高羽村(読み)たこうむら

日本歴史地名大系 「高羽村」の解説

高羽村
たこうむら

[現在地名]灘区楠丘町(くすがおかちよう)一―六丁目・高羽町(たかはちよう)一―五丁目・寺口町(てらぐちちよう)・一王山町(いちのうさんちよう)・桜(さくら)ヶ丘町(おかちよう)・土山町(つちやまちよう)・六甲台町(ろつこうだいちよう)・弓木町(ゆみのきちよう)五丁目・高徳町(こうとくちよう)一―六丁目・高羽(たかは)

徳井(とくい)村の北、六甲山地南麓に位置する。北は山地、南はそれに続く沖積地で石屋(いしや)川に沿う。平安末期には当地に山城石清水(いわしみず)八幡宮の別当極楽寺領の「天下高羽園」があった(保元三年一二月三日「官宣旨」石清水文書)。中世は都賀(とが)庄内にあり、文安四年(一四四七)頃の夏麦山手注文(天城文書)では高羽村は春と冬山手各三五〇文を納めている。文明元年(一四六九)一一月日の都賀庄寺庵帳(同文書)には中天王・観音寺・沢免がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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