鳥屋ヶ森館跡(読み)とやがもりたてあと

日本歴史地名大系 「鳥屋ヶ森館跡」の解説

鳥屋ヶ森館跡
とやがもりたてあと

[現在地名]朝日町新宿

朝日町の中央部、白鷹しらたか山地の北西端、標高四〇〇メートルの通称たて山に築かれた単郭式の山城で、山頂平坦部が本丸跡とされる。岸氏の家老職であった柴田七郎兵衛家の系図(柴田文書)によると、明応三年(一四九四)鳥屋ヶ森に来住した岸民部義忠は木曾義仲一五代の末裔で、柴田氏二一代兼頼を頼って関東より移住したという。二代岸美作守義満のとき永禄八年(一五六五)最上義光に攻め滅ぼされたとされる。宮宿福昌みやじゆくふくしよう寺の過去帳にも「福昌寺開基、朝日将軍木曾源義仲後胤岸美作守源朝臣義満、光輪院殿天香玉桂大居士、永禄八年乙丑歳八月十五日」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む