鳥潟恒吉(読み)トリガタ ツネキチ

20世紀日本人名事典 「鳥潟恒吉」の解説

鳥潟 恒吉
トリガタ ツネキチ

明治・大正期の医師 大分県立病院長医学校長。



生年
安政2年12月(1856年)

没年
大正3(1914)年10月19日

出生地
出羽花岡(秋田県大館市)

学歴〔年〕
東京医学校〔明治11年〕卒

経歴
秋田藩士の家に生まれる。明治2年に東京医学校に入学し、11年に卒業。12年大分県立病院に迎えられ、その院長として最新式の医療に従事した。また、同院に併設された医学校の校長も兼任し、多くの医師を育てるなど、大分県における医療の近代化に大きく貢献した。20年に経営難で同院が閉鎖したのち、31年別府市に近代的設備を誇る朝見病院を開き、次いで看護婦養成所も設立した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥潟恒吉」の解説

鳥潟恒吉 とりがた-つねきち

1856*-1914 明治-大正時代の医師。
安政2年12月生まれ。明治13年大分県立病院と付設の医学校が創立された際,初代院長兼校長となる。大分県医療の近代化で中心的役割をはたした。31年別府に朝見病院を創設。大正3年10月19日死去。60歳。出羽(でわ)花岡(秋田県)出身。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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