日本歴史地名大系 「高泉村」の解説 高泉村たかいずみむら 福岡県:大牟田市高泉村[現在地名]大牟田市歴木(くぬぎ)大間(だいま)村の南にあり、東は三池新(みいけしん)町・今山(いまやま)村。西流する堂面(どうめん)川とその支流藤砂(ふじすな)川とに挟まれる。元亨四年(一三二四)二月一三日の道覚所領処分状案(三池文書/鎌倉遺文三七)によれば、三池南(みいけなん)郷の地頭三池貞宗(道覚)から三男の六郎蔵人貞家に三池南郷「たかいつミの村」の畠地五町六反一丈などが譲与されている。天正一五年(一五八七)高橋統増(立花直次)領となり、文禄四年(一五九五)の知行方目録(三池立花家文書)では「高泉」は高八〇六石余。元和六年(一六二〇)以降柳川藩領。同七年の郡村帳では玄蕃高三七二石余、小物成は山手米一石余・樹木米二斗余。 高泉村たかいずみむら 群馬県:勢多郡新里村高泉村[現在地名]新里村高泉関(せき)村の北東に位置。周囲を足尾(あしお)山地に連なる丘陵地に囲まれ、北東の峰を越えると渡良瀬川の谷である。寛文郷帳にはみえない。元禄郷帳によると高一三四石余、前橋藩領。近世後期の御改革組合村高帳では家数一七、出羽松山藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by