石材の採掘や加工をする職人と、石材を販売する商人とをさしているが、普通には石材販売を主とする商人の石材店のことをいい、そこに加工生産する何人かの職人の石工(いしく)が雇われていた。石材の採掘と加工と販売とはしだいに分化してきた。石材の採掘、加工の技術者は古代では石作(いしつくり)という工人であった。独立した職人となったのは13世紀の中世からで、石切(いしきり)といっていた。17世紀の近世からは石工というようになった。建築や造園の材料や石臼(いしうす)、石塔などの生活用具というように石の需要は高まった。ことに16世紀からは築城そのほかの大規模な土木工事が始められて、需要はさらに増してきた。石山の石切場で石材を切り出し、近くの細工場あるいは遠くの仕事場へ運んで加工した。18世紀からは運送手段の発達によって都市にも石材加工、販売の石屋が生まれ、遠くから石材を取り寄せて、その仕事場で加工した。こうして原石の切り出しを主とする石切と、石材加工を主とする石工とに区別され、硯(すずり)をつくる硯切(硯師)や砥石(といし)をつくる砥屋(とや)、庭石や手水鉢(ちょうずばち)をつくる庭石屋とに分化した。道具は、石材の硬度にもよるが、金槌(かなづち)、小さい石切のみ、柄(え)のついた大きい石切のみ、石を割るたがね、大きい金槌の玄能(13世紀からの新しい道具)とがあった。石材店は軟らかい大谷石(おおやいし)系と硬い御影石(みかげいし)系とに分かれてきた。零細な加工生産の叩(たた)き石屋のほかに、産地を抱えた問屋、庭石、墓石、造園、張物(はりもの)などの専門店ができてきた。
[遠藤元男]
石材ならびにその加工品を販売する商人とその店の称。石工(いしく)をこの名で呼ぶこともある。近世中期以後,石材の販売,加工を業とする石屋が都市に出現した。それまでは山腹の石切場から切り出した石を麓の細工場で加工するのがふつうであったが,原石採取地から遠く離れた都市にこうした石屋が成立したのは,運送手段の発達と同時に,都市における消費生活の向上,拡大によるところが大きい。石屋は石材の硬軟によってわかれ,産地と直結した問屋,石材の種別による専門の店,それに零細なたたき石屋があった。
→石工
執筆者:遠藤 元男
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…石の切出し(採石),石の加工,石垣の造営などをする職人。〈せっく〉〈せっこう〉ともいい,また石作(いしつくり),石屋,石大工,石切,石方ともいう。古墳石室や神籠石(こうごいし)の精巧な仕上げは専門の工人の存在を推測させることから,古墳時代には存在したと思われる。…
…この弘法大師がまた聖徳太子と混同して語り伝えられ炭焼きも太子様を信仰した。 関西以西では木樵,木挽,炭焼きのほかに大工,左官,石屋,桶屋などの職人ももっぱら太子様を信仰し,太子講を組んでまつりをした。これは農村の大師講すなわちダイシコウと区別してタイシコウと呼ばれ,祭日も大師講とちがっているのが普通である。…
…石川県白山山麓の山村では,嫁入前の娘たちが京都や大阪へ女中奉公や子守りとして数年間出稼ぎし,ここで結婚のための仕度金をつくり,行儀を見習う習慣があり,これをしないと一人前の娘とみなされなかった。 出稼ぎ職人として有名なのは,会津,筑波,信州などの屋根葺き職人や杜氏,鍛冶屋,石屋,大工などである。杜氏は酒の醸造にたずさわる職人で,雪国や山国の冬期間の出稼ぎ者が多かった。…
※「石屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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