日本歴史地名大系 「鮫河橋谷町」の解説 鮫河橋谷町さめがはしたにまち 東京都:新宿区旧四谷区地区鮫河橋谷町[現在地名]新宿区若葉(わかば)二―三丁目・南元町(みなみもとまち)四谷東福院(よつやとうふくいん)門前・同愛染院(あいぜんいん)門前の前を経て、折れ曲りながら南に下って鮫河橋坂に出る通りの西側を占める拝領町屋敷。南方に離れて飛地(現南元町)がある。東は持組大縄地・西念(さいねん)寺、同寺の門前町屋、真成(しんじよう)院など、西は栄林(えいりん)寺・文殊(もんじゆ)院、戒行(かいぎよう)院、同院の門前町屋、清岩(せいがん)院などで、周囲には寺院が多い。南は元鮫河橋表(もとさめがはしおもて)町、北は元鮫河橋北町の飛地。また当町飛地の東は元鮫河橋仲(もとさめがはしなか)町、西は寄合永井氏の屋敷、北は元鮫河橋表町であった。町内間数は南北間口二四六間余(裏幅二一二間余)、東西奥行は南の方で二二間余、北の方で二五間余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報