児童期の心性を研究対象にする心理学の一分野。ただし、ここでいう児童期の範囲は常識よりは広く、出生直後から小学生くらいまで、すなわち乳幼児期から学童期までを含む。現在は発達心理学の下位領域とされるのが一般的であるが、歴史的にはむしろ一つの特殊な個別領域として生成してきた。西欧世界では伝統的に子供は「小さな大人」とみられることが多く、児童期がとくに重視されることはなかった。しかし、18世紀から19世紀にかけて、ルソー、ペスタロッチ、フレーベルらにより、成人とは異なる児童の心性が強調され、ようやく児童期への注目が集まるようになった。エレン・ケイのいう「児童の世紀」が待望されたのである。この機運を受けて、19世紀末にドイツのプライヤーW. Preyer(1842―1897)が自分の子供の生後3年間の観察記録を発表し、またアメリカではスタンリー・ホールが質問紙法を用いて小学生の意識内容を明らかにして、ともに大きな影響を与えた。とくに、ホールは、進化論の影響を受けて「個体発生は系統発生を繰り返す」という反復発生説を児童心理学の理論的支柱に据(す)え、その学問的基礎を確立した。他方、児童の科学的研究を目的とする児童研究運動を世界各国に呼びかけ、この運動はヨーロッパにも広まっていった。また、門下からは児童学の創設を提唱する人々も現れた。このように、初期の児童心理学では、心理学よりもむしろ児童のほうに比重が置かれていた。広い目でみれば、児童の独自性への認識とそれに基づく児童の権利の擁護というルソー以来のヒューマニズム運動の一つの支流をなしたものといえる。したがって、それは歴史的にきわめて独自の一分野とされ、また理論的研究よりはむしろ児童の教育、臨床などの実践的領域の科学的基礎を与えようとする傾向が強かった。
これに対して、1960年代以降全生涯にわたる発達研究への関心が高まるにつれて、児童期だけを孤立させて扱うことへの疑問が生じ、そこから児童期を全生涯中の一つの発達期として位置づけ、また児童心理学も発達心理学全体のなかの一つの下位分野とする考え方が強くなってきた。したがって、児童心理学を独自の個別領域とする考え方は薄れ、またこの名称自体もしだいに学界では使われることが少なくなってきた。しかし、一般的にはわかりやすさという利点が大きいのでなお活力を保っている。児童心理学の方法や研究目標などは発達心理学のそれに吸収されてしまった。しかし、今日の発達心理学の研究も教育、しつけ、精神衛生などへの適用が意図されて行われることが多いのは、プライヤーやホール以来の児童心理学の伝統が依然として生きていることを示している。
[藤永 保]
『マッセン著、今田恵訳『児童心理学』(1966・岩波書店)』▽『藤永保編『児童心理学』(1973・有斐閣)』▽『ジャン・ピアジェ著、大伴茂訳『ピアジェ臨床児童心理学』1~3(1977・同文書院)』▽『津守真著『子どもの世界をどうみるか――行為とその意味』(1987・日本放送出版協会)』▽『秦一士・平井誠也編『児童心理学要論』(1988・北大路書房)』▽『村田孝次著『児童心理学入門』3訂版(1990・培風館)』▽『村井潤一他編『新・児童心理学講座』1~17(1990~1993・金子書房)』▽『岡本夏木著『児童心理』(1991・岩波書店)』▽『波多野完治著『波多野完治全集6 児童心性論』(1991・小学館)』▽『内須川洸著『臨床児童心理学』増補(1991・協同出版)』▽『藤永保編『現代の発達心理学』(1992・有斐閣)』▽『大日向達子他著『発達心理学』(1992・朝倉書店)』▽『波多野完治編『ピアジェの発達心理学』(1993・国土社)』▽『波多野完治著『ピアジェの児童心理学』(1996・国土社)』▽『野本三吉著『子ども観の戦後史』(1999・現代書館)』▽『ジャン・ピアジェ著、滝沢武久訳『思考の心理学――発達心理学の6研究』(1999・みすず書房)』▽『塚田紘一著『子どもの発達と環境』(2000・明星大学出版部)』▽『三浦香苗他編『教員養成のためのテキストシリーズ2 発達と学習の支援』(2000・新曜社)』▽『谷田貝公昭他編『幼児・児童心理学』(2001・一芸社)』▽『野呂正他著『児童心理学』(2001・新読書社)』▽『ヴィゴツキー著、柴田義松他訳『新 児童心理学講義』(2002・新読書社)』▽『桜井茂男他著『子どものこころ――児童心理学入門』(2003・有斐閣)』▽『日本児童研究所編、稲垣佳世子・高橋恵子責任編集『児童心理学の進歩』2003年版(2003・金子書房)』▽『モーリス・ルシュラン著、豊田三郎訳『心理学の歴史』(白水社・文庫クセジュ)』
広義には出生から青年期の開始期(おおむね12,13歳)までの子ども,狭義には小学校在学の子どもを対象とする心理学を指し,学童心理学と呼ばれることもある。感覚,運動,認知,記憶,思考,情緒,社会性などの発達を扱う,発達心理学の一分野である。
児童心理学の成立の前史にはJ.J.ルソーによる〈子どもの発見〉,子どもの自然に即した教育の主張がある。1787年のティーデマンD.Tiedemannの児童観察記録〈児童における精神力の発達に関する観察〉は児童心理学の最初の文献ともいわれるが,これはこうした思想の影響を強く受けたものである。しかし児童心理学が近代科学としての体裁を整えるのはプライヤーW.Preyerの《児童の精神》(1882)が出てからである。その後この学問はアメリカにおいて大きな発展をとげる。G.S.ホールによる児童研究運動が契機となり,いくつかの大学に児童研究所が開設されて組織的な研究が進んだ。A.L.ゲゼルやジャーシルドA.Jersildがそこで重要な役割を果たした。他方,ドイツではビューラー夫妻K.& C.Bühler,シュテルンW.Stern,ウェルナーH.Wernerらが輩出して,1940年前後から研究の発展をみた。またフランスではH.ワロンが精神医学の成果をもとり入れながら理論の体系化をはかり,ジュネーブ大学の研究所ではJ.ピアジェが発生的認識論研究の一環として児童研究を行い,今日の児童心理学に甚大な影響を与える理論の構築を進めた。ソ連でも1930年代から児童心理の研究が盛んになったが,その基礎を築いたのはL.S.ビゴツキーである。
欧米の児童心理学の成果は日本にもかなり早くから導入された。たとえばプライヤーの《児童の精神》は,すでに1895年(明治28)寺内穎によって《幼児心意発達之理》として翻訳されている。またアメリカの児童研究運動の影響を受けて,同年に医学,心理学,教育学などの専門家によって日本児童学会(機関誌《児童研究》)が結成された。続いて大正時代には,留学してホールを師とした久保良英が児童研究所をつくり,《児童研究所紀要》を刊行するなどして大きく寄与した。昭和初期になるとビューラー夫妻,ウェルナーらの学派の成果も導入され,日本の児童心理学は活況を呈するようになった。しかし第2次世界大戦にむかうにしたがって自由主義的教育が圧迫され,児童心理学研究は著しく衰退した。再び活発になるのは第2次大戦後である。
今日の世界的動向において目だつのは,ピアジェの理論に基礎をおくもの,および社会的学習理論に依拠するものが主要な流れをつくっていることである。ピアジェの理論に依拠するものは,子どもの認知機能の発達的変化に主要な関心を寄せている。すなわち異なった年齢段階における子どもの行動の変化を認知構造の発展によるものとみて,より低次のものからより高次なものへと認知構造が変化していくさまを説明する概念枠組をつくることをめざしている。なお最近では実験条件を厳密化してピアジェの提唱したものを検証したり,年齢との対応関係を求めて認知の発達尺度を作成したりする試みも進められている。他方,社会的学習理論を背景とする研究は,子どもの心性・行動の社会化に主たる関心を寄せているといえる。年齢的差異にも留意するが,子どもの性,所属する階層,与えられる文化的・社会的諸刺激などとの関連において,子どもの行動がいかに学習されていくかをおもに問題にする。そのため学習心理学,精神分析学,文化人類学などとの接点も探られつつある。これら二つの流れを統一するのは容易ではないが,児童心理の研究がつねに現実の子どもにたちかえり,そこから問題を発見して研究を進める道をとるならば,その可能性もないわけではない。
→児童精神医学
執筆者:茂木 俊彦
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