鬼丸小路(読み)おにまるくうじ

日本歴史地名大系 「鬼丸小路」の解説

鬼丸小路
おにまるくうじ

[現在地名]佐賀市鬼丸町おにまるちよう

承応三年(一六五四)の佐賀城廻之絵図によると、鬼丸小路には小城おぎ藩士蓮池はすのいけ藩士の屋敷が多かった。これは佐賀藩内での支藩の独立性が弱かったことを意味し、これら支藩の家臣が本藩の目付・境目方・勝手方などにも任ぜられている。しかしその後、小城は元禄年間(一六八八―一七〇四)蓮池は延宝年間(一六七三―八一)から家臣がそれぞれの支藩の領内に移り始め、とくに享保一七年(一七三二)の大飢饉によって生活が苦しくなると、本藩ではこれら陪臣のそれぞれの領地への居住を公認した(明治二十七年談話筆記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む