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大西祝 おおにしはじめ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大西祝
おおにしはじめ

[生]元治1(1864).8.7. 岡山
[没]1900.11.2. 岡山
哲学者。操山と号する。岡山藩士の子。 15歳のとき叔父の姓大西を継いだ。 1889年帝国大学哲学科卒業。 91~98年東京専門学校東京高等師範学校において哲学,心理学,論理学,倫理学,美学などを講じ,この間『六合雑誌』の編集にたずさわり,96年横井時雄姉崎正治らとともに丁酉倫理会を組織した。

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デジタル大辞泉の解説

おおにし‐はじめ〔おほにし‐〕【大西祝】

[1864~1900]哲学者。岡山の生まれ。号は操山。東京専門学校で哲学・倫理学などを講じるかたわら「六合雑誌」を編集。ドイツに留学。カント批判主義的態度に立ち、理想主義の普及に貢献し、明治中期の啓蒙家の役割を果たした。

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百科事典マイペディアの解説

大西祝【おおにしはじめ】

明治の哲学者。岡山藩士の子。号は操山(そうざん)。同志社から東大哲学科へ進み,1891年―1898年東京専門学校で哲学を講義。この間日本プロテスタントの機関誌《六合(りくごう)雑誌》に参画,教育と宗教の衝突論争で,近代市民的〈道理心〉に基づいて井上哲次郎らの国家主義を鋭く批判した。
→関連項目早稲田文学

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大西祝 おおにし-はじめ

1864-1900 明治時代の哲学者。
元治(げんじ)元年8月7日生まれ。東京専門学校(現早大),東京高師(のちの東京教育大)でおしえる。この間,「六合(りくごう)雑誌」の編集にたずさわり,明治30年姉崎正治らと丁酉(ていゆう)懇話会(のち丁酉倫理会)を組織。キリスト教自由主義の立場で当時の国家主義的道徳観を批判した。明治33年11月2日死去。37歳。備前(岡山県)出身。帝国大学卒。旧姓は木全(きまた)。号は操山。著作に「西洋哲学史」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大西祝

没年:明治33.11.2(1900)
生年:元治1.7.6(1864.8.7)
明治期の哲学者。操山と号す。備前国岡山西田町(岡山市)に岡山藩士木全正脩・嘉代の3男として生まれ,母の実家大西家の養子となる。小学校に通学するかたわら,松村家塾で『小学』『孝経』『日本外史』などを修む。父母が熱心なキリスト者であったため,明治10(1877)年同志社英学校に入学,11年新島襄より受洗,同校普通科,神学科を卒業,東京大学文学部(のち文科大学)哲学科,同大学院に学び,哲学,倫理学を専攻。23年『哲学会雑誌』で加藤弘之と道徳主義について論争,元良勇次郎と倫理学の学的性格について論争,卒論「良心起源論」で名をあげる。24年より31年まで東京専門学校(早稲田大学)で哲学,心理学,論理学,倫理学,美学,西洋哲学史等の講義を担当。キリスト教系知識人の雑誌『六合雑誌』の編集に従事し,毎号「思潮評論」を執筆,カントの批判哲学に学んで「批評」の分野を確立した。26年「教育勅語と倫理説」を発表し教育勅語を批判的に論じ,「教育と宗教の衝突」問題では,倫理の自立性を説いて,国家主義を批判した。31年ドイツに留学,オイケンとヴントに学ぶ。32年帰国,京都帝国大学哲学科主任教授に委嘱されたが病気のため岡山で没した。カントが説いた真に悟性をふまえた批判主義的理想主義を採り,進取の気象にみちた市民派哲学者。歌作もよくなし,芸術家的感性にもめぐまれていた。<著作>『大西博士全集』全7巻<参考文献>三枝博音『日本の観念論』,小野寺和子「大西祝」(『近代文学研究叢書』4巻)

(大濱徹也)

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世界大百科事典 第2版の解説

おおにしはじめ【大西祝】

1864‐1900(元治1‐明治33)
明治中期の哲学者。号は操山。文学博士。岡山藩士木全(きまた)正修の三男。母方の叔父大西定道の家を継ぐ。同志社の普通科,神学科を経て,帝国大学文科大学哲学科卒業後,大学院に進み倫理学を専攻。この間〈良心起原論〉を執筆した。1891年東京専門学校(現,早大)講師となり,98年まで哲学,心理学,論理学,倫理学,美学などを担当し,坪内逍遥とともに早大文科の基礎を築いた。《六合(りくごう)雑誌》を編集し,評論界でも鋭筆を発揮し,96年には姉崎正治らと〈丁酉(ていゆう)倫理会〉を組織した。

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大辞林 第三版の解説

おおにしはじめ【大西祝】

1864~1900) 哲学者・評論家。岡山県生まれ。東大卒。「六合雑誌」を編集、姉崎正治らと丁酉ていゆう倫理会をつくる。当時盛んであった功利主義や進化論に対し、批判主義・理想主義を鼓吹。内村鑑三不敬事件では、井上哲次郎らを批判。著「西洋哲学史」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大西祝
おおにしはじめ
(1864―1900)

明治の哲学者、思想家。岡山藩士の子として生まれ、操山(そうざん)と号す。同志社、帝国大学(現、東京大学)に学び、卒業後は1891年(明治24)から1898年まで東京専門学校(現、早稲田(わせだ)大学)で哲学、心理学、論理学、倫理学、美学などを講じた。またそのかたわら組合教会系の『六合(りくごう)雑誌』の編集にあたり、思想、宗教、芸術、教育、社会と広範な分野に旺盛(おうせい)な評論を展開し、明治20年代の精神革命を担う一人であった。1898年ドイツに留学したが、病を得て翌1899年帰国。新設の京都帝国大学文科大学長に予定されながら、病癒(い)えず37歳で夭折(ようせつ)した。講壇哲学者としては、認識批判を媒介した学としての哲学の体系化と論理的厳密性を目ざした。その試みは彼の早世により未完成に終わったが、カントの批判的理想主義の哲学の理解において同時代をぬきんでる存在であり、同時にAufklrungに「啓蒙(けいもう)主義」という訳語をあてるなど、真の啓蒙思想家でもあった。[田代和久]
『『大西博士全集』全7巻(1903~1904・警醒社/新装版・2001・日本図書センター) ▽船山信一著『日本の観念論者』(1956・英宝社) ▽渡辺和靖著『明治思想史――儒教的伝統と近代認識論』(1978/増補版・1985・ぺりかん社)』

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