斎藤実盛(読み)サイトウサネモリ

デジタル大辞泉 「斎藤実盛」の意味・読み・例文・類語

さいとう‐さねもり【斎藤実盛】

[?~1183]平安末期の武将越前の人。保元の乱平治の乱には源義朝に従って戦功があったが、義朝の戦死後は平宗盛維盛に仕えた。のち、北陸源義仲と戦って戦死。その際、老年を隠すために白髪を黒く染めて出陣したという。

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精選版 日本国語大辞典 「斎藤実盛」の意味・読み・例文・類語

さいとう‐さねもり【斎藤実盛】

  1. 平安末期の武将。別当と称した。家は代々越前国に住み、実盛に至って武蔵国長井に移る。初め源為義・義朝に、のち平宗盛に仕える。寿永二年(一一八三平維盛が北陸に源義仲を攻めたときこれに従い、加賀篠原討死した。謡曲浄瑠璃歌舞伎などにとりあげられている。大治四~寿永二年(一一二九‐八三

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改訂新版 世界大百科事典 「斎藤実盛」の意味・わかりやすい解説

斎藤実盛 (さいとうさねもり)
生没年:?-1183(寿永2)

平安末期の武士。越前の住人でのち武蔵国長井に移り,長井斎藤別当と称した。源氏の家人として為義に仕え,保元平治の乱では義朝軍に加わった。のち平家に属し,富士川の戦(1180)では東国の案内者として平氏軍に加わって東下したといわれる。1183年源義仲追討のため北陸に下ったが,加賀篠原で手塚光盛に討たれた。享年50余歳とも60余歳とも,また70余歳ともいう。
執筆者:

加賀国篠原の合戦に死を覚悟した実盛が,故郷に錦を飾るべく大将維盛の許可をえて大将にふさわしい赤地の錦の直垂(ひたたれ)を着用し,老齢をかくすため白髪を黒く染めて奮戦した話は最も有名。《平家物語》等によれば義仲は幼児のとき実盛の情けで死を免れたので,首を一目見て実盛と知ったが,白髪のはずが黒髪なので不審に思い,首を洗わせてみると白髪になった。老武者とあなどられぬための武人のたしなみとわかり,源氏方の武将はみな深い感銘を受けたという。また《満済准后日記》応永21年(1414)5月11日条に実盛の霊が加賀篠原に出現し,時宗の遊行上人が十念を授けてとむらった記事があり,当時こうした伝説類が流布していたらしい。謡曲《実盛》は遊行上人が篠原で実盛の霊をとむらうという内容で,世間に流布していた伝説類にもとづいて脚色されている。また農村では実盛は稲の株につまずいて倒れたのが原因で敵に討たれたため,その恨みによりイナゴなどの害虫となって稲を食い荒らすと信じられ,実盛の霊を供養して害虫を退散させる虫送りの行事が長らく行われてきた。そのほか実盛に関する伝説や説話は,江戸時代の浄瑠璃《源平布引滝》や歌舞伎《源家八代恵剛者(げんけはちだいめぐみのつわもの)》などに多くの素材を与えている。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「斎藤実盛」の意味・わかりやすい解説

斎藤実盛
さいとうさねもり
(?―1183)

平安末期の武士。藤原利仁(としひと)の子孫。父は実遠(さねとお)または実直(さねなお)。出身は越前(えちぜん)(福井県)であるが、武蔵(むさし)国播羅(はら)郡長井(埼玉県熊谷(くまがや)市)に移った。1155年(久寿2)源義賢(よしかた)(為義(ためよし)の子)が源義平(よしひら)(義朝(よしとも)の子)に討たれた際は、幼い義賢の遺児義仲(よしなか)を助け、信濃(しなの)の豪族中原兼遠(かねとお)に託した。初め源為義・義朝に仕え、保元(ほうげん)・平治(へいじ)の乱では義朝に従ったが、平治の乱で義朝が敗れ、東国に逃れる途中で別れた。その後は平氏に従い、80年(治承4)源頼朝(よりとも)が兵をあげると、石橋山でこれと戦い、ついで平維盛(これもり)に属して富士川に出陣した。83年(寿永2)にも維盛に従って北陸に出陣し、義仲と戦ったが、加賀(かが)の篠原(しのはら)の戦いで手塚光盛(みつもり)に討たれた。その際、老年を隠すため、鬢髪(びんぱつ)を黒く染めて出陣したという。

[上横手雅敬]

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朝日日本歴史人物事典 「斎藤実盛」の解説

斎藤実盛

没年:寿永2.5.21(1183.6.12)
生年:生年不詳
平安末期の武士。大治1(1126)年生まれか。斎藤実直の子で祖父実遠の猶子。越前国に生まれ,武蔵国長井に移り住む。源義朝に仕えて長井斎藤別当と称し,保元の乱(1156),平治の乱(1159)に参加。のち平家に仕える。治承4(1180)年10月富士川の合戦では鎌倉武士の勇敢さを述べて平家の士気を阻喪させる。寿永2(1183)年源義仲追討のために北国に発向し,加賀篠原で討死。老武者と侮られぬために白髪を黒く染め,また,故郷に錦を飾る故事を踏まえた逸話が『平家物語』に載る。『満済准后日記』には応永21(1414)年に篠原で実盛の亡霊が出現したとの記事があり,種々の伝承が流布したようである。稲の株につまずいて討たれた恨みから害虫となり,稲を食い荒らすという伝承は,農村の年中行事(虫送り)と結びつけられている。

(櫻井陽子)

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百科事典マイペディア 「斎藤実盛」の意味・わかりやすい解説

斎藤実盛【さいとうさねもり】

平安末期の武士。代々越前(えちぜん)に住む。のち武蔵(むさし)国長井に移り,源為義・義朝に仕え,保元(ほうげん)の乱に功があった。義朝没後平宗盛に仕え,1183年平維盛(これもり)に従い木曾義仲との北陸の戦いで討死した。この時,平家一門みな敗走するなかを一人とどまって奮戦した話は有名。虫送りに実盛の人形を使うのは,実盛が稲につまずいて討たれ,その怨霊(おんりょう)が稲を食い荒らす害虫になったため,実盛の霊を供養して害虫を除くという俗信による。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「斎藤実盛」の解説

斎藤実盛
さいとうさねもり

?~1183.5.21

平安末期の武士。実直の子。長井斎藤別当と称する。代々越前国を在所としたが,実盛のとき武蔵国長井(現,埼玉県熊谷市)を本拠とする。源義朝の郎従として保元・平治の乱に参加。その後平氏に仕え,1180年(治承4)源頼朝挙兵にあたり,富士川の戦に参加。83年(寿永2)加賀国篠原(現,石川県加賀市)で源義仲軍と戦い,このとき白髪を黒く染めて奮戦し,討死をとげたという。「源平盛衰記」は享年73歳とする。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤実盛」の解説

斎藤実盛 さいとう-さねもり

?-1183 平安時代後期の武将。
はじめ源義朝(よしとも)に属し,保元(ほうげん)・平治(へいじ)の乱で戦功をたてた。のち平宗盛(むねもり)につかえる。武蔵(むさし)長井荘(埼玉県)を所領とし,長井斎藤別当と称した。寿永2年5月21日平維盛(これもり)にしたがい白髪をそめて加賀(石川県)篠原(しのはら)の戦いに出陣,源義仲(よしなか)軍の手塚光盛に討たれた。越前(えちぜん)(福井県)出身。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「斎藤実盛」の意味・わかりやすい解説

斎藤実盛
さいとうさねもり

[生]天永2(1111)
[没]寿永2(1183).6.1. 加賀
平安時代末期の武士。初め源為義,義朝,のち平宗盛に仕え,平維盛軍に従って木曾義仲と戦った。加賀国篠原の戦いでは鬚髪を黒く染めて奮戦したが,安宅 (あたか) で討死にした。『保元物語』では生年が大治1 (1126) 年となる。謡曲に『実盛』がある。

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世界大百科事典(旧版)内の斎藤実盛の言及

【イナゴ(稲子)】より

…これら害虫の発生を予防し,また発生した虫の防除にはこれを悪霊の化したものと考える思想があったため,その霊に形どってわら人形をつくりこれを村境に送って焼き捨てる行事が古く行われ,多く虫送りと呼ばれた。恨みをのんで死んだ人として西国では斎藤(別当)実盛の名がよくあげられるが,これはイナゴを別当と呼んだことから付会されたらしい。後には鯨油が駆除に使用された。…

【源平布引滝】より

…小万は死に,念力通じて白旗は葵御前の手に戻る。平家方は九郎助がかくまう葵御前の懐胎の子を殺そうとして,瀬尾十郎,斎藤実盛を詮議に遣わすが,実盛の情けある計らいで,無事に男子が誕生し,駒王丸と名付けられ,のちに木曾義仲となる。瀬尾は小万の実父と知って,みずから小万の子手塚太郎に討たれ,実盛は手塚に,将来戦場で再会するとき,白髪を染め,若やいで勝負しようと約束して別れる。…

【虫送り】より

…6,7月の夜に行われることが多いが,土用三郎といい土用は3日目と決まっている村もある。わら人形はサネモリ(実盛)と呼ばれ,害虫は斎藤別当実盛(斎藤実盛)の御霊(ごりよう)が化したものという伝承が西日本に広く分布する。〈実盛〉は田の虫を意味するサノムシが転訛したものとも考えられている。…

※「斎藤実盛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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