日本歴史地名大系 「鬼丸小路」の解説 鬼丸小路おにまるくうじ 佐賀県:佐賀市佐賀城下鬼丸小路[現在地名]佐賀市鬼丸町(おにまるちよう)承応三年(一六五四)の佐賀城廻之絵図によると、鬼丸小路には小城(おぎ)藩士や蓮池(はすのいけ)藩士の屋敷が多かった。これは佐賀藩内での支藩の独立性が弱かったことを意味し、これら支藩の家臣が本藩の目付・境目方・勝手方などにも任ぜられている。しかしその後、小城は元禄年間(一六八八―一七〇四)、蓮池は延宝年間(一六七三―八一)から家臣がそれぞれの支藩の領内に移り始め、とくに享保一七年(一七三二)の大飢饉によって生活が苦しくなると、本藩ではこれら陪臣のそれぞれの領地への居住を公認した(明治二十七年談話筆記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報