平安宮の馬場の正殿。《和名抄》によれば〈むまきどの〉と訓ずる。また馬場殿とも記す。818年(弘仁9)以前には馬埒殿(ばらちでん)と称した。殷富門の内側で図書寮の南,造酒司の北に所在する。毎年恒例の端午の節会の5月5,6日の騎射と競馬,それらに用いる馬を貢献する4月28日の駒牽を行った。東を正面とする7間・2間の身舎(もや)に四面廂(ひさし)を付けた南北棟建物で,高御座を設けて儀式の際には天皇が出御する。西側の背後に7間・2間の南北棟の後殿を置き渡殿で結ぶ。武徳殿の東側の広場が馬場で,南北方向の2列の柵による埒(らち)を設け,その中で騎射や競馬を行った。武徳殿から内裏中重までは宮内で最も広い空閑地で,その東部は〈宴(えん)(または縁)の松原〉と称する松林となっていた。975年(天延3)2月武徳殿は焼亡するが,986年(寛和2)5月までに再建された。平城宮では騎射や競馬の行事のための特定の殿舎と馬場は設けられず,南苑や松林苑で行った。
執筆者:今泉 隆雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…初代役員は,総裁小松宮彰仁(あきひと)親王,会長渡辺千秋(京都府知事),副会長壬生基脩(平安神宮宮司)。武徳会は,平安神宮境内に武徳殿を建てること,毎年武徳祭を催すこと,武道の保存・奨励・普及をはかること,武器・用具・史料などを収集すること,会誌の発行などをおもな事業とし,さらに各府県に支部を置いて,府県知事を支部長とした。武徳殿は99年に竣工し,各府県支部も相次いで武徳殿を建てた。…
※「武徳殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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