日本歴史地名大系 「串良郷」の解説
串良郷
くしらごう
肝属郡北部に位置した外城中央を串良川が南東流し、南の同郡
肝付氏降伏後天正五、六年(一五七七、七八)から串良は島津図書頭忠長領となり(「島津忠長譜」旧記雑録)、同一五年島津氏が豊臣秀吉に降伏したのちは伊集院幸侃(忠棟)領(天正一九年九月二一日「伊集院忠恒証状」同書など)。その後細川幽斎知行分を経て(文禄四年六月二九日「豊臣秀吉朱印知行方目録」島津家文書)、慶長四年(一五九九)島津氏の支配に復した。同年三月五日には島津忠長に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報