家庭での、親権者またはこれにかわる者による子供の教育を意味する。英語はeducation in the home、ドイツ語でFamilien-erziehung、フランス語ではl'éducation familialeと表現する(英語でhome educationというと、むしろ「家庭科教育」を意味することになる)。英語での言い方はヨーロッパ大陸諸国とかなり異なる面があり、「学校教育」もドイツ、フランスでは日本と似たような表現になるが、英語ではschool educationというよりもformal educationのほうが普通である。「教える」を意思や感情の交流のなかで人の主体的な学習・探究を助けることだと解すると、家庭での子供の教育も、これを「しつけに尽きる」などと考えるべきではない。むしろ、しつけとは別な、本質的な意味での教育を、家庭教育についてもまず把握し、これと、学校教育や社会教育(校外教育ともいえる)との合力のなかで、今日とくに家庭教育に期待される面を浮き出させることが必要だといわねばならない。「家庭教育」の語が日本でいつから用いられ始めたかはさだかでないが、おもに「教育的しつけ」を意味するものとして、明治後半期までさかのぼってみることはできる。エレン・ケイ『児童の世紀』が愛読された明治末から大正期にかけて、幼稚園や子供雑誌等による幼児教育の発達と並行し、婦人雑誌等で家庭教育の重要性が強調された。子供雑誌、絵本や、ベビー・オルガンその他の楽器等は、なによりも家庭教育の教材・教具と考えられていたようである。
[藤原英夫]
こうした観点から家庭教育の理解・実践上の重点事項をあげると、第一は、子供の成長の節目ごとにおける子供の諸必要への、親権者を中心とする年長家族の教育的対応である。たとえば、出生後まもなく子供に現れる本能的なさまざまの動作や姿態に、だれよりも母親が適切に対応し、優しくことばもかけて心的交流へと誘うことである。これが、情緒不安定に陥らずに生きることを学ぶのを助ける第一歩だといえよう。また、よちよち歩きができるようになった幼児にとって、親が手を貸さずに見守ることのなかで、小冒険達成の経験をもたせることが創造性へとつながり、想像力を養う学習になる場合が少なくないと、指摘する研究者もいる。そのほか、満2歳になるまでもっぱら家庭で育てられた場合と、2歳未満で集団保育の場に預けられた場合との間に、知能指数の優劣を発見することになった心理学者のデータもあれば、3、4歳児の「親離れ」の強行訓練が、かならずしも自立心を養う学習につながるとは限らないことについてのリポートもある。
従来どちらかといえば、子供の成長発達上の危機的時期における家庭での監護的対応が家庭教育上の要点と考えられることが多かった。しかし、いまや乳幼児に関する精神医学的ないし心理学的な知見の集積を踏まえて、子供の諸必要への家庭でのより純粋に教育的な対応から、家庭教育を発想し構想することができるようになったといえる。
第二は、家庭教育がどこまでも母親の独壇場であるのでもなければ、家庭教育が独歩する現代社会でもないことの認識に基づき、親権者主導の教育上のよい協力関係を明確にしていくことである。家族間では、親権者(生父母であれ養父母であれ)相互の信頼に基づく協力ないし、それの確かな記憶に支えられる単独での、子供の諸必要への対応を軸とし、それへの祖父母などの協力が適切に行われるといった周辺の事情が加わることが考えられる。もっと広い社会的次元でも、学校教育従事者や校外教育従事者との、親権者主導のいろいろな協力関係の樹立が、改めて考慮されるべき時期がきたともいえよう。これらの点で、第二次世界大戦後改正された民法(明治29年法律89号)の第818条中の「親権は、父母の婚姻中は、父母が共同してこれを行う……」という定めや、同第820条の「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」といった積極的規定は重要な意味をもつ。
第三は、「教育即人間形成」といった謬見(びゅうけん)を排除しながら、教育と、親権者の権能行使としての監護(監督保護)との、実際の家庭生活における絡み合いを究明し、子供の個性や、成長発達の度合いに応じた、両者の統合としての生活指導を確立することである。学校教育や青少年のための社会教育の発展しているところでは、家庭が主として分担する役割は、おのずから情感教育とか、徳性訓練だということになるであろう。つまり、豊かな情感は、知性や社会性の開発へと導くのであり、家庭人にとってもそうした学習経験の場面構築が大きな研究課題となる。
第四は、子供が家庭で、監護とともに教育を受ける特権をもつものであることの、より徹底した理解と承認を大人たちがもつことである。日本で1951年(昭和26)児童憲章制定会議によって公にされた「児童憲章」も、そのような特権を強くにおわせる児童の権利宣言だったといえるし、さらに国際連合の59年総会で採択した「児童の権利宣言」は、いっそう強くこの特権をアピールしたものと考えられる。
そうした意味で、革命後のソ連で集団保育を受ける幼児に多くみられたという「ホスピタリズム」(施設児障害)や、第二次世界大戦後イスラエルで発展したキブツでも少なからずみられた同様な現象に照らしても、とくに乳幼児にとって家庭で成長発達することは、なににもまして大きな必要事だといえる。つまり、家庭にこそ人間教育の原型があるということであり、生涯学習(生涯教育)の導入部を助けるのもまた家庭教育であることはいうまでもない。子供が学校教育や青少年のための社会教育を享受する段階に到達しても、家庭は独自な教育上の役割を保有するものであり、また保有すべきだ、といわねばならない。
[藤原英夫]
純粋な意味での教育を核心に据え、「教育的しつけ」にも言及するような、「家庭教育学」(フランスではpédagogie familiale、英語圏でもfamilial pedagogyの語が用いられ始めている)の樹立は、現代社会の、まったく新しい課題である。現在そのための努力は、主として、成人教育としての「両親教育」parent educationの分野で、学際的な協力において行われている。国によっては、「家庭教育学」は青年のための「学校外教育」(日本でいう社会教育)の主題にもなりつつあるが、将来は青年のための学校教育にも取り入れられることになるであろう。
なお家庭教育と生涯教育との関係について、日本では、家庭教育をいきなり「生涯教育」に結び付けて考える傾向がないではないが、生涯教育とは、学校教育と「学校外教育」の全体の統合・調整を通して、市民社会の全教育構造を再編成する働きのことである。そこで、学校教育のなかにも、「学校外教育」の諸事業のなかにも、「親たることのための教育」に役だつ「家庭教育学」が適切に浸透し分布されることが重要である。それによって初めて個々人の家庭のなかで行われる子供の教育も、生涯教育の流れのなかで考察されることになるわけである。
[藤原英夫]
『L・ベンソン著、萩原元昭訳『父親の社会学』(1973・協同出版)』▽『日本女子社会教育会編・刊『家庭生活と家庭教育』(1977)』▽『文部省編『現代の家庭教育――乳幼児期編』(1984・ぎょうせい)』▽『玉井美知子編著『新しい家庭教育の実際』(2000・ミネルヴァ書房)』
家庭でおこなわれる教育。古代ローマ初期,子に対する家父の権利は生殺与奪の権をも含む強大なものであった。生存を承認されて最初の数年間が過ぎると,少年の教育は完全に父親の手にゆだねられ,あるいは父といっしょに農場で働きあるいは父といっしょに元老院へ行き,父親の所作を模倣することをとおして学んでいった。強大な家父長権は共同体の権威を背景としていたから,子どもたちは,自分の父親の中にローマの伝統の体現者を見てとっていたのである。
17世紀西欧において,すでに夫婦・子ども中心の小家族が僕婢をも含むものとして成立していたが,その小家族は生産・扶養単位であり,家父がその家政をとりしきるものとまだ考えられていた。したがってその時点までのヨーロッパの家政書Hausväterbücher(〈家父の書〉ともいう)は,家父のためのものであり,生産機能を主とする家共同体を家父がいかにきりまわすかということが中心となっていた。そのような家父の職分の中に,子どもの教育も含まれていたのである。たとえば,オーストリアの小貴族ホーベルクW.H.von Hohbergの家政書(1682)では,5歳までの幼児の教育は両親が共におこない,あとは男子は父親が,女子は母親が教育をおこなうと考えられていた。もちろんそれら教育のいっさいに父親が眼を光らせているのである。しかもこの時期までの家父権は,かろうじて初期ローマと同様に共同体の権威に支えられており,子どもたちの生活も,具体的な近隣・地域共同体に開かれていた。
しかし,ヨーロッパの家政書の伝統は崩壊し,まずそこから経済学などとならんで教育論が分化することになる。J.ロックの《教育論》(1693)はその一つであろう。それは,父親の家庭教育論であった。さらに家政書そのものが,父親のそれから母親のそれへと変換・変質し,家庭教育論もまた,19世紀に至って父親のそれから母親の育児書へと変換を遂げていった。そしてついに,エリス夫人(旧姓Sarah Stickney)《イングランドの母親たち》(1843)は,母親が息子の教育にも積極的に関与することを宣言した。こうして現在考えられるような家庭教育論が生まれたのである。
日本においてもおよそ同様の歴史的変化をみることができる。家共同体,村共同体の産育習俗は近代化に伴って第2次大戦後初期までには崩壊・形骸化していくが,すでに明治30年代には,新興都市中間層の家族をおもに表現するものとして,欧米のホームhomeの訳語にあてられた〈家庭〉ということばが普及していた。この〈家庭〉は19世紀西欧に成立した家庭であり,家庭教育ということば自体,この〈家庭〉を念頭において考えられているといえるものである。
以上のような歴史的変化の基礎には,家族と社会ないし共同体との関係の変化に基づく家族そのものの変化がある。共同体の崩壊とともに共同体から析出された小家族は,僕婢を排除し徐々に子ども数も少なくしていわゆる核家族への過程をたどるのであるが,その際,かつて主機能であった生産機能を放棄し心理的・情緒的世界となる。そこでは,職住分離が現実かつ理念であり,〈愛の巣〉たる住の世界を汚れた外の世界から隔離して管理することが母親の職分となるのである。にもかかわらず,〈愛の巣〉は合理的な外の商品世界に対して閉じたものではなく,かつて具体的な近隣・地域に開かれていたのとは異質な意味で,抽象的な商品世界の人間関係に開かれている。子育てへの商品の介入という事態が端的にそのことを象徴している。イギリスでは18~19世紀に,日本ではとくに大正期に生じたこの子育ての商品化は,ゴム長靴,児童読物から現在では紙おむつにまで至っている。しかも,かつての家庭教育の中の知育的なものは,近代大衆学校によって奪われ,その近代大衆学校が本質的に目的としたものが産業社会に適応するための規律・訓練であったことから,逆に家庭教育が学校的な序列づけ文化に影響されるという事態も進行した。それは,両親の知恵が子ども世代に有意味でなくなるという事態の不断の進行によって補完されたのである。それゆえ,外の社会に対立させて家庭を〈愛の巣〉として守るという発想では,守ることすらできない。もはや愛による結合に依拠するほかないかのようにみえる家族の中で,溺愛・過保護と虐待とが表裏をなすメービウスの輪が成立しているのが現状である。これと対応する心情主義と管理主義の双方を退けて,具体的な世界に開かれていく家庭教育の再生が今望まれている。
執筆者:寺崎 弘昭
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