日本歴史地名大系 「鳥屋ヶ森城跡」の解説
鳥屋ヶ森城跡
とやがもりじようあと
[現在地名]広見町生田
「宇和旧記」には「鳥屋が森城、此城主は芝美作守嫡子四郎衛門被居之由」とあり、「伊予二名集」には「鳥屋森城、河原淵持、西川美作守政輔、嫡子四郎左衛門瑞胤」とある。また「清良記当時聞書追攷」には「西ノ川城、鳥屋森両城、芝美作守常氏子息四郎右衛門尉」とあるが、「宇和旧記」所載の天正八年(一五八〇)の三島大明神上棟棟札には「右檀那予州宇和庄黒土郷、美作守源政輔、四郎右衛門尉源瑞熙」とあり、芝姓が正しく、父は美作守政輔、その子は四郎右衛門瑞熙とするのが正しいと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報