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売茶翁 バイサオウ

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デジタル大辞泉の解説

ばいさ‐おう〔‐ヲウ〕【売茶翁】

[1675~1763]江戸中期の黄檗(おうばく)宗の僧。肥前の人。俗名、柴山元昭万福寺で修行。京都東山で売茶業を営みながら生涯を送った。煎茶道を広めたとされる。晩年は僧をやめ、高遊外(こうゆうがい)と称した。まいさおう。

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世界大百科事典 第2版の解説

ばいさおう【売茶翁】

1675‐1763(延宝3‐宝暦13)
江戸中期の黄檗宗の僧。肥前国(佐賀県)蓮池に生まれた。俗姓柴山氏。僧号月海,諱(いみな)は元昭,晩年は還俗して高遊外と自称した。煎茶人として知られ,煎茶の中興といわれ,また本朝煎茶の茶神とまで称賛される。12歳のとき肥前竜津寺で同寺開山の化霖道竜につき出家,ついで化霖の師万福寺独湛性瑩(しようけい)に師事し禅の修行に励んだ。その後諸国行脚(あんぎや)の志をたてて旅に出,陸奥仙台の万寿寺月耕道稔に参じたのをはじめ広く臨済,曹洞の禅僧に参禅し,のち竜津寺化霖のもとに帰った。

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大辞林 第三版の解説

ばいさおう【売茶翁】

1675~1763) 江戸中期の禅僧。肥前の人。俗姓、柴山。僧号、月海。諱いみなは元昭。黄檗山万福寺に学ぶ。京で煎茶を売り、風流の客と交わったのでこの名がある。晩年還俗げんぞくして高遊外と称した。著「梅山茶種譜略」

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

売茶翁
ばいさおう
(1675―1763)

禅僧、煎茶(せんちゃ)人。俗名柴山元昭といい、肥前蓮池(はすのいけ)(佐賀市)に生まれる。11歳のとき同地の黄檗(おうばく)山万福(まんぷく)寺末の龍津(りゅうしん)寺に入り、化霖に師事した。のち山城(やましろ)宇治の万福寺で修行、龍津寺に戻ったが、享保(きょうほう)(1716~36)末年、化霖の死を契機に寺を捨て京都に上った。やがて青製茶法による良質の煎茶を考案した宇治田原の永谷宗円(ながたにそうえん)と会い、その煎茶を売る生活に入り、名を高遊外(こうゆうがい)と改めたが、世に売茶翁と称された。売茶は自活のためだけでなく、それを通じて腐敗した禅僧社会の覚醒(かくせい)を促すことにあり、それを多数の詩にも詠じたが、1755年(宝暦5)9月、老齢のため売茶の生活をやめている。『梅山種茶譜略』を著し、詩は『売茶翁偈語(げご)』に収める。[村井康彦]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の売茶翁の言及

【きゅうす(急須)】より

…現在では湯缶(とうかん)と呼ぶ湯わかしときゅうすとは区別されているが,もともと両者は同じであり,それを〈二物のごとくもてはやす俗習〉が生じたのは30~40年このかたのことだと,尾張藩の儒者深田精一はその著《煎茶訣(せんちやけつ)》(1849成立)に述べている。煎茶道の祖とされる売茶翁高遊外は中国製のものを愛用し,清水六兵衛がそれを模したものは世上売茶(翁)形と呼んで珍重された。これは手と注ぎ口が直角についているもので,煎茶器に多くの名品をのこした青木木米のきゅうすもこの形が多い。…

【煎茶道】より

…後水尾天皇の第六皇子でのち天台座主にもなった尭恕(ぎようじよ)法親王(1640‐95)は〈歌と茶湯は大のきらいにて〉〈一生薄茶もまいらせず,煎茶のみなり〉(《槐記》)という興味深い姿勢を貫いている。
[煎茶道の提唱]
 日本の煎茶道の始祖には,売茶翁(ばいさおう)の名で親しまれている柴山元昭(のち高遊外(こうゆうがい)と称した。1675‐1763)が一般に考えられている。…

※「売茶翁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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