百科事典マイペディア 「棚倉藩」の意味・わかりやすい解説
棚倉藩【たなぐらはん】
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陸奥(むつ)国白川郡棚倉(福島県東白川郡棚倉町)周辺を領有した藩。戦国期から常陸(ひたち)佐竹氏の支配下にあったが、1602年(慶長7)幕領となり、03年立花宗茂(たちばなむねしげ)が入部して当藩は成立する。1622年(元和8)丹羽長重(にわながしげ)が常陸国(茨城県)古渡(ふっと)から5万石で就封、24年(寛永1)長重は亀ヶ城(近津(ちかつ)城、棚倉城)を築き、上方(かみがた)商人を招いて城下町を整備し、土豪層を郷士、検断、庄屋(しょうや)などにして棚倉城下および郷村支配を確立した。1627年長重の白河移封に伴い内藤信照が入部し5万石を領した。1629年6月紫衣(しえ)事件に連座した玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)が棚倉に配された。内藤氏は1647年(正保4)領内総検地を実施し、また3代弌信(かずのぶ)は藩財政の窮乏を立て直すため、京の浪人松波勘十郎(まつなみかんじゅうろう)を登用して藩政改革を行わせた。1705年(宝永2)内藤氏にかわって太田資晴(すけはる)が入部、その後、松平(越智(おち))、小笠原(おがさわら)、井上、松平(松井)、阿部と領主の交替はめまぐるしかった。1868年(明治1)戊辰(ぼしん)戦争では、阿部正静(まさきよ)は奥羽列藩同盟に参加し、白河口において西軍と激戦を交え、棚倉城も西軍の攻撃で落城した。68年12月阿部正功(まさこと)が相続、廃藩置県によって棚倉藩は消滅し、棚倉県が置かれ、平(たいら)県、磐前(いわさき)県を経て76年福島県に編入された。
[誉田 宏]
『『棚倉町史』全3巻(1976~82・棚倉町)』
江戸時代,陸奥国白川郡(福島県)に置かれた藩。初期は外様大名が配置されたが,その後は譜代大名が封ぜられた。戦国時代は,常陸の佐竹氏の領域で,赤舘に出城が設けられていたが,関ヶ原の戦後,一時幕領となる。1603年(慶長8)立花宗茂が2万5000石で入封し藩をおこした。22年(元和8)丹羽長重が入封し,赤舘に代わって棚倉城を築城したが建設途上で転封され,27年(寛永4)磐城平藩主内藤氏の一族内藤信照が5万石で入封して,本格的な藩体制確立の諸政策を打ち出した。しかし1705年(宝永2)弌信(かずのぶ)が駿河田中へ移封された後は,幕末まで太田氏,松平氏,小笠原氏,井上氏,松平氏,阿部氏と,しばしば藩主が交替した。彼らの多くは左遷的な転封であったので,目だった政策を打ち出せないまままた転封させられ,藩政は停滞した。1866年(慶応2)隣の白河藩より10万石で阿部氏が入封したが,戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わって反新政府側についたので,攻撃され落城した。この間阿部氏は北の伊達郡保原陣屋に移り,降伏して帰城後は6万石に減封されて廃藩置県に至った。
執筆者:青木 美智男
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