高野本郷村
たかのほんごうむら
[現在地名]津山市高野本郷
村中央を北東から南西に加茂川が流れる。東南条郡に属し、西は高野山西村、東は勝北郡河面村。天正一〇年(一五八二)三月日、羽柴秀吉は高野村に対し三ヵ条の禁制(美作古簡集)を出している。その宛名人は牧佐介である。慶長一一年(一六〇六)高野村三郎兵衛と同おし入彦兵衛の間で出入があり、同九年から一一年の年貢の取扱について裁許がおりている(「高野村三郎兵衛等出入裁許状」牧文書)。元禄一一年(一六九八)以後も津山藩領。寛文年中(一六六一―七三)に本村と北村・西村に分村したといわれるが、郷帳類では一村のままである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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