鳳瑞町(読み)ほうずいちよう

日本歴史地名大系 「鳳瑞町」の解説

鳳瑞町
ほうずいちよう

上京区下長者町通七本松西入

南北に通るしももり通に沿い、北寄りを仁和寺にんなじ街道、ほぼ中央を下長者町しもちようじやまち通が東西に通る。平安京大内裏の「采女司」から「図書寮」、「右近衛府」「武徳殿」の跡地(「拾芥抄」宮城指図)。明治二年(一八六九)二月、随念寺長屋ずいねんじながや西三軒にしさんけん町・双林寺そうりんじ屋敷・宝受寺ほうじゆじ屋敷の四字合して、鳳瑞町とした(京都府地誌)町名は大内裏衰退後、皇室や貴族の領地が分布していたことにちなむという(坊目誌)

仁和寺街道に沿う北部のうち東側を随念寺長屋、西側を西三軒町と称したが、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」は、仁和寺街道筋を「三間町」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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