高野谷地村
こうやがちむら
[現在地名]矢祭町宝坂
宝坂村の東、川上川支流湯川の上流にあたるコブ川流域の山間地に立地。寛永六年(一六二九)内川村民が棚倉藩に願出て開いた新田村で、初め高野新田村といったが、のち改称。寛文一二年(一六七二)検地帳を焼失したため、翌年に宝坂村の枝郷となった。寛政二年(一七九〇)組分けし再び独自の村役を立て、同一二年に年貢の割付けも独自に行われることになった(「引替済口証文」鈴木家文書)。領内では独立村扱いであったが、公的には以降も宝坂村に含まれている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 