国指定史跡ガイド 「高野山町石」の解説
こうやさんちょういし【高野山町石】
和歌山県伊都郡高野町・かつらぎ町・九度山町に残る道標。高野山町石道は、慈尊院(伊都郡九度山町)から高野山(伊都郡高野町)へ通じる高野山の表参道で、弘法大師空海が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきたが、道標として、1町(約109m)ごとに町石と呼ばれる高さ約3mの五輪卒塔婆(そとば)形の石柱が建てられた。高野山上の根本大塔を起点として慈尊院までの約22kmの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4kmの道中に36基の、合計216基、慈尊院から数えて36町(1里)ごとには、町石の近くに里石(りいし)が合計4基置かれている。町石は、平安時代のころは木製の卒塔婆だったが、風雨に晒されて老朽化したため、鎌倉時代に約20年の歳月をかけて石造に建て替えられ、現在でもその8割以上にあたる150本の石柱が建立当時のまま残る。1977年(昭和52)に国の史跡に指定、1997(平成9)に追加指定され、2004年(平成16)には、高野山とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録された。南海電鉄高野線高野山駅から車で約10分。