティー研究の急速な発展がみられた。
 このような計量的な研究とは対照的に、独自の方法によってパーソナリティーの力動的構造を明らかにしようとした一派に、フロイトに始まる精神分析学の流れがある。フロイトの学説は特異な精神病理学であるが、無意識の存在を重視し、心的現象を欲動による力の葛藤(かっとう)とみるところに、人間理解に対する深い洞察を含んでいる。精神分析学はアドラー、ユングなどによる分派を生じたが、アメリカでは社会科学と結び付いた新フロイト派と称する一派が現れた。
 なお、以上に述べたもの以外にも取り上げねばならない多くの学説や研究分野があるが、それぞれの項目に譲る。たとえばスイスの心理学者ピアジェの発生的認識論は発達心理学に大きな貢献をした。また最近急速に発展しつつある認知心理学は、旧来の認知論と異なり、人間の情報処理という見地から実験的、客観的に内面的な心的活動を解明しようとするところに特長があり、将来さらに研究が盛んになる分野である。[萩野源一]

日本の心理学史


創設期
実験心理学の創始者ブントの最初のアメリカ人の弟子スタンレー・ホールG. Stanley Hall(1844―1924)にジョンズ・ホプキンズ大学で教えを受けた元良勇次郎(もとらゆうじろう)は、1888年(明治21)に帝国大学(東京大学の前身)で精神物理学の講義を始めた。その弟子松本亦太郎(またたろう)もエール大学で同じくブントの弟子スクリプチュアーE. W. Scripture(1864―1943)に指導を受け、ブントの研究室にも赴いた。彼は帰国後1903年(明治36)に東京帝国大学に、07年京都帝国大学に本格的な心理学実験室を設立し、ここにわが国の科学的心理学の基盤ができあがった。松本は両大学のほか東京高等師範学校(東京教育大学の前身)、早稲田(わせだ)大学、日本大学その他多くの学校で心理学を講じた。彼の心理学はブントの実験心理学が中心であったが、同時に発達・精神動作学(応用心理学)など広い視野にたって弟子を養成し、その門下から多数の俊秀が出て、各地の大学に心理学研究室ができるにしたがい、彼らはその教授となった。27年(昭和2)日本心理学会が設立されるとともに、松本は会長に推され、日本応用心理学会が31年に結成されたときにも初代会長となった。実に松本を除いて日本の科学的心理学の成立を論じることはできない。[萩野源一]
成熟期
大正時代隆盛であったブント流の心理学はしだいにゲシュタルト心理学にとってかわられ、第二次世界大戦前におけるわが国においてはもっとも一般的な学説となったが、その先鞭(せんべん)をつけたのは高木貞二、佐久間鼎(かなえ)などであった。しかしこのころまでの日本の心理学は、外国、ことにドイツの心理学説の祖述が中心であったが、増田惟茂(これしげ)はワトソンに先だち行動主義的な考えを述べたり、一つの学派に偏することなく、公平な視点より心理学のあり方を自ら述べるという、独自の立場をとったり、その感化力は大きかったが、若くして世を去った。昭和10年代、戦時体制に入るとともに軍事心理学が全盛となり、軍関係の機関へ就職する者が増えたが、それでも全国15大学の心理学専攻卒業生は全部で年間50名くらいであった。[萩野源一]
第二次世界大戦後
戦後になると急激にアメリカの心理学がすさまじい勢いで流入してきた。新行動主義をはじめ、社会心理学、臨床心理学が隆盛となってきた。反面、いままで強い影響力をもっていたドイツの心理学は衰え、同じヨーロッパでも、イギリス、フランス語圏、旧ソ連などの心理学が入ってくるようになった。このなかで、戦前に比較してもっとも目だつ変化は、臨床心理学(精神分析学を含む)が盛んになったことと、職場における心理学の実質的な活用の気運が高まったことで、心理学を専攻した大学卒業生は毎年2000名を超えるに至った。
 次に国際交流が盛んになったことがあげられる。1951年(昭和26)に国際心理科学連合が設立されると同時にわが国も加入し、72年には東京で第20回国際心理学会議が開催され、52か国から2500人以上の参加者(うち外国人約1400人)があった。これを契機として外国との交流はますます盛んになり、各種の専門に関する国際会議が毎年のように開かれている。研究成果もある部面では世界のトップレベルに達している。たとえば、盛永四郎をはじめとする視知覚の研究や、梅津八三(はちぞう)らの、盲聾唖(もうろうあ)者における、言語行動の形成に関する理論と実験とに基づく活発な実践研究と活動があげられる。なお日本独自の研究分野として、黒田亮(りょう)に始まり、佐久間鼎、佐藤幸治(こうじ)、秋重義治(あきしげよしはる)と続く、仏教ことに禅の心理学的研究が注目されている。[萩野源一]

研究法

どんな学問にもその学問に固有な研究法があり、逆に研究法自体がその学問の性格を決める面がある。したがって研究法を無視してその学問を語ることはできない。
 一般に科学においては、まず事実の観察が研究の第一歩である。そこから問題が生じ、それを説明するために仮説や理論が構築される。さらに、その仮説や理論は事実と合致するかどうかが吟味されなければならない。それの繰り返しによって知識は豊富になり、事実に対する理解が深まり、予測可能の範囲も広がってくる。そのためにはこの際、とくに観察の客観性が重視されなければならない。すなわち、主観性と客観性の混在に気をつけねばならない。他者についての、あるいは他者による観察が必要とされるのは、このためである。次に心理学における具体的な研究法について述べる。[萩野源一]
観察法
研究のための観察は無目的に漫然と行われるのではなく、一定の目的と方法のもとに計画的に行動や言語報告などを記録・収集するものである。それには客観性を高めるための種々の方法が開発され、また人間の観察能力を補うために映画やビデオなども用いられる。また収集された結果の処理についても種々のくふうがなされている。[萩野源一]
実験法
いま述べたものを自然観察法というのに対し、実験的観察法ということもある。普通には単に実験という。自然の状態では目的とする現象の生起の時期が不定であり、しかも雑多な要因が関与している。そこで、特定の条件を設定し、その条件下で観察を行うことが必要となってくる。通常の環境には存在しない条件を人工的につくりだし、その条件下で確立された法則が逆に自然状態での現象を説明することになる。心理学においても比較的周知の忘却の法則は、日常使用することのない無意味綴(つづ)りの学習実験によって確立されたものであり、一般的に法則には実験により確立されたものが多い。そこで実験法の発達は科学としての心理学の進歩を促すことになる。一方、人間を被験者として実験することには、人権問題その他さまざまな制約があるので、かわりに動物を使用することがしばしば行われ、また社会行動その他、複雑な現象については実験を行うことが不可能で、自然的観察が有効な場合も多い。[萩野源一]
質問紙法
前述の2方法は自然科学一般においても用いられるものであるが、人間を対象とする心理学にはまた以下に述べるような特有の研究法がある。質問紙法とは、研究対象となる問題について、あらかじめ作成された質問用紙を多くの人に配布し、記入を求める方法で、これは印刷された言語刺激に対する反応を求めることである。態度や意見、興味や人格特性などの測定を目的とし、一時に多くの資料を求めることができるので、広く用いられている。[萩野源一]
テスト法
まえもって標準化された質問や課題を印刷した用紙、あるいは器具を用いて多くの人々の反応を求め、結果は一定の手段によって得点化し、個人や集団の行動や特性の差異を数量的に明らかにしようとするものである。実施は個別的に行われたり、集団的に行われたりする。知能検査、性格検査、適性検査その他多くの種類がある。[萩野源一]
面接法
この方法は、単なる質問紙に対する回答や、テストに対する反応ではなく、直接に質問し、詳しい回答を求めるものである。それにより柔軟性のある生き生きとした資料が得られ、臨床心理学や社会調査によく用いられる。面接には特別の訓練や準備を必要とすることも多く、また面接自体が矯正効果をもつこともある。[萩野源一]
事例研究法
前記の諸方法はいずれも、特定の問題について、特定の時期における資料を得るための方法であるが、ときにより長期にわたる多方面の資料を得る必要のある場合がある。このような研究を特定の個人について行うとき事例研究という。
 これらおよびその他のさまざまな研究法を目的に応じて適用することにより、実際の研究が行われるのであるが、それらの研究法を精密化し、資料を記述し、処理するために、数学的手段が広く取り入れられ、またそれらの方法を開発するための分野が重要性をもっていることが、現代心理学を特徴づけている。[萩野源一]

心理学の課題

すでにみてきたように心理学の対象は、実体としての霊魂から意識へ、さらに外部から観察することのできる行動へと変化してきた。つまり心理学ということばができた当時と同じではない。また研究方法も、哲学的な思弁から自然科学的なものへと変化してきた。古来の霊魂説をはじめとして、心に関する理論には実証不可能なものが多かった。人間行動の因果関係については、神話にもまた、民間伝承においても述べられていることは周知のとおりである。これに反し現代の心理学は形而上(けいじじょう)学ではなく、科学として実証可能な範囲内での理論体系を構築し、その範囲内での説明を目ざすものである。科学的認識はすべて限定されたものであるが、その限定内で明確な法則性を確立しようとするものである。
 われわれが心というべきものをもっていることは、デカルトのことばを引用するまでもなく事実であり、少なくとも自分自身の意識については、ある程度直接に観察することができる。しかし自分の意識についていくら詳しく述べてみても、それは1人だけの主観的な記述であって、他人によって確認することはできない。それでは他人の心についてはどうであろうか。もちろん他人も自分と同じように心をもっていると考えることは当然のこととされている。しかし、われわれは他人の意識について直接にはなにも知ることはできない。自分が赤という意識と他人が赤ということとが同じであるという保証はどこにもない。色覚異常者のことを考えれば、このことは容易に推測できるであろう。結局、心理学は心の存在を否定するものではないが、科学が客観性をもつものである以上、客観的に観察することのできない心を直接の研究対象とすることはできない。したがって心理学は、言語その他、広い意味での行動の法則を確立することにより、心の科学的研究を目ざす学問であるということができる。またその意味で心の科学である。他の科学のことを考えてみよう。たとえば物理学において電気や力の実在を疑う人はいないが、これらは直接に観察することはできない。物理学が直接、研究の対象としているのは、その作用の結果として客観的に観察することのできる光や熱や運動である。しかも客観的であるとされるこの物理学も直接人間の体験しうる意識を通じてできたものであるのに、意識を取り扱おうとする心理学において、なぜこのような厳密な考慮が必要であるかという理由は、とかく自分自身の意識の状態を他の人に、またときには動物にさえ簡単に類推、拡大して、学問としての客観性を失うことを歴史に教えられたためである。科学の客観性については、さらにあとで述べる。
 行動生起の機序をウッドワースR.S.Woodworth(1869―1962)はS―O―Rという簡明直截(ちょくせつ)な形で示した。この図式をもとにしていままでの学説を説明すれば非常に理解しやすい。Sは刺激で本来感覚器官に作用する物理・化学的エネルギーをさす概念であるが、心理学では一般に行動を喚起する対象や事態をもさすものと考えられている。Rは反応すなわち行動であり、それは腺(せん)や筋肉の活動ばかりでなく表情や言語表現なども含め、他者により観察可能な生活体の変化である。さらに文章や絵画などもその内に含めることができる。Oは生活体、すなわち人や動物である。系統発生的な連続性を前提として動物の研究も人間理解のためには有力な分野である。ところで、Sを独立変数、Rを従属変数とすれば、Oは仲介変数となる。あるいはこれを仮説構成体と考えてもよいし、生活体条件または変数といってもよい。このようにSとRとが観察可能な変数であるのに対して、生活体変数は直接観察できないものである。ワトソン流の考え方のS―Rの機械的な結び付きですべての行動が理解できないことは当然であって、その間に生活体自体の活動があり、それを解明することこそ心理学の課題である。S自体に変化がなくても生活体条件の変化によって行動が触発されることはよく観察されるところであるし、さらに実験的にも確認されている。そこでわれわれはその生活体内の過程を、意識的なものとして考えるか、無意識的なものをも含めて考えるか、これを心と表現するか、生理的なものとして考えるか、それは各研究者によってかならずしも一致しないが、いずれにしてもいままでのところ十分に説明しうる理論はない。
 レビンはB=f(P,E)という方程式を示した。Bは行動、Pは人、Eは環境である。この式は、行動は人と環境との関数であるというわかりよい形であるが、実のところ彼の示したP、Eは心理的人、心理的環境をさしていて、仲介変数としての意味をもっているもので、それと独立変数としての人や環境との関係を明らかにしなければ、この関数式は解けない。われわれが行動をおこす環境は、かならずしも物理的なものではなく、物理的な環境をいかに認知したかということを含めて、その人のパーソナリティー特性によって行動の様式が決まるのである。むしろ行動によって、PやEの状態と物理環境との関係が明確になる。彼は前式を別にB=f(L)とも書いている。ここにLとは生活空間のことである。したがって、究極的にはやはり行動を通じてPの解明がなされなければならない。トールマンやハルその他は、種々の仲介変数や構成概念を措定してそれと独立変数との関係を解明しようと試みたが、やはり十分なものとはいえない。
 そこでワトソンとはまったく発想は異なるが、Oにはいちおう直接には触れないで、SとRとの関係をまず確立しようとする研究が多い。たとえばフェヒナーの法則も、彼の意図はともかくとして、結果としてはそうであり、精神物理学的測定法で求められた法則の多くはそれに属する。さらに全体的(マクロ)な環境と行動との関係は、社会心理学や生態学的心理学、また応用心理学の各分野では一般に行われているところである。いずれにしても客観的に観察可能な環境と行動を通じて、行動の法則、さらにそれを生ずる心の法則を解明しようとするのである。そして心理学が究極的に目ざすものは人間一般に通じる法則性とともに、おのおのパーソナリティーその他が異なる個々の人の行動の法則性の解明である。そして現在、心理学はその途を進んでいる。
 ところで、なおここで述べるべき問題が残されている。われわれは行動は客観的に観察できるという前提にたってこれまで述べてきたが、その観察もやはり個人の意識によってなされるのである。意識が主観的であるというならば、行動の客観的観察はどうして可能となるのであろうか。
 実は科学における客観性とは、対象そのものを直接示しているということではなく、その対象に関して複数の人によって一致した判断が得られることを意味しているにすぎない。前述のように「赤い」という場合も、意識内容がだれでも同じというのではなくて、ある対象に対して複数の人が「赤い」ということばで反応するところに客観性が成立すると考えるのである。物理学は客観的な学問であると考えられているが、その客観性もやはり本質的には以上に述べたところと同じで、共主観的な観察ないし測定結果に基づいているのである。したがってこの場合、使用されることばが多義的であってはならないことは当然である。その意味で日常のことばはかならずしも科学的使用にふさわしいとはいえず、科学的概念はすべて厳密な操作的定義を必要とすると主張する人々がいる。この立場によれば、概念の内容はその概念が得られた操作と同一であるとされる。たとえば知能とは知能検査によって測定されるものである。知能の本質を言語的に定義するのは非常に困難であるが、前述の操作的定義では、明確であるようにみえる。しかし実際にはさまざまな知能検査があり、それらを別々のことばでよばなければならないとすれば、たいへんに煩わしいことになる。これらを統一的に表現しようとすれば、さらに新たな操作が必要となってくる。この考え方はもともと物理学から出たものであり、そこでは当然のことと考えられているものが、人間という複雑な行動をするものに対しては、それほど簡単にはいかない。しかしこの操作主義のために、心理学で使用される概念もできるだけ客観性をもったものへ向かおうとする努力が高まってきた。
 次に心理的過程には神経過程が対応していると考えるのは常識であるし、生理学的な知識のほうがより客観的と考える見方が強い。そこで、心理過程の生理的基礎の研究やそれらの対応関係を研究する分野が盛んである。トールマンは、生理学は分子的行動を、心理学は全体的行動を研究するものであるといって、そのあいだの連続性を認めているが、現在ただちに心理学を生理学のことばで直接表現しようとすることは不可能であり、まして物理学のことばに置き換えることはできない。
 一方、レビンその他、心理学はそれ自体として、独立した論理的整合性をもつ理論や法則を確立することが心理学の目的であるとする人も多い。そのために、他の科学の知識も十分に活用すべきであることはもちろんである。ただ自我や意志の自由の問題などを、現在の生理学、まして物理学のことばで表現することは不可能である。
 いずれにせよ、心理学は、意識の主観的な記述や、心理現象の常識的あるいは思弁的な説明に満足するものではなく、行動(繰り返しいうが言語活動をも含んだ広い意での)の客観的観察に基づく実証可能な理論体系を目ざす科学である。このような意図が現在どこまで実現されているかという点については問題もあるが、その基本的方向は、すでに述べたように、一般的に認められているし、確立された法則性が加速度的に増加しつつあることも事実である。[萩野源一]

研究部門

同じ人間を対象とする医学に基礎部門と臨床部門との区別があるように、心理学においても基礎と応用の二つの部門を大別することができる。また各領域は取り扱う内容の複雑性によって、研究法や法則性発見の段階にもおのずと相違がみられる。生理学においてニューロン1個の精細な特性が解明されているのに、精神病理学における病理の十分な解明が進んでいないというようなことは、心理学においてもいえることである。このことは生物の複雑さが著しいことによるものであり、細胞1個の生物のほうが全無機物の世界よりも複雑であるとさえいわれている。しかも人間――この複雑なるものの中心は心である。
 基礎部門としては、実験心理学の発足以来盛んに研究されてきた感覚、知覚、記憶、学習、思考、感情、情動や行動などを取り扱う領域がまずあげられる。これらのうちの、いわゆる知的活動に属するものは近年、人間の情報処理という観点から、前述の認知心理学という形で包括的に取り扱われる傾向がみられる。さらに数理心理学とか、古くから発達した領域として生理心理学、動物心理学、発達心理学、人格心理学、社会心理学などの分野があげられる。
 応用部門については、前述した基礎分野の成果が実際場面に適用されることも多いが、それとは別に応用心理学という名称で独自に発達してきた研究も多い。それはさらに分化して産業心理学、職業心理学、環境心理学、教育心理学、臨床心理学、犯罪心理学などとなっている。
 しかし、前述したものは代表的な例にすぎない。専門分野はますます増大する傾向にあり、現在(1984)わが国で専門の分野に関する学会の数は20近くに達している。学際領域のものを加えるとはるかにその数は増大する。たとえば、アメリカ心理学会についていえば部門だけでも42あり、現在(1984)活躍している部門は40となっている。なお、他の科学との研究協力関係がしだいに強くなりつつあり、いわゆる学際的領域を除いて心理学を論ずることは十分でないことは他の科学の場合と同様である。[萩野源一]
『今田恵著『心理学史』(1962・岩波書店) ▽八木冕監修『講座心理学』全15巻(1968~75・東京大学出版会) ▽日本心理学会編『日本心理学会五十年史(第一部)』(1980・金子書房) ▽藤永保他著『講座現代の心理学1 心とは何か』(1981・小学館)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

〘名〙
① 科学を二大別した場合の、自然科学に対する人文科学をいう。
※百学連環(1870‐71頃)〈西周〉総論「凡そ物理外の学は即ち心理学なるが故に」
② 生物体の意識の内面的な動きの過程や、経験的具体的な事実としての意識と行動とを研究する学問。古くは形而上学の内に含まれたが、一九世紀以後実験科学として考えられている。領域は発達心理、個人心理、集団心理、応用心理など多岐にわたっている。〔哲学字彙(1881)〕
※当世書生気質(1885‐86)〈坪内逍遙〉八「心理学(シンリガク)上から考へても、夢のしらせなぞいふ事は」
[語誌]②は米国人ヘブンの著書「mental philosophy」を西周が「心理学」と訳したのが最初。同書に「メンタルフロソフー、爰に心理上の哲学と翻し、約めて、心理学と訳す」とある。西周は psychology を「性理学」、mental philosopy を「心理学」と区別して訳したが、明治一〇年以降、混用され、双方を「心理学」というようになった。

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最新 心理学事典の解説

【心理学の語義】 psychologyは,ギリシア語の気息,魂,心などを意味する「psykhe」と,ことば,理性,学などを意味する「logos」とに由来し,心についての学理的探究をいう。最初の用例は1594年のゴクレニウスGoclenius,R.とカスマンCasmann,O.の『人間学的心理学Psychologie Anthropologica,Sive Animae Humanae Doctrina』にあるといわれる。英語圏では,1693年にブランカートBlankaart,S.が,その『医学辞典The Physical Dictionary』の中で人間に関する学問を二つに分け,一つは身体を扱うanatomy「解剖学」,もう一つは心を扱うpsychology「心理学」としたのが最初の用例とされ,心身二元論に立って心理学を規定している。日本語の「心理学」は,明治初期に啓蒙思想家として多くの学術用語を創りだした西周の造語である。ただし,西は初めへブンHaven,J.の『Mental philosophy』を「心理学」と翻訳し,psychologyに対しては「性理学」を当てていた。へブンの著書は能力心理学で裏打ちした道徳哲学の趣だが,西はここから江戸期に庶民道徳を説いた心学を連想し心理学としたのではないかと矢田部達郎(1957)は示唆している。心学も陸象山らのいう性理の学の流れをくむものだから,使い分けには疑問が残る。性理には人間性の原理といった意味もあるから,あるいはpsychologyが人間学の一分野とされていたことを意識した可能性もある。しかし,心理学は語源からみてもpsychologyの訳語にふさわしく,その後しだいに定着していった。

【近代心理学の成立と分化】 心理学の進展は,ブントWundt,W.が1879年ライプチヒ大学に大規模実験室を備えた心理学教室を開くことによって初めて公式の学問領域に市民権を得た。彼はその『生理学的心理学綱要Grundzüge der physiologischen Psychologie』(1873~74)に,本書は「新しい科学の領域を定める」ものと宣言しているが,その背景にはデカルトDescartes,R.により西欧思想の主潮となった理性論(合理主義)の教義である物心二元論が心理学の成立を後押しした事情がある。19世紀には学問領域の分化が目覚ましく,ミルMill,J.,コントComte,A.など多くの思想家が物心二元論に基づいてその区分と体系化を試みた。物の世界の基礎学が物理学とされたのに対し,心の世界のそれは心理学だった。心理学は実際の誕生以前にすでに人文諸科学の王座を約束されていた。

 初期のブント心理学はフェヒナーFechner,G.T.の創始した精神物理学を体系化し,分析と総合という科学の一般的方法を適用して系統的観察と計測により意識の解明をめざすものだった。だから,意識主義(心理学)consciousness psychologyとも実験心理学ともよばれている。以降,心理学は意識の科学と定義されるようになった。この時代まで人の心の本体は意識にありと信じられていたので,語義と定義の間に矛盾はなかった。

 ブント心理学は,感覚の計測(定量化)により意識の要素の究明をめざした。感覚が標的とされたのにはブントが生理学出身という理由もあるが,より大きいのは感覚主義の影響であろう。理性論は理性とそれによる高次知識は心の先験的所与とするのに対して,イギリス経験論は「心は白紙」と唱える。いきおい普遍妥当な知識の獲得を説明する理論が必要となり,認識論epistemology(知識学theory of knowledge,cognition theory)が成立する。これに応えたのは,要素的な経験や観念が連合して高次の知識を形成するという連合の原理であり,連合主義心理学を導いた。ここで反省その他の内的要因を認めずすべての認識の源泉は感覚のみに帰着すると説く極端な経験論を感覚主義(感覚論)sensationalism,sensualismとよび,経験論のヨーロッパ大陸への移入に伴いコンディヤックCondillac,E.B.deらによってさらに強化された。感覚研究は生理学から分化した新科学であるばかりでなく,認識論の中心課題を解くものでもあった。その意味で,ブントの新科学は大陸理性論とイギリス経験論との巧妙な融合でもあった。その心理学は世界的反響をよび,日本を含む各国からの留学生がブントのもとに集まり,大講堂での講義には人があふれたという。門下生によりブント心理学は世界に移植され,その後のアカデミックな心理学の正統を築いた。

 しかし,意識主義の全盛も長くは続かず,やがて叛旗を掲げる新学派が20世紀初頭にこぞって登場してくる。主領域の感覚研究に対して,ゲシュタルト心理学Gestalt psychologyはブントの説く感覚研究には前提として要素主義,連合主義,感覚恒常性が仮定され,感覚はあたかも煉瓦細工に似ると批判した。ありのままの事物の姿こそ第1次の所与であり,そのまとまりのあり方であるゲシュタルトGestaltを作る先験的要因を規定し,それらを統合して最もよく分化した全体構造を生み出す力動的機制としてのプレグナンツの法則(簡潔性の法則)Gesetz der Prägnanzを説いた。ブント派による感覚の実験心理学もいくつかの成果を収めはしたが視野の狭さは争えず,ゲシュタルト学派の主張に席を譲り感覚はむしろ生理学の主題となっていった。外界の認識については,要素的な感覚よりも全体論的な「知覚」という用語が採用され心理学の主力分野に成長していく。この経過は経験論から理性論への回帰を示している。論理哲学者のウィトゲンシュタインWittgenstein,L.(1933)は,認識論は哲学よりも心理学の精練すべき課題だったと指摘しているが,前述の経過はそれを裏づける。

 ゲシュタルト心理学の興隆は,認識研究というそれまでの正統における主権交代にすぎないといえるが,その他の学派の主張は心理学の正統そのものを揺るがした。フロイトFreud,S.による精神分析psychoanalysisは,心の世界を意識を超える無意識にまで拡張し,むしろ無意識こそ心の本体と主張する。意識主義の心理学は根底から覆された。

 新大陸アメリカでも,パブロフPavlov,I.P.の条件反射学に触発されてワトソンWatson,J.B.が唱導した行動主義behaviorismが起こり,意識や心という内在的・主観的存在は科学的研究の対象ではない,心理学も自然科学と同様に間主観的に観察可能な刺激と行動のみに対象を制限すべきだと主張した。心の研究という心理学の語義は行動主義では無効になり,「心なき心理学」とよばれた。行動主義はまた,学習という研究分野の興隆を導いた。以降,心理学そのものの定義も大きく変わることを免れない。内外問わず現行心理学辞典の多くは,心的体験と行動の研究,または端的に行動の科学と定義している。これに伴い,心理経済学とよばれてもよい領域が行動経済学とされるなど用語の交代が行なわれてきた。

【ヘルムホルツ学派と近代心理学】 新しい諸学派の登場は心理学の分裂のように見えるが,実は一つの共通項でくくられてもいた。19世紀中葉のベルリン大学にはヘルムホルツHelmholtz,H.L.をはじめデュ・ボア・レイモンDu Bois-Reymond,E.H.,ブリュッケBrücke,E.,ルドウィッヒLudwig,K.の4人の生理学者が集まり,強固なサークルを作っていた。ヘルムホルツは物理学者としても盛名が高く,明るさの対比効果について無意識の推理という心理学的原理を唱えるなど当代のエンサイクロペディストだった。彼はすべての自然現象は物理的エネルギーの変化の過程や産物として説明できると信じていた。この時代,生命現象は単なる物質的作用としては説明できずそれ以上の神秘な生命力を仮定しなければならないとする生気論vitalismはなお有力な地位を保っていた。生命現象も他の自然現象と同様な力学的変化として説明できると信じるヘルムホルツ学派にとって,生気論は最大の標的であった。19世紀後半には,ヘルムホルツ派の主張はドイツの医学や生理学を支配するに至った。

 近代心理学を築いた人びとは,皆ヘルムホルツ派の教義のもとに青年期を過ごしている。ブントはデュ・ボア・レイモンに学びヘルムホルツの助手を務めた。パブロフはルドウィッヒに学んだ。フロイトもブリュッケの門下生としてその教室の助手に任じられた。力学的自然観が生命の領域を支配下に収めるならば,やがて心の領域にも及んでいくのは必然だった。

 ブント,フロイト,パブロフに共通するのは,先進自然科学に倣う精神の科学の創設であり,従来の観念的な心理学とは一線を画する姿勢である。その自負と意欲はブントの宣言によく現われている。しかし,力学的自然観の受け取り方は三者三様だった。ブントは観察と計測による実証的方法を重視し感覚という対象に適用した。フロイトの初期の体系は生理学的概念や法則に依拠しようとする努力が目立ち,たとえばリビドーlibidoもホルモン様物質の発見に触発されたものという。彼はしだいに独自の心理学的概念を作り上げていくが,エネルギー保存の原則は変わらずに保持されている。パブロフは心の独自性を認めず大脳両半球の機能解明で足りるとしていたが,これはワトソンに文字どおり受け継がれた。これらの経緯は,心および科学をどのように解釈するかによってその心理学の性格は大きく変わることを示し,後の展開を予告する。

【心理学諸領域の展開】 近代心理学における心の概念は多様であったが,科学主義と実証的方法は広く浸透した。以後,心理学にふさわしい手法の整備が大きな課題となり,また周辺諸科学の動向が直ちに影響を与える傾向が強まった。その反動として,人間的事象の歴史性・一回性・独自性・個体性を強調し心理学の自然科学化に反対する主張もディルタイDilthey,W.やシュプランガーSpranger,E.の了解心理学Verstehende Psychologieなどとなって展開された。この対立は現在も解消されず,了解的手法は臨床やそれに類比される領域に広まっていった。他方,心の中心は意識と理性にありとする意識主義の公理が覆されたことにより,心理学の対象は大きく広がり新しい主張と領域の開拓とが並行して進んだ。とくに旧大陸の心理学思想が新大陸アメリカという異なる文化的風土に移植されることにより,異質な発想に生まれ変わり新奇な探究を促進することの寄与が大きかった。主な動向を次に挙げる。

1.力動心理学とパーソナリティ研究 イギリス人ティチェナーTitchener,E.B.によりアメリカに移植されたブント心理学はいっそう強固な構成主義へ進展したが,アメリカ心理学の祖といわれるジェームズJames,W.は「意識は流れ」と説き,ブントの構成観と対立する見地を示した。この流れは,意識の構成よりはその機能を主題とするデューイDewey,J.らの機能主義へと展開し,行動主義と並ぶアメリカ心理学の流派となった。構成主義と機能主義の会同は,ウッドワースWoodworth,R.S.(1918)による力動心理学の主張を生んだ。彼は,旧来の実験心理学を「いかにhow」の心理学とよび,それに対して「なぜ,何のためにwhy,for what」の解明をめざす心理学体系を力動心理学(動的心理学)dynamic psychologyと名づけた。前者が心の構成の機制を主問題とするのに対して,後者は行為の動機や目的解明をめざすとする。この主張においては心理学の基本原理は分割され,異なる体系化による研究領域の開拓が示唆された。

 実際それまでのヨーロッパ性格学の主流は遺伝的な体質・気質を強調し,これに呼応するようにヨーロッパ精神分析学も深層心理学Tiefen Psychologieとよばれて動機論よりも無意識の構造論に関心を寄せる。しかし,精神分析もまたアメリカでは無意識論よりは徹底した動機論として受け入れられ,これに社会的相互作用の重視論も付け加わる。力動心理学はアメリカでは精神分析の別称ともなった。これらを契機にして,アメリカ心理学ではパーソナリティ研究personality studyという新領域が大きく開けていった。当初オルポートAllport,G.W.の折衷主義が主流をなし,特性論に基づく質問紙法が発展し多種多様なパーソナリティ・テストが生み出された。また1950年代のアドルノAdorno,T.W.,ブルンスビクBrunswik,E.らによる権威主義的パーソナリティauthoritarian personalityの研究は,社会学・社会心理学・精神分析・認知心理学などの会同と総合によるこの分野での記念碑的業績を示している。その後はむしろ社会的環境を重視する状況主義が唱えられ,アメリカ独自のパーソナリティ理論が成熟していく。

2.知性観と知能テスト ヨーロッパ心理学の伝統の一つに能力心理学faculty psychologyがある。心のもつ能力(権能)を系統的に分類整理しようとする思弁的心理学を指し,さまざまな試みの末19世紀初めころには知情意三分説に落ち着いたが,知性は理性論の伝統によって最上位に位置づけられ,知性の研究は心理学の主目標となった。この要請に応えて史上最初の科学的知能テストを作ったのは,ダーウィンDarwin,C.の従兄弟で優生学の提唱をはじめ社会学・心理学・統計学など多彩な業績を残したゴールトンGalton,F.であった。彼は,当時失語症の病巣発見から脳の機能解明へと進んだ脳科学とイギリス伝統の感覚主義の二つの理論的支柱によって,演繹的にテストを構成しようと試みた。ゴールトンは進化論や遺伝に関心をもち優生学に見るように人種や個人間序列の絶対性を信じていたから,彼のテストが格差実証のため使われるのは自然の勢いだった。知能の人種間格差の問題はすでにここに兆している。しかし,ゴールトンテストは成功せず,反対に年齢に相応する問題解決能力という通念に沿う資料収集を行なう帰納的方法によって,最初の実用的テスト開発に成功したのはフランスのビネーBinet,A.とシモンSimon,T.だった。彼らはパリ市当局の依頼であらかじめ遅進児を選別できるテストを作ろうとした。ここから見てわかるように,ビネーテストの本質は発達の水準を測る発達尺度であった。ビネー-シモン尺度Binet-Simon scaleは遅進児判別に奏効し世界に広まったが,その後の発展はむしろアメリカのターマンTerman,L.M.の努力によるところが大きく,元来のビネー版よりもターマンのスタンフォード-ビネー尺度Stanford-Binet intelligence scaleが代わって世界に普及した。ターマンと門下生の業績のうち特筆されるのはカリフォルニアの英才児giftedの追跡研究である。彼らはIQ140以上の優秀児がどのように成長するかを追跡し成人期に達しても,IQの水準は不変,身体的にも情動的にも安定,大学卒業率など学業や職業地位・収入などにも優れ,社会的成功度が高いという包括的結果を見いだした。IQテストは本来発達検査のはずであるが,以降IQこそは成功の第1指標とするIQ神話が生じ今も社会通念になっている。これに触発されてIQに関する膨大な資料が蓄積され心理学の共通財産を作った。しかし,カリフォルニアの英才児からは一人も傑出した才能は出なかったのに対し,皮肉なことにIQが140に届かず英才児の選に漏れた子どもの中からノーベル賞受賞者が二人も出現した。知性のすべてをただ一つの数値で表わすのは序列化願望の所産であり,もともと無理な企てだった。ギルフォードGuilford,J.P.らによる創造性の研究が起こり,またこの20~30年来はガードナーGardner,H.の多重知能理論をはじめとする知能のパラダイム変革の動きが著しい。知能研究の大きな副産物として相関をはじめとする統計数理的概念の発展を促し,因子分析のような優れた多変量解析の技法が生み出された。因子分析は今や他の学問領域でも多用されるに至っている。

3.児童研究から発達心理学へ 意識主義のもとでは,児童は精神障害・未開社会人・動物などと並んで十分な意識体験をもたないから心理学の対象にはならないとみなされていた。しかし,女性解放運動家ケイKey,E.が『児童の世紀』で説いたように,20世紀に入ると西欧社会ではそれまで男性の家父長的権力のもとに女性と並んで抑圧されてきた児童の権利擁護を唱える運動が急速に力を得た。この動きはアメリカではホールHall,G.S.の質問紙調査による児童研究として結実し,やがて児童研究運動child study movementという実践的活動と児童心理学建設という理論的活動の二つの流れに分岐していった。ホールは,ダーウィンの発想をヘッケルHaeckel,E.H.が定式化した個体発生は系統発生を繰り返すという反復発生説recapitulationismを柱として,それまでの心理学諸学派とは異質の原理に立つ児童心理学child psychologyを創始した。意識主義とは無縁なアメリカの文化的風土のもとに,児童心理学という新しい領域が初めて生まれた。しかし,アメリカの児童心理学は児童研究運動の双生児として誕生した由来をもち,ワトソンのいう孤児を思いのままに育てられるとする環境万能論の行動主義に抗して,児童の内的権利――その自律性を守ろうとする気風が強い。ゲゼルGesell,A.L.をはじめとするアメリカ児童心理学は,生得の発達機制としての成熟maturationを重視する成熟説を唱え環境-学習要因はとくに初期発達においては無効と主張してきた。行動主義全盛時代のアメリカ心理学界では異端の一王国の趣があったが,第2次大戦後ユネスコの生涯学習の提唱に伴い,ピアジェPiaget,J.,ビゴツキーVygotsky,L.S.らによる認知発達研究が導入され,ブルーナーBruner,J.S.やハントHunt,J.McV.らも加わり認知発達は一躍花形研究分野に飛躍した。ピアジェ説は発生的認識論épistémologie génétiqueとよばれているようにヨーロッパ思想の伝統をなす認識論を発生(発達)という視点から解こうと試みる。ビゴツキーはまた,マルクス主義に基づく社会・文化・歴史的発達観という発想による独自な探究方式を示した。こうして認知発達や生涯発達が問題となりまた発達研究の方法論としての役割が確認されるとともに,児童心理学も変貌し発達心理学developmental psychologyという名称に置き換えられていく。一方,アメリカでは児童研究運動はまたその理論的領域として教育心理学へと発展した。

4.社会心理学の展開 心理学は個人中心の視点や探求が主力をなしてきたが,人間が社会的存在であることはすでにギリシア時代から指摘されてきた。その流れの上にフランス革命の民衆蜂起を契機にして集団行動は個人と異なる原理によるのかという問題が生まれ,ル・ボンLe Bon,G.による『群集心理学Psychologie des foules』(1895)が提起された。群集心理とは被暗示性や情動の亢進,匿名性と無責任などの非理性的特性が強いと説かれた。フロイトはこれに対し,群集はエロスの発現による社会的再結合体の側面をもつとして集団心理の積極性を擁護した。ここには当時のヨーロッパ社会が階級対立の激化に脅かされていた背景がうかがえる。同時期のフランス社会学者デュルケムDurkheim,E.は社会的・集合的存在の個人に対する独自性―外在性と拘束力―を唱え大きな影響を与えたが,このような動きは合体して社会心理学という新領域の開拓を促した。1908年たまたま期を同じくしてアメリカの社会学者ロスRoss,E.A.とイギリスの心理学者マクドゥガルMcDougall,W.がともに「social psychology」(社会心理学)を表題に冠する著書を発表した。マクドゥガルの社会心理学は社会的本能を強調し,また永続的・組織的集団に存在する超個人的な集団心group mindの概念を提起し,先の問題意識を継承している。しかし,こうしてヨーロッパで生まれた問題意識は,フロンティアの国アメリカでの社会的相互交渉重視の文化と出会うことにより本格的に開花し,社会心理学の領域が確立された。初期には同調行動など当初の問題検証が試みられていたがしだいに研究範囲は拡張され,とくに1932年ナチスに追われ渡米したレビンLewin,K.は,ゲシュタルト派の発想に立って場理論と力学観を導入して集団力学group dynamicsを提唱した。レビン派はアクションリサーチや参加観察による巧みな実証的手法をもたらすなどアメリカ社会心理学の発展に大きな功績を残した。

【近接領域との相互交流】 心理学は人間性にかかわるすべての学問領域と関連するため,近接諸領域における進展や変動に直ちに影響を受け,また逆の影響も及ぼす。連合主義は条件反射学と結びついて,「学習」という分野が生まれた。また,実験心理学はもともと生理学から派生したから生理心理学の発展は半ば必然であり,現在の脳科学にも連なっている。精神分析は精神医学にも浸透し,力動精神医学が起こったなど,歴史的な背景は上述した。近年の大きな相互交流には次が挙げられよう。

1.文化人類学 アメリカの文化人類学者ミードMead,M.は『三つの未開社会における性と気質Sex and temperament in three primitive societies』(1936)において,西欧社会とは反対の性役割をもつ文化の存在を報告し大きな衝撃を起こした。ミードの報告には伝聞と誇張が多く必ずしも真実ではないと批判されたが,性差は不変かつ普遍とする伝統的観念に動揺を与え,やがてフェミニズムの波に伴いジェンダー心理学を開く契機になった。

2.遺伝学 1953年のワトソン-クリックモデルの提唱により,遺伝子の構造が解明され遺伝学は飛躍的な進歩を遂げた。発達心理学は生物系科学の基本問題の一つとして早くから「遺伝と環境」の関係に関心が深かったが,遺伝学の発展は大きな刺激になり従来の血縁法を改良して大規模なサンプルの収集と数理統計的解析を主眼とする行動遺伝学behavior(behavioral)geneticsが発展し,それまで環境として一括してきた概念は少なくとも共有・非共有環境の二つに区分されるなどの新知見を見いだしている。

3.比較行動学 古くから動物への関心は深くさまざまな研究が行なわれてきたが,心理学的研究としては19世紀末にすでにソーンダイクThorndike,E.L.はネコによる問題箱実験の結果から動物には見通し能力はなくその学習は試行錯誤trial and errorにすぎないとした。ゲシュタルト学派のケーラーKo¨hler,W.は,これに対し動物も系統発生の序列に応じてそれなりの洞察insightをもち,チンパンジーは道具を使いこなすだけではなく簡単な道具製作も可能なことを示した。デカルトの動物機械論に見る人間以外は知性をもたないという西欧的動物観は疑われ,比較研究の必要性が示唆された。この要請は,ローレンツLorenz,K.Z.やティンバーゲンTinbergen,N.らが主導し,形態進化とは次元の異なる行動の系統発生の研究をめざす比較行動学comparative ethologyによって満たされた。比較行動学は刷り込みという現象を発見して発達心理学に大きな影響を与え,ボウルビーBowlby,J.による愛着概念とその研究を促した。刷り込みに伴う臨界期の知見も発達期の概念に変革をもたらした。さらに,比較行動学は霊長類学や認知考古学などの進展と相まって進化心理学という新しい領域を開く貢献をも果たした。

4.言語学 言語は思考との関連で早くから心理学の対象になっていたが,ドイツの民族学者フンボルトHumboldt,K.W.に由来する言語相対性の仮説はアメリカの人類学者サピアSapir,E.とウォ―フWhorf,B.L.のアメリカ先住民言語研究に基づく裏づけを得て,思考と認知の研究に影響を与えた。ピアジェの自己中心語説はビゴツキーの外言-内言移行説による批判を受け,この論争を契機に言語と思考との関連に改めて注目を集めた。これら諸説は言語心理学の興隆を促した。しかし,チョムスキーChomsky,N.は,スキナーSkinner,B.F.の条件づけ言語理論に代表されるアメリカ的経験論-行動主義の全盛を批判し,理性論の復活をめざして言語は理性論的心理学の前線を開くとする構想を生成文法generative grammarに結晶し,『文法の構造Syntactic structure』(1957)を著わした。以後言語論の隆盛につれて,言語心理学などの名称は衰え心理言語学,社会言語学,神経言語学などへの衣替えが行なわれた。また,ブントは後期には記憶以上の高次精神過程は実験的方法の対象にはならず言語・民族学的資料の分析が唯一の方法としたが,この発想は文化心理学を展開させる遠因になった。

5.情報科学 言語論の転回が契機となり,コンピュータの飛躍的進歩とそれを支える情報科学の急速な発展によってアメリカでは行動主義から認知主義への主権交代が行なわれたといわれる。心理学でも従来の記憶や思考など単一機能とみなされてきた諸領域が認知論の視点のもとに統合され,認知心理学cognitive psychologyが隆盛となった。認知心理学的研究は他領域にもさまざまな影響を及ぼした。顕著な例は経済学にある。経済学は人は最大限の利得を求めて合理的に振るまう(経済人)という仮定に立っている。しかし,カーネマンKahneman,K.とツベルスキーTversky,A.は人間の判断が合理的とはいえない根拠に基づく多くの事例を提示した。こうして,意思決定における非合理的・情動的要因を考慮に入れた経済学の新しい体系化が試みられ行動経済学behavior(behavioral)economicsとよばれている。前述の行動遺伝学や行動療法などの名称と考え合わせると,アメリカでは行動主義は,なお根強い底流をなしていることが知られる。

【心理学の研究分野】 前述したように,心理学の研究領域はヨーロッパとアメリカ両文化の異種交配また近接領域との交流によっていわば雑種強勢的に変容と新分野開拓を繰り返し発展してきた。今後ともこの情勢は続くと予想されるから,心理学の研究領域は他の学問分科より流動性が高いと考えられる。ちなみに本事典の第1版(1957)の「心理学」の項目では,1.知覚,2.記憶,3.思考,4.感情,5.意志,6.人格,7.発達心理学,8.動物心理学,9.民族心理学,10.社会心理学,11.臨床心理学,12.教育心理学,13.産業心理学の13分野が挙げられている。第2版(1981)の「心理学」の項目では,1.知覚・感覚心理学,2.記憶心理学,3.思考心理学,4.感情心理学,5.欲求・意志心理学,6.学習心理学がまず挙げられ,その他として動物心理学,児童・青年・老年心理学,文化発達の心理学,異常心理学,差異心理学(知能,性格),社会心理学,また児童心理学を中心に動物,未開などを合わせると発達心理学,さらに以上の理論的領域に対する応用的領域として教育心理学,臨床心理学,産業・経営心理学,犯罪・司法心理学が数えられている。学習心理学の急速な発展,臨床心理学,犯罪・司法心理学などの市民権の承認と,約4半世紀の間にかなりの変化がうかがえる。むろん分野名は領域の分類法や次元に従って変動するから,建築心理学という講座の置かれている大学もあったりする。新登場といっても,多くはマイナーとみなされていた分野の発展確認にすぎない。しかし,それなりの安定と進展の両側面が知られる。

 本事典は約30年ぶりの新版になるが,立項の分野分けとして理論,方法を別に,おおむね生理心理学,知覚,学習,言語,認知,感情,性格,臨床,社会,教育,発達,法心理学,産業心理学,進化心理学の14を区分している。同様な安定と進展の様相が見られる。ただし,これらすべてを同列と見てはならない。性格(パーソナリティ)分野が前述したように力動心理学の代表領野とするなら,それは実験心理学とは異なる体系化原理の本拠となる。たとえば「対人知覚」や「認知スタイル」などの研究には,同じ用語を使っても正統の知覚や認知研究とは異なる目標と手法が取られている。知覚,学習,認知,言語,生理などはhowの心理学の色彩が濃くその他はむしろwhyの心理学に属するが,これらの間には微妙な交差分類が生じている。藤永保(1982)は,発達心理学も,実験心理学や力動心理学とは異質の体系化原理を含み,他分野と同列というよりはメタ分野に近いことを指摘した。知覚の発達,学習の発達その他の暗黙の交差分類が容易に生じることに同様に注意しなければならない。

【現代心理学の課題】 近年の心理学はきわめて急速な発展を遂げたために,そこに潜む問題点は見逃されがちである。たとえば,心理学は統一科学かがしばしば問われる。これに対し科学革命の提唱者クーンKuhn,T.S.(1962)は,心理学は統一的なパラダイムをもっていないのでいまだに科学の前段階としている。近代心理学の成立と分化の節で述べたように,それらはそれぞれ心についての特定視点を選び取ることによって成立した。同様な過程はその後も引き続いている。心理学諸分野は定義的属性に立って統合されているのではなく,ウィトゲンシュタイン(1953)の言う家族的類似性に基づいて同種領域とみなされているとするのがより適切である。ブントの自負に見るようにアカデミックな心理学は生理学の自然科学化の道を追随したから,人文・社会科学の中では最も早く実験と計測などの実証的手法を取り入れ,因子分析など独自の数理的解析法を編み出すなどによって新しい成功を収めてきた。しかしそうした成功にもかかわらず,実証的手法が十分に適用しうる分野は限られ,実験研究の生態学的妥当性も問われている。了解心理学に始まり,人間性心理学,現象学,社会的構成主義など心理学の自然科学化に反対する学派も数多い。物理学など先進諸科学とは異なり心理学の対象は複雑多岐にわたるから,同様な統一的パラダイムを求めるのは困難である。その意味では西周の初めの命名「性理学」が示唆するように,心理学を意識と行動の科学と妥協的に定義するよりも,主として個体中心の視点から多様な方法により人間性の諸側面の多角的な解明と統合的理解をめざす研究領域の総称とするのが実情に近い。

 心理学の外見が統一的に見えることには,もう一つの隠れた要因がある。アメリカは心理学社会とよばれるように,その心理学は質量ともに世界の圧倒的優位を占めている。イギリスの心理学者アイゼンクEysennck,W.M.(2000)は,アメリカの大学生の平均的結果があたかも一般法則のごとくに通用していると批判した。アメリカ的基準が基軸価値と化し統一的外見を作る反面,その含む偏りや狭さも見逃しえない。より高い普遍性を求める努力は当然のことだが,現代心理学の発展経緯に見たように新旧両大陸の異なる文化的価値の交流が新分野の開花を促した歴史を忘れてはならない。メスメリズム(動物磁気)と同一の思想は中国の禅宗にも認められるという。心理療法の起源はインドのヨガにあり,東西に広まった可能性がある。現行心理学が今まで無視してきた異種文化との交流を果たしその価値を取り入れることによって,より豊かな普遍性の獲得が期待される。最近,個人主義対集団主義,幸福感などについて,アメリカの研究者による大規模な比較文化的調査研究がいくつか行なわれたのはその第一歩となり得る。

 近接領域との交流が発展の原動力となった事例を考えると,現在脳科学の進展が目覚ましいことは注目を引く。分離脳や盲視の知見から意識はできないのに見ることはできるといった従来の意識観からは理解できない現象が見いだされ,意識consciousnessとは何かが改めて問われている。20世紀がフロイトによる無意識発見の世紀だったとすれば,21世紀は意識の再発見の時代といえよう。意識の階層性とその機能の解明が望まれ,それにより心の概念にも変革が生じ,ひいては心理学の再体系化が課題となろう。 →意識 →学習 →機能主義 →言語心理学 →社会心理学 →人格 →進化心理学 →心理学史 →精神分析 →知覚 →知能 →認知心理学 →能力心理学 →発達心理学 →比較行動学 →力動心理学
〔藤永 保〕

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世界大百科事典内の心理学の言及

【心】より

…心が固有の精神現象であるなら,その成立ちや機能を改めて考える必要があり,17世紀後半からの哲学者でこの問題に専念した人は多い。心を〈どんな字も書かれていず,どんな観念もない白紙(タブラ・ラサtabula rasa)〉にたとえた経験論のロック,心ないし自我を〈観念の束〉とみなした連合論のD.ヒューム,あらゆる精神活動を〈変形された感覚〉にすぎないと断じた感覚論のコンディヤックらが有名で,こういう流れのなかからしだいに〈心の学〉すなわち心理学が生まれた。ただし,19世紀末までの心理学はすべて〈意識の学〉で,心の全体を意識現象と等価とみなして疑わなかった。…

【社会科学】より

…人類学は自然科学と社会科学にまたがる学問であるが,それの社会科学部門である社会人類学および文化人類学は,その理論的な部分を社会学と共有する。心理学も自然科学と社会科学にまたがる広大な学問で,前者に属する部門のほうが後者に属する部門よりもずっと大きく,そして後者は社会心理学になるからこれを社会学に含めて考えることができる。経営学,行政学,教育学などは,それぞれ企業,官庁,教育組織という特定領域の問題を専攻する領域学で,学問分野としては経済学や政治学や社会学や心理学に還元される(経営経済学,経営社会学,経営心理学等々)。…

※「心理学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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