鬼身城跡(読み)きのみじようあと

日本歴史地名大系 「鬼身城跡」の解説

鬼身城跡
きのみじようあと

[現在地名]総社市山田

鬼身山の山頂にあり、西側を近世には玉島たましま(現倉敷市)に至る往来が通り、備中北部から南部に至る交通の要衝を押える位置にあった。天正三年(一五七五)一月、三村元親を攻める毛利氏によって落城する。同月二四日の穂田元清書状(厳島野坂文書)では柵守氏に対し「即時落去」を命じている。落城後は毛利氏の属城となり、宍戸氏が居城した(「宍戸氏略系図」萩藩閥閲録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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