高橋五郎(読み)タカハシ ゴロウ

20世紀日本人名事典 「高橋五郎」の解説

高橋 五郎
タカハシ ゴロウ

明治・大正期の評論家,英語学者,翻訳家



生年
安政3年3月20日(1856年)

没年
昭和10(1935)年9月7日

出生地
越後柏崎(新潟県)

本名
高橋 吾良

別名
号=在一居士

経歴
明治初年14歳で出郷し、高崎の市川左近に漢学を、田中毛野に国学を、牧野再龍に仏書を学ぶ。さらに洋学修業を志して上京し、横浜の緒方塾に入る。植村正久、宣教師ブラウンを知り、ブラウンに英語・仏語・独語を学び、7年助手として「新約聖書」を翻訳する。13年「神道新論」「仏道新論」を刊行。哲学、文学に関する論文を「六合雑誌」「国友之友」に寄稿し、評論家として活躍。20年から21年にかけては「漢英対照いろは辞典」全4冊を刊行。他の著書に「和漢雅俗いろは辞典」全3冊をはじめ「社会主義活弁」「新哲学の曙光」「基督活殺論」などがあり、翻訳にも「基督教不廃物論」「フアウスト」「プルターク英雄伝」など、多くの著書、翻訳書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「高橋五郎」の解説

高橋五郎

没年:昭和10.9.7(1935)
生年:安政3.6(1856)
聖書翻訳家,著述家。越後(新潟県)柏崎の庄屋に生まれる。本名吾良。群馬郡高崎の竜門寺で仏教と漢学を習う。明治8(1875)年横浜に行き植村正久の紹介でS.R.ブラウンに師事し,聖書の翻訳に参加する。『六合雑誌』『国民之友』に論文を多数執筆する。早稲田,立教などで英学を教える。井上哲次郎との「教育ト宗教ノ衝突」論争では,キリスト教教育を擁護する立場で論陣を張る。カトリック最初の日本語聖書『聖福音書』2巻(1895~97)の訳業にも寄与する。多彩な文才の持ち主であった。<参考文献>海老沢有道『日本の聖書』,鈴木範久『明治宗教思潮の研究』,杉井六郎「高橋五郎小論」(『「六合雑誌」の研究』)

(原島正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋五郎」の解説

高橋五郎 たかはし-ごろう

1856-1935 明治-昭和時代前期の評論家,英語学者,翻訳家。
安政3年6月生まれ。植村正久とまじわり,S.R.ブラウンに師事し,その「新約聖書」邦訳の事業にくわわる。井上哲次郎のキリスト教排斥論に対し植村,大西祝(はじめ)らとともに反論した。昭和10年9月7日死去。80歳。越後(えちご)(新潟県)出身。本名は吾良。号は在一居士。訳書に「プルタルク英雄伝」「カーライル仏国革命史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android