鳥木村(読み)とりぎむら

日本歴史地名大系 「鳥木村」の解説

鳥木村
とりぎむら

[現在地名]安来市鳥木町

大塚おおつか村の西に位置し、村域は吉田よしだ川沿いに南北に狭長である。御立山おたてやまに御立山古墳群があって二群八基からなり、すべて木棺直葬形式である。また吉田川に臨む丘陵低地に鳥木横穴墓があり、家形石棺を置き冑などの副葬品出土している。このほか十善じゆうぜん遺跡がある。正保国絵図に村名がみえ、元禄十年出雲国郷帳によると、高三二四石余、うち永荒が六一石余あり残高二六二石余、寛文四年(一六六四)には本田高三二三石余・新田高五斗余。「雲陽大数録」では高二六〇石。天明二年(一七八二)、同三年と凶作が続き、年貢減免の嘆願書(古曳家文書)に「鳥木村上納米弐百八拾八石九升九合のところ半分も上納不能と相成り候、(中略)度々の歎願により八拾九石六升五合三勺に減免下され候、収穀事に上納せ志為、百姓皆々難儀致志、病死する者あり、天明四年松平公より、百姓救済の御下命あり」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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