日本歴史地名大系 「高座原村」の解説 高座原村こうざわらむら 三重県:安芸郡美里村高座原村[現在地名]美里村高座原経(きよう)ヶ峰(八一九・三メートル)南麓の斜面にあり、船山(ふなやま)村の西方、穴倉(あなくら)村の北方にあたる。集落は村域の東北端にあり、経ヶ峰東面に発した穴倉川支流の北高座原(きたこうざわら)川の右岸にある。近世初期には村切が行われていず、村高からみて穴倉村に含まれていたようである。慶安郷帳(明大刑博蔵)には「高座原(かふさら)村」と現れる。藤堂氏入封後津藩領で、寛文九年(一六六九)以後久居藩領となる。「宗国史」には、当村の記事が欠落している。「三国地志」は神祠に伊豆権現祠・春日祠、梵刹に高福(こうふく)寺(天台真盛宗)を記す。明治五年(一八七二)の村明細帳(徳川林政史蔵)には、戸数四九、人口二二二(男一一六・女一〇六)、木挽一、牛二七。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by