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中島広足 なかじま ひろたり

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美術人名辞典の解説

中島広足

江戸後期の国学者・歌人・熊本藩士。広足は名、通称は嘉太郎、号は橿園・田翁。若くして隠居、ほとんど独学で本居学を継承、発展させた。帰郷して藩校の国学教授となる。元治元年(1864)歿、73才。

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デジタル大辞泉の解説

なかじま‐ひろたり【中島広足】

[1792~1864]江戸後期の国学者・歌人。肥後の人。号、橿園(かしぞの)。長崎に住んだ。独学で本居宣長父子の学を継承。のち肥後藩の藩校の国学教授。著「詞玉緒(ことばのたまのお)補遺」「橿園集」など。

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百科事典マイペディアの解説

中島広足【なかじまひろたり】

江戸後期の国学者,歌人。号橿園。肥後藩士。病弱のため隠居して長崎に住み,長瀬真幸に鈴屋学統の国学を学んだ。和歌は加藤千蔭門の一柳千古門下。歌風は自由平明。国学は本居春庭の八衢(やちまた)学をうけ,国語学考証に長じる。
→関連項目雅言集覧

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中島広足 なかじま-ひろたり

1792-1864 江戸時代後期の国学者,歌人。
寛政4年3月5日生まれ。肥後熊本藩士。はやくに隠居し,長瀬真幸(まさき)にまなび,本居宣長(もとおり-のりなが)系の国学者として知られる。長崎,のち大坂で家塾をひらき,文久元年帰藩,藩校時習館でおしえた。文久4年1月21日死去。73歳。初名は惟清,春臣。通称は嘉太郎,太郎。号は橿園(かしぞの),田翁(たおさ)など。著作に「橿園文集」「かしのくち葉」など。
【格言など】行く川の水汲みあぐる水車めぐらす水のめぐらされつつ(「橿園集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

中島広足

没年:元治1.1.21(1864.2.28)
生年:寛政4.3.5(1792.4.25)
江戸後期の国学者,歌人。名は惟清,春臣,広足,通称嘉太郎,太郎,号橿園,田翁など。熊本藩士中島惟規の子。藩士としては御番方,御小姓などを勤めたが文化12(1815)年早々と隠居し,同じ熊本の国学者長瀬真幸の指導のもと,本居宣長系統の国学を修める。本居大平には歌稿の添削を仰ぐ。のち長崎に出て諏訪神社の神官達と交流を持ち,青木永章,近藤光輔と並び称せられ,同地の国学者育成に尽力。晩年は大坂にも進出し,西日本各地の国学者,歌人と交際した。文久1(1861)年には藩校時習館の国学師範となる。著書は国学者の先達の業績を補訂した『詞の八衢補遺』以下数多く,『中島広足全集』に収められているほか,長崎県立図書館に自筆稿本類が多数寄託されている。ほかに『橿園集』『橿園文集』などもある。<参考文献>弥富破摩雄『中島広足』,白石良夫「中島広足往来抄」1~7(『文献探究』2・4~8・16号)

(久保田啓一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

なかじまひろたり【中島広足】

1792‐1864(寛政4‐元治1)
江戸末期の国学者,歌人。橿園(かしぞの∥きようえん)と号した。熊本の細川家家臣の子として生まれ,国学は長瀬真幸(まさき),歌は江戸派の一柳千古に学んだ。長く長崎に住んだが,晩年は熊本に戻り藩の国学師範をつとめた。家集に《橿園集》《志能数多礼(しのすだれ)》があるが,中に,当時の長崎をうたった長歌〈詠紅毛舶入貢歌〉といった珍しい作もある。著作には《橿園随筆》ほか,語学,考証,注釈,日記等にわたる多数がある。

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大辞林 第三版の解説

なかじまひろたり【中島広足】

1792~1864) 江戸末期の国学者・歌人。号は橿園かしぞの。肥後の人。国学を長瀬真幸に師事。長崎に住んだ。本居宣長父子の学を継承した。著「詞玉緒補遺」「詞の八衢やちまた補遺」「増補雅言集覧」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

中島広足
なかじまひろたり

[生]寛政4(1792).3.5. 肥後
[没]文久4(1864).1.21. 肥後
江戸時代後期の国学者,歌人。号は橿園 (かしぞの) 。本居宣長門の長瀬真幸 (まさき) に学び,長崎,大坂に移住,晩年国学師範として熊本に帰住。著書『詞玉緒補遺』 (1854) ,『詞八衢 (やちまた) 補遺』 (57) ,『玉霰窓廼小篠』 (61) などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中島広足
なかじまひろたり
(1792―1864)

国学者、歌人。幼名嘉太郎、長じて太郎春臣、のち広足。橿園(かしぞの)と号した。熊本藩士中島五郎平の子。病のため家督を譲り、長瀬真幸(まさき)門に学び、長く長崎にあって国学者・歌人として一家をなした。1857年(安政4)大坂に出、61年(文久1)には熊本藩の国学師範となった。本居大平(もとおりおおひら)、伴信友(ばんのぶとも)、橘守部(たちばなもりべ)らとも交友深かった。著作『詞玉緒(ことばのたまのお)補遺』は本居宣長(のりなが)の業を、『詞八衢(ことばのやちまた)補遺』は本居春庭(はるにわ)の業を例証によって補訂したもので、よく学風を表している。石川雅望(まさもち)の大著を補訂した『増補雅言(がげん)集覧』もある。歌文にも長じ、『橿園文集』の著がある。[林 巨樹]
『『中島広足全集』全二巻(1932・大岡山書店)』

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世界大百科事典内の中島広足の言及

【国学】より

…〈国学〉とは本来,律令制度のもとで諸国に置かれた学校を意味する言葉であったが,上記の字義で用いられるようになったのは近世後期のことである。本居宣長の《初山踏(ういやまぶみ)》も,〈皇国の事の学をば,和学或は国学などいふならひなれども,そはいたくわろきいひざま也〉と,この呼称には否定的であったが,中島広足(なかじまひろたり)の《橿園随筆(かしぞのずいひつ)》(1854)には,〈今云国学は,我国に道なきを恥て,本居の新に建立(たて)たる学〉といった語句が見え,〈国学〉の語義がその内容のイデオロギー化と大きな関係があったことをうかがわせる。この名称が最終的に定着したのは明治時代になってからであった。…

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