朝日日本歴史人物事典 「高遊外」の解説
高遊外
生年:延宝3.5.16(1675.7.8)
江戸中期の僧侶煎茶人。肥前国蓮池(佐賀市)に,領主鍋島氏の家臣柴山常名とみやの子として生まれた。幼名菊泉。柴山元昭と称し,売茶翁(または「ばいさおう」)として世に知られた。11歳で黄檗山万福寺の末寺竜律寺の開祖化霖道竜について出家,月海と号した。翌々年,化霖に従って万福寺の独湛性瑩にまみえる。煎茶法は,竜律寺で修行中の元禄14(1701)年ごろ長崎で清人から学んだ。享保16(1731)年57歳で京都に上り,以後20年にわたって路傍に茶を売る売茶活動に入った。禅と茶道の堕落を鋭く批判し,売茶はその具体的な行動だった。「茶銭は黄金百鎰より半文銭,又くれずして只飲むも勝手,只より負け申さず」と書いて傍らに掛けて煎茶し,一般用語だった売茶翁は,彼だけを指すようになった。68歳で名を高遊外に改める。わが国煎茶道の始祖であり,後世に大きな影響をおよぼした。著書に,『梅山種茶譜略』(梅山は栂尾の異称)がある。<参考文献>福山朝丸『売茶翁』,中島庸介『煎茶道』,淡川康一編『売茶翁遺墨集』
(林左馬衛)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報