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植村正久 うえむらまさひさ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

植村正久
うえむらまさひさ

[生]安政4(1857).12.1. 江戸
[没]1925.1.8. 東京
牧師,伝道者,神学者。旗本植村祷十郎の長男として生れる。幼名道太郎。横浜に移住して貧困のなかで S.ブラウンの英語塾に学び,1873年受洗。ブラウン塾が築地大学校に合併して東京一致神学校となり,これを卒業。

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デジタル大辞泉の解説

うえむら‐まさひさ〔うゑむら‐〕【植村正久】

[1857~1925]プロテスタント牧師・神学者・評論家。東京の生まれ。富士見町教会東京神学社を創立し、牧師の育成と神学研究に尽力した。「福音新報」を創刊。正統派福音主義神学の中心的指導者。著「真理一斑」。

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百科事典マイペディアの解説

植村正久【うえむらまさひさ】

プロテスタント牧師,神学者。旗本の家に生まれる。ブラウン塾に学び,バラの感化で1873年キリスト教入信。日本のキリスト教外国伝道協会の支配から解放して福音主義的に確立する事業のために,東京神学社の創立による伝道者の養成や,《福音新報》などによる文筆活動をとおして貢献した。
→関連項目海老名弾正国木田独歩高倉徳太郎長老派教会ブラウン

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

植村正久 うえむら-まさひさ

1858*-1925 明治-大正時代の牧師。
安政4年12月1日生まれ。植村李野の夫。明治6年J.H.バラより受洗。20年東京に番町一致教会(現富士見町教会)を設立,生涯同教会の牧師をつとめる。23年「福音週報」「日本評論」を創刊。37年東京神学社をつくり伝道者を養成。福音主義の立場から海老名弾正と論争し,外国のミッションからの自立をとなえた。大正14年1月8日死去。69歳。江戸出身。東京一致神学校(現明治学院大)卒。幼名は道太郎。号は謙堂。著作に「真理一斑」など。
【格言など】いまだかつてキリストのごとく語りしものなし(「われらの信教」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

植村正久

没年:大正14.1.8(1925)
生年:安政4.12.1(1858.1.15)
明治大正期のキリスト教思想家,牧師。幼名道太郎。謙堂,桔梗生などと号した。家禄1500石の旗本の長男として上総国山辺郡武射田村(千葉県東金市)に生まれる(一説に江戸芝露月町)。大政奉還により生家が窮し,貧困の中で幼年期を過ごす。明治1(1868)年,一家で横浜に移った。この地で宣教師J.H.バラの私塾などに学ぶうちキリスト教にふれ,同6年,日本最初のプロテスタント教会横浜公会で受洗。伝道を志して東京一致神学校(明治学院)に学び,按手礼を受け,同13年に下谷一致(日本基督教団豊島岡)教会の牧師となる。同20年,番町一致(日本基督教団富士見町)教会を設立,終生その牧師を務めた。関東大震災(1923)で被災した教会や神学校の復旧に奔走する中で健康を害し,東京柏木の自宅で急逝した。 植村の事績は以下の3点にまとめられよう。①日本におけるプロテスタント・キリスト教の草創期にあって教会の育成に尽力し,特に日本基督教会と称する主要教派の形成発展に指導的役割を果たした。②日本における正統的プロテスタント信仰の神学的基礎を固め,神学校の東京神学社を創設(明治37年)して自ら神学校育と伝道者の養成に当たった。③『日本評論』,『福音週報』(のち『福音新報』と改題)などの定期刊行物を発刊し,キリスト教のみならず国家社会の諸問題をめぐって幅広い評論活動を行った。また,聖書の翻訳や讃美歌の編纂事業にもかかわり,旧約聖書の詩篇などに名訳を残した。島崎藤村の詩「逃げ水」(『若菜集』)は植村の訳した讃美歌の書き替えであることは名高い。また文学評論や英文学紹介の業績も評価されている。 植村はキリスト教の根本義を,罪ある人間がイエス・キリスト十字架の死と復活に贖われ神との和を回復することにあるとした。その罪意識の背後には,志を天の高みに向ける武士の克己の精神をみることができる。『植村正久著作集』全7巻がある。<参考文献>藤田治芽『植村正久の福音理解』,京極純一『植村正久』

(鵜沼裕子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

うえむらまさひさ【植村正久】

1858‐1925(安政4‐大正14)
キリスト教伝道者,牧師,評論家。明治・大正期の日本キリスト教界の指導者の一人。旗本の子で,明治維新で没落した家名復興を志し,横浜で修文館,バラ塾,ブラウン塾に学び,宣教師の感化で1873年キリスト教に入信,横浜バンドの代表的存在となった。78年日本基督一致神学校を卒業,79年下谷教会,87年一番町教会を設立。一番町教会は1906年富士見町教会と改称し,彼は終生その教会牧師となった。1887年より明治学院教授となったが,南長老派宣教師との対立もあって辞任し,1904年東京神学社を設立し,終生その校長であった。

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大辞林 第三版の解説

うえむらまさひさ【植村正久】

1857~1925) 牧師。江戸の生まれ。富士見町教会・東京神学社を創立。正統派福音主義信仰の確立に努め、日本のプロテスタント教会の形成・確立に指導的役割を果たした。著「真理一斑」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

植村正久
うえむらまさひさ
(1858―1925)

明治・大正期の指導的キリスト教教師。安政(あんせい)5年旗本の子として江戸に生まれる。1870年(明治3)より横浜で英語を学び、1872年バラJames Hamilton Ballaghの私塾(後のブラウン塾)に入り、キリスト教に接した。翌年バラより受洗。東京一致神学校を1878年に卒業、日本基督(キリスト)一致教会の伝道者となる。1884年に日本人による最初のキリスト教神学書といいうる『真理一斑(いっぱん)』を刊行。1887年には番町(ばんちょう)一致教会(後の富士見町教会)を設立、終生同教会の牧師を務めた。一時、明治学院教授も務め、1904年(明治37)より東京神学社を創設して伝道者の養成にあたった。1901年に始まった海老名弾正(えびなだんじょう)との論争でわかるように「福音(ふくいん)主義」の立場を守り、また、ミッションからの独立を目ざした日本プロテスタントの代表的存在。他方、『日本評論』『福音週報』(後の『福音新報』)などを刊行し、キリスト教評論、文芸評論の筆もとり、国木田独歩(くにきだどっぽ)、島崎藤村(しまざきとうそん)、正宗白鳥(まさむねはくちょう)をはじめとする日本の文学界にも影響を与えた。[鈴木範久]
『『植村正久全集』全8巻(1932~34・同全集刊行会) ▽佐波亘編『植村正久と其の時代』全5巻(1937~38・教文館)』

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世界大百科事典内の植村正久の言及

【キリスト教文学】より

… まず1880年代の後半から90年代(明治20年代)の理想主義文学の提唱,さらにはロマン主義文学の台頭にキリスト教思想の影響は深く現れる。植村正久,内村鑑三の両者を挙げて〈今や我国に於て基督教文学の代表者として二人を得たり〉とは徳富蘇峰の言葉だが,たしかに植村の文業を抜きにして明治期,特に20年代の文学史的意義にふれることはできまい。そのすぐれた旧約の《詩篇》《雅歌》などの翻訳,さらには《新撰讃美歌》(1888)にみる流麗な訳詩は,明治の新体詩に深い影響を与えた。…

【高倉徳太郎】より

…代表的なプロテスタント神学者。植村正久より洗礼を受け,東京帝国大学を中退して東京神学社に入学。札幌北辰教会などを経て,東京神学社教授,同校長,戸山教会(後の信濃町教会)牧師を歴任した。…

【福音新報】より

…キリスト教週刊新聞(1891‐1942)。植村正久は《福音週報》(1890‐91)を刊行したが,内村鑑三の不敬事件に関する論説で発行禁止処分をうけ,本紙を刊行。論説,主として日本基督教会の動向を掲載。…

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