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煎茶道 せんちゃどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

煎茶道
せんちゃどう

煎茶を主材料とする茶道で,江戸時代中期,高遊外から始る。茶園主の永谷宗七郎 (1681~1777) が「青製茶」 (青茶ともいう。日本風の煎茶) を案出したのは元文3 (38) 年で,遊外は寛保2 (42) 年に永谷と会い,その青製茶を用いて売茶活動を始めた。それには陸羽の『茶経』によるところが多く,以来,煎茶が文人たちに流行。茶舗主の山本徳翁が天保6 (1835) 年に「玉の露 (玉露) 」を創製してから,それも用いるようになった。文人系の煎茶趣味は田能村竹田青木木米頼山陽などを中心として最盛期に達し,その後は宗匠系の煎茶に移った。田中鶴翁 (花月庵流) ,小川可進 (可進流) ,売茶東牛 (売茶流) などが出て,現在では 100流近くに及んでいる。

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世界大百科事典 第2版の解説

せんちゃどう【煎茶道】

煎茶とは茶葉を湯で煎じて飲むこと,抹茶(挽茶(ひきちや))以外の日常に飲む茶あるいはその茶葉を総称する場合もある。茶の湯(茶道)に対して,煎茶の煎法,手前,作法を煎茶道という。
【歴史】

[日本人と喫茶]
 〈煎茶〉の文字の,日本における文献上の初見は《日本後紀》の815年(弘仁6)に嵯峨天皇が,近江国唐崎に行幸し,その帰路梵釈寺に立ち寄ったときの記録である。〈大僧都永忠,手自煎茶奉御(手自ら茶を煎じ奉御)……〉と記されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

煎茶道
せんちゃどう

喫茶法の一つ。中国明(みん)代の文人趣味に始まり、江戸初期に日本に伝えられて、文人墨客の間に広まり、売茶翁(ばいさおう)(1675―1763)の出現によって一つの方向を示され、いわゆる煎茶文化を形成し、しだいに一般にも広まり、茶の湯とともに茶道文化として現代まで受け継がれてきたものである。[森本信光]

喫茶法の変化

喫茶法はその製法とともに、長い歴史の間に変化している。中国の宋(そう)代には、茶の葉を粉にして湯に溶いて飲む抹茶法が中心であり、明代には、茶葉を煎じて汁だけを飲む煎茶法が中心となっていた。栄西(えいさい)が伝えたのは宋代の抹茶法で、のちに茶の湯を生み、茶道文化を形成した。明代の文人たちは、香り高い煎茶を味わいつつ詩文を語り、学問を語り、文房具などの美術工芸品を賞し、ときには絵筆を持つという風雅の世界を形成していた。これを文人趣味、煎茶趣味とよぶ。この趣味が、新しい喫茶法である煎茶法とともに日本に伝えられ、文人たちの間に流行したのであるが、単なる新しい喫茶法というだけでなく、中国の文人たちの愛した趣味の世界として、新しい文化として受け入れたのである。また、文人たちは、当時の教養として茶の湯を学び修得していたと思われるが、その形式至上に偏りがちな世界に比べ、比較的自由な世界である煎茶趣味に興味を移したようでもある。[森本信光]

煎茶趣味の伝来

この煎茶趣味の伝来について、いつ、だれがという明確なことはわからないが、江戸初期に伝えられたことは間違いないと思われる。江戸初期、中国文化の移入に大きな影響を及ぼしたのは、黄檗(おうばく)僧の渡来であり、煎茶趣味の伝来とも浅からぬ関係にあると思われる。明末の高僧隠元(いんげん)が、日本からの招きに応じて1654年(承応3)来朝し、朝廷、幕府の尊信を受け、京都宇治に黄檗山万福寺(まんぷくじ)を建立して禅の高揚に尽くした。隠元は多くの門人、文化人を伴っての来朝であり、その後も中国との往来が許されていたことから、文化の移入にも大きな役割を果たし、その文化は黄檗文化として江戸文化に大きく影響した。黄檗文化と煎茶趣味は中国的趣味のうえからも深い関係にあり、現在に至っても黄檗山と煎茶は密接な関係にある。[森本信光]

煎茶道の隆盛

煎茶の世界に一つの方向づけをした売茶翁は、黄檗宗の僧で、僧名を月海元昭(げんしょう)という。九州佐賀の人で、晩年京都に出て売茶を業とし、高遊外と称して茶三昧(ざんまい)の世界に入った。その豊かな教養と人格は世の文人墨客たちの慕うところとなり、のちに煎茶道の成立をみたとき、その精神的中心として崇(あが)められるようになった。売茶翁の出現によって一つの方向を示された煎茶の世界は、文人たちを中心に発展し、江戸末期から明治にかけては茶道文化の中心となり、美術工芸の世界にも大きな影響を及ぼし、明治から大正、昭和とやや衰微したものの着実に受け継がれた。昭和初期の復興の動きは第二次世界大戦で中断されたが、戦後は煎茶道として着実な発展を続けている。[森本信光]

製茶法の変化

煎茶の歴史のなかで、茶そのものが変化していることを知らねばならない。伝来当初の茶の品質はあまり高いものとはいえないものであったが、宇治田原の永谷宗円(ながたにそうえん)(1681―1778)が、茶の葉を蒸して揉捻(じゅうねん)しつつ乾燥する煎茶を発明したことから、茶そのものが大きく変わり、煎茶趣味の普及とともに、日本人の喫茶の風習の普及にも大きな影響を及ぼしたのである。江戸時代末期に玉露が生まれると、その味と香りは高く評価され、煎茶の世界の中心となり、喫茶の手法にも大きな変化がみられる。高温の湯を用いる煎茶に対して、低温の湯を用いる玉露の手法が生まれたのである。今日、煎茶道といわれるが、そこで用いられるのは、煎茶よりも玉露が中心となっている。[森本信光]

煎茶を伝えた人々

煎茶の歴史に登場する人物としては、売茶翁の時代以後の文人たちということになる。売茶翁とも親交のあった人としては、『茶経詳説(ちゃきょうしょうせつ)』の著者で相国寺の大典(だいてん)、黄檗僧聞中(もんちゅう)、南画家池大雅(いけのたいが)がいる。初の煎茶書というべき『青湾茶話(せいわんさわ)』(後の煎茶仕用集)を著した大枝流芳(おおえだりゅうほう)もいる。その後、『雨月物語』で知られる上田秋成(あきなり)、村瀬栲亭(こうてい)、木村蒹葭堂(けんかどう)などが知られる。秋成は『清風瑣言(せいふうさげん)』を世に出し、煎茶の流行に多大の影響を及ぼしている。田能村竹田(たのむらちくでん)、頼山陽(らいさんよう)、青木木米(もくべい)、八橋(やつはし)売茶翁、東牛(とうぎゅう)売茶、深田百信(ひゃくしん)、山本竹雲(ちくうん)、田能村直入(ちょくにゅう)、富岡鉄斎など煎茶人として知られる人は多く、江戸中期以後の文人たちのほとんどが煎茶の世界の人といってもよい。[森本信光]

形式礼法

文人たちの育てた煎茶の世界では、一定の形式礼法にとらわれることはなかったが、一般への普及に伴い、自然発生的に形式礼法も生まれ、一方では宗匠派とよばれる煎茶家によって、茶の湯の影響を受けつつ形式礼法が生み出されるようになった。しかし、文人たちの世界であり、形式至上の世界でなく、あくまでも自由な表現が許される世界ではあった。形式的には茶の湯の影響を受けたために、現在、外見的には類似の部分も少なくはないが、茶道文化としての中心は売茶翁の精神的世界であり、文人たちの残した風雅の世界であって、おのずから異質のものといえる。[森本信光]
流儀
形式の生まれたことから、流儀が生まれることとなる。江戸末期には宗匠派とよばれる煎茶家によって流儀が生まれるが、煎茶の世界は文人を中心とした世界であった。明治に入っても文人中心であったが、やがて文人たちの間にもグループが生まれ、流儀を生み出すことになる。流儀としての活動は、大正、昭和に入って盛んになったようである。現在多数の流派が活動しているが、1956年(昭和31)に全国の有力流派が参加して全日本煎茶道連盟が結成され、66年に社団法人となり、唯一の全国組織として活動しており、現在38流が加盟、京都宇治の黄檗山万福寺に本部がある。[森本信光]
茶室
煎茶道では、一定の茶室という形式はなく、室内、屋外に自由に席が開かれる。茶会の規模にもよるが、茶席以外に展観席などが設けられることがあり、書画、文房具、茶具などの展観が行われることもある。茶席の床を飾るのは、明清(みんしん)の書画、日本の文人の書画、黄檗の書画などが中心となる。席飾りとして、器物、果物などを一定の雅題にあわせて組み合わせる盛物(もりもの)飾りも行われる。大茶会などは別として、普通には5人の客とし、5人分が出されることになる。2回または3回供されるのが普通である。主人と客の作法については、形式的な部分は少ない。[森本信光]
道具
煎茶の道具は、伝来当初は中国からの輸入品によったが、しだいに国内でもつくられるようになり、用いられる茶葉の変化によっても茶具の変化がみられる。中国趣味でもある煎茶の世界で、いわゆる唐物(からもの)が珍重されるが、朱泥の茶銚(ちゃちょう)、茶心壺(ちゃしんこ)、古染付(こそめつけ)の茶碗(ちゃわん)など多くの名品が残されている。国内のものでも、木米(もくべい)、道八(どうはち)など多くの作家によって名品が残されている。煎茶具は、品質が優れているだけでなく、清潔で機能的に優れていることが必要である。
 煎茶道では、玉露、煎茶、番茶などが用いられ、おのおのに適した扱いを修得し、主客ともに楽しむものである。日本の日常の喫茶にも大きな影響を及ぼし、日常でも大いに応用されるべきものである。[森本信光]
『講談社編・刊『図説 煎茶』(1982)』

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世界大百科事典内の煎茶道の言及

【煎茶】より

…近年知られるようになった深蒸し茶の場合は,一般の煎茶よりも長く蒸してあるため,熱い湯でもおいしく飲むことができる。なお,茶道の流派の中には,抹茶ではなく煎茶を用いるものがあり,それらは煎茶または煎茶道と呼ばれている。緑茶【松下 智】。…

※「煎茶道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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