高隈郷(読み)たかくまごう

日本歴史地名大系 「高隈郷」の解説

高隈郷
たかくまごう

南東流する串良くしら川上流部から笠野原かさのはら北端にかけて位置し、北は百引もびき(現輝北町)、南は鹿屋郷串良郷、西は垂水たるみず郷。高熊とも記された。鹿児島藩の外城の一つで、明暦二年(一六五六)串良郷から分れて成立したとされる(三国名勝図会)諸郷地頭系図には、明暦四年から寛文四年(一六六四)地頭として仁礼頼定の名がみえる。当地は近世初頭には串良郷に属する高隈村一村にあたるが(寛文四年郡村高辻帳)、遅くとも正徳三年(一七一三)頃までには上高隈村・下高隈村の二村に分れた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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