(久保田啓一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
国学者、歌人。幼名嘉太郎、長じて太郎春臣、のち広足。橿園(かしぞの)と号した。熊本藩士中島五郎平の子。病のため家督を譲り、長瀬真幸(まさき)門に学び、長く長崎にあって国学者・歌人として一家をなした。1857年(安政4)大坂に出、61年(文久1)には熊本藩の国学師範となった。本居大平(もとおりおおひら)、伴信友(ばんのぶとも)、橘守部(たちばなもりべ)らとも交友深かった。著作『詞玉緒(ことばのたまのお)補遺』は本居宣長(のりなが)の業を、『詞八衢(ことばのやちまた)補遺』は本居春庭(はるにわ)の業を例証によって補訂したもので、よく学風を表している。石川雅望(まさもち)の大著を補訂した『増補雅言(がげん)集覧』もある。歌文にも長じ、『橿園文集』の著がある。
[林 巨樹]
『『中島広足全集』全二巻(1932・大岡山書店)』
江戸末期の国学者,歌人。橿園(かしぞの)/(きようえん)と号した。熊本の細川家家臣の子として生まれ,国学は長瀬真幸(まさき),歌は江戸派の一柳千古に学んだ。長く長崎に住んだが,晩年は熊本に戻り藩の国学師範をつとめた。家集に《橿園集》《志能数多礼(しのすだれ)》があるが,中に,当時の長崎をうたった長歌〈詠紅毛舶入貢歌〉といった珍しい作もある。著作には《橿園随筆》ほか,語学,考証,注釈,日記等にわたる多数がある。
執筆者:佐佐木 幸綱
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…〈国学〉とは本来,律令制度のもとで諸国に置かれた学校を意味する言葉であったが,上記の字義で用いられるようになったのは近世後期のことである。本居宣長の《初山踏(ういやまぶみ)》も,〈皇国の事の学をば,和学或は国学などいふならひなれども,そはいたくわろきいひざま也〉と,この呼称には否定的であったが,中島広足(なかじまひろたり)の《橿園随筆(かしぞのずいひつ)》(1854)には,〈今云国学は,我国に道なきを恥て,本居の新に建立(たて)たる学〉といった語句が見え,〈国学〉の語義がその内容のイデオロギー化と大きな関係があったことをうかがわせる。この名称が最終的に定着したのは明治時代になってからであった。…
※「中島広足」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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