高遊外(読み)こう・ゆうがい

朝日日本歴史人物事典 「高遊外」の解説

高遊外

没年:宝暦13.7.16(1763.8.24)
生年:延宝3.5.16(1675.7.8)
江戸中期の僧侶煎茶人。肥前蓮池(佐賀市)に,領主鍋島氏の家臣柴山常名とみやの子として生まれた。幼名菊泉。柴山元昭と称し,売茶翁(または「ばいさおう」)として世に知られた。11歳で黄檗山万福寺の末寺竜律寺の開祖化霖道竜について出家,月海と号した。翌々年,化霖に従って万福寺の独湛性瑩にまみえる。煎茶法は,竜律寺で修行中の元禄14(1701)年ごろ長崎で清人から学んだ。享保16(1731)年57歳で京都に上り,以後20年にわたって路傍に茶を売る売茶活動に入った。禅と茶道堕落を鋭く批判し,売茶はその具体的な行動だった。「茶銭は黄金百鎰より半文銭,又くれずして只飲むも勝手,只より負け申さず」と書いて傍らに掛けて煎茶し,一般用語だった売茶翁は,彼だけを指すようになった。68歳で名を高遊外に改める。わが国煎茶道始祖であり,後世に大きな影響をおよぼした。著書に,『梅山種茶譜略』(梅山は栂尾の異称)がある。<参考文献>福山朝丸『売茶翁』,中島庸介『煎茶道』,淡川康一編『売茶翁遺墨集』

(林左馬衛)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高遊外」の意味・わかりやすい解説

高遊外
こうゆうがい

[生]延宝3(1675).5.16. 肥前,蓮池
[没]宝暦13(1763).7.16. 京都
江戸時代の煎茶家,煎茶道の祖。売茶翁 (ばいさおう) の名で知られる。のち柴山元昭と称した。貞享2 (1685) 年に黄檗宗の化霖道龍の弟子として出家。号は月海。化霖の没後は竜律寺を継いで住持をつとめた。享保 16 (1731) 年に京都に上り,寛保2 (42) 年に寺を譲り高遊外と改名。再度上洛,宝暦5 (55) 年まで売茶生活をし,同年9月4日に仙か (せんか。茶具を入れてかつぐ籠) を焼いて売茶活動をやめた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高遊外」の解説

高遊外 こう-ゆうがい

月海元昭(げっかい-げんしょう)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「高遊外」の意味・わかりやすい解説

高遊外
こうゆうがい

売茶翁

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高遊外の言及

【煎茶道】より

…後水尾天皇の第六皇子でのち天台座主にもなった尭恕(ぎようじよ)法親王(1640‐95)は〈歌と茶湯は大のきらいにて〉〈一生薄茶もまいらせず,煎茶のみなり〉(《槐記》)という興味深い姿勢を貫いている。
[煎茶道の提唱]
 日本の煎茶道の始祖には,売茶翁(ばいさおう)の名で親しまれている柴山元昭(のち高遊外(こうゆうがい)と称した。1675‐1763)が一般に考えられている。…

※「高遊外」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android