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棚倉藩 たなくらはん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

棚倉藩
たなくらはん

江戸時代,陸奥国白川郡棚倉地方 (福島県) を領有した藩。立花氏1万石 (のち3万石) 以後,丹羽氏5万石,内藤氏5万石,太田氏5万石,松平 (越智) 氏5万 4000石,小笠原氏6万石,井上氏6万石,松平 (松井) 氏7万 3000石 (のち9万 3000石) ,戸田氏7万石,阿部氏 10万石と交代が激しかった。

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百科事典マイペディアの解説

棚倉藩【たなぐらはん】

陸奥国白川郡棚倉(現福島県棚倉町)を城地とした藩。1603年立花宗茂が入封して成立。宗茂は1620年筑後国柳川(やながわ)に転じるまで屋敷に住して築城せず,城は中世以来の赤館(あかだち)を用いた。

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

たなぐらはん【棚倉藩】

江戸時代陸奥(むつ)国白川郡棚倉(現、福島県棚倉町)に藩庁をおき、初め外様(とざま)藩、のち譜代(ふだい)藩、一時親藩(しんぱん)。藩校は修道館。1603年(慶長(けいちょう)8)に立花宗茂(たちばなむねしげ)が1万石で入封(にゅうほう)、立藩した。22年(元和(げんな)8)には丹羽長重(にわながしげ)が常陸(ひたち)国古渡(ふっと)藩から5万石で入封したが、棚倉城の築城途中に転封(てんぽう)(国替(くにがえ))され、譜代の内藤信照(のぶてる)が入封した。内藤氏は本格的な藩体制確立の諸政策を導入した。1705年(宝永(ほうえい)2)、内藤氏に代わって太田資晴(すけはる)が入封、その後、幕末までに、松平(越智(おち))氏、小笠原氏、井上氏、松平(松井)氏、阿部氏と、藩主がめまぐるしく交替した。最後の阿部氏は1866年(慶応2)に隣の白河藩から10万石で入封、戊辰(ぼしん)戦争では奥羽越(おううえつ)列藩同盟に加わって新政府軍と戦ったが、棚倉城は落城、6万石に減封された。71年(明治4)の廃藩置県により棚倉県が成立、その後、平(たいら)県、磐前(いわさき)県を経て、76年福島県に編入された。

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世界大百科事典 第2版の解説

たなぐらはん【棚倉藩】

江戸時代,陸奥国白川郡(福島県)に置かれた藩。初期は外様大名が配置されたが,その後は譜代大名が封ぜられた。戦国時代は,常陸の佐竹氏の領域で,赤舘に出城が設けられていたが,関ヶ原の戦後,一時幕領となる。1603年(慶長8)立花宗茂が2万5000石で入封し藩をおこした。22年(元和8)丹羽長重が入封し,赤舘に代わって棚倉城を築城したが建設途上で転封され,27年(寛永4)磐城平藩主内藤氏の一族内藤信照が5万石で入封して,本格的な藩体制確立の諸政策を打ち出した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

棚倉藩
たなぐらはん

陸奥(むつ)国白川郡棚倉(福島県東白川郡棚倉町)周辺を領有した藩。戦国期から常陸(ひたち)佐竹氏の支配下にあったが、1602年(慶長7)幕領となり、03年立花宗茂(たちばなむねしげ)が入部して当藩は成立する。1622年(元和8)丹羽長重(にわながしげ)が常陸国(茨城県)古渡(ふっと)から5万石で就封、24年(寛永1)長重は亀ヶ城(近津(ちかつ)城、棚倉城)を築き、上方(かみがた)商人を招いて城下町を整備し、土豪層を郷士、検断、庄屋(しょうや)などにして棚倉城下および郷村支配を確立した。1627年長重の白河移封に伴い内藤信照が入部し5万石を領した。1629年6月紫衣(しえ)事件に連座した玉室宗珀(ぎょくしつそうはく)が棚倉に配された。内藤氏は1647年(正保4)領内総検地を実施し、また3代弌信(かずのぶ)は藩財政の窮乏を立て直すため、京の浪人松波勘十郎(まつなみかんじゅうろう)を登用して藩政改革を行わせた。1705年(宝永2)内藤氏にかわって太田資晴(すけはる)が入部、その後、松平(越智(おち))、小笠原(おがさわら)、井上、松平(松井)、阿部と領主の交替はめまぐるしかった。1868年(明治1)戊辰(ぼしん)戦争では、阿部正静(まさきよ)は奥羽列藩同盟に参加し、白河口において西軍と激戦を交え、棚倉城も西軍の攻撃で落城した。68年12月阿部正功(まさこと)が相続、廃藩置県によって棚倉藩は消滅し、棚倉県が置かれ、平(たいら)県、磐前(いわさき)県を経て76年福島県に編入された。[誉田 宏]
『『棚倉町史』全3巻(1976~82・棚倉町)』

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