日本歴史地名大系 「高角村」の解説 高角村たかつのむら 三重県:四日市市中部地区高角村[現在地名]四日市市高角町寺方(てらがた)村の南、矢合(やごう)川が三滝(みたき)川と合流する付近の北岸、自然堤防上に位置し、東は曾井(そい)村。村の南三滝川の南岸を湯之山(ゆのやま)街道が走る。「神鳳鈔」に「内宮十五丁、一石八斗、高角御厨六九十二月」「高角神田四斗三升」とある。「吾妻鏡」元久元年(一二〇四)五月六日条に、いわゆる三日平氏の乱に際して、張本人若菜五郎が城郭を構えたところとして「伊勢国日永・若松・南村・高角・関・小野等也」とみえる。室町時代は智積(ちしやく)御厨域に含まれていたと推定され、長禄二年(一四五八)の伊勢国智積御厨年貢帳(醐醍寺文書)には、高角浄蓮左衛門、同浄蓮五郎兵衛の名前が出る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by