鳥屋ヶ森城跡(読み)とやがもりじようあと

日本歴史地名大系 「鳥屋ヶ森城跡」の解説

鳥屋ヶ森城跡
とやがもりじようあと

[現在地名]広見町生田

大宿おおじゆく川中流左岸、清水せいずい生田いくたの間にある高さ約一〇〇メートルの丘陵上の山城跡。川原淵かわらぶち組の川後森かごのもり城主渡辺教忠の家臣芝氏の居城であった。

「宇和旧記」には「鳥屋が森城、此城主は芝美作守嫡子四郎衛門被居之由」とあり、「伊予二名集」には「鳥屋森城、河原淵持、西川美作守政輔、嫡子四郎左衛門瑞胤」とある。また「清良記当時聞書追攷」には「西ノ川城、鳥屋森両城、芝美作守常氏子息四郎右衛門尉」とあるが、「宇和旧記」所載の天正八年(一五八〇)の三島大明神上棟棟札には「右檀那予州宇和庄黒土郷、美作守源政輔、四郎右衛門尉源瑞熙」とあり、芝姓が正しく、父は美作守政輔、その子は四郎右衛門瑞熙とするのが正しいと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む