鳥飼下村(読み)とりかいしもむら

日本歴史地名大系 「鳥飼下村」の解説

鳥飼下村
とりかいしもむら

[現在地名]五色町鳥飼浦とりかいうら

鳥飼中村南東から西にかけてあり、西流してきた鳥飼川河口部両岸にあたる。西は海(播磨灘)に面し、北西岸に船瀬ふなせ浜、南西海岸に五色浜がある。北所きたじよ浜条はまじよ奥条おくじよの三傍示がある。鳥飼下村吉田弥次右衛門系図記(吉田家文書)によると池田忠雄領の時、人の風説では検地が行われると聞き、鳥飼川の川北が傍示切れになって新しい村ができるものと予想した兵衛太夫(斎藤氏)は、川北の字中瀬なかせに隠居し将来庄屋になるべく備えたが、慶長一六年(一六一一)の検地で字中瀬は鳥飼下村のうちとなり、分村しなかったと伝えている。寛永四年(一六二七)検地帳(米田家所蔵文書)によれば、反別六三町八反余・高七二五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む