高野昌碩(読み)たかの しょうせき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高野昌碩」の解説

高野昌碩 たかの-しょうせき

1760-1802 江戸時代中期-後期武士
宝暦10年生まれ。常陸(ひたち)水戸藩士。立原翠軒師事,「芻蕘(すうじょう)録」「富強六略」を藩に上呈して農政改革,郡(こおり)奉行の任地在勤制などを提案。意見がみとめられ,御目見(おめみえ)格,さらに郡奉行となった。享和2年死去。43歳。名は世竜。字(あざな)は子隠。通称は文助。別号に陸沈

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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