日本歴史地名大系 「高畠原山分」の解説 高畠原山分たかばたけはらやまぶん 石川県:鹿島郡鹿島町高畠原山分[現在地名]鹿島町高畠原山分石動(せきどう)山系碁石(ごいし)ヶ峰(四六一・一メートル)の山腹、本村高畠村から三〇町ほど越中山境寄りの原地にあたる。稜線を境に南東から南は越中射水(いみず)郡懸札(かけふだ)村・寺尾(てらお)村(現富山県氷見市)、南から北西は羽咋(はくい)郡神子原(みこはら)村・鹿島郡酒井(さかい)村(現羽咋市)。山系一帯は地滑地帯で、小規模な地滑りが近世になってからも起こり、居住不安なために百姓は退転して本村の支配地となった。俗に源左衛門原(げんざんばら)ともよぶ。開作は天正八年(一五八〇)の長連竜領有以降(寛政三年「高畠原山分田地高畠百姓総支配願」高畠区有文書)。延宝七年(一六七九)の高畠村御印(同文書)によれば高一九石、免二ツ四歩。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報