三間町(読み)みまちよう

日本歴史地名大系 「三間町」の解説

三間町
みまちよう

面積:五六・七二平方キロ

愛媛県の西南部にある農業の町。西は吉田よしだ町、東は広見ひろみ町、南は広見町と宇和島市に接する。三間盆地を貫流する三間川は、四万十しまんと川上流の一つで土佐湾に注ぐ。三間盆地は水田耕作に適し、その産米は良質で「三間米」として有名。近年は酪農・養豚などの多角経営が盛んである。宮野下みやのしたは三間町の中心地で、かつては吉田藩の在町として栄えたが、鉄道開通後は宇和島市の商圏に入った。

明治二二年(一八八九)の町村制施行の際、成妙なるたえ(則・大藤・黒井地・成家・曾根・能寿寺・是房・戸雁)・三間村(宮野下・増田・小沢川・川之内・元宗・増穂・土居中・迫目・務田)二名ふたな(中野中・波岡・田川・金銅・古藤田・大内・土居垣内・兼近・中間・黒川・音地)が生れ(括弧内は旧村)、昭和二九年(一九五四)この三村が合併して三間町となった。


三間町
さんげんちよう

[現在地名]江東区森下もりした三丁目

五間ごけん堀に沿った町屋で、起立深川元ふかがわもと町に同じ。深川三間ふかがわさんげん町とも称した。北は森下町、西は肥前唐津藩小笠原家下屋敷、南は深川元町、東は五間堀を挟んで旗本神保家屋敷。文政町方書上によると、江戸時代初期には人家も少なく三軒しかなかったことから町名が付いたという。正徳三年(一七一三)より町奉行代官の両支配。検地は在方・町方とも元禄八年(一六九五)で高八石余・反別七反余。町内間数は田舎間で八七間余、東側の地所南北表間口二一間・裏幅二〇間余、東西は裏行が南方四二間余・北方三五間余、六八五坪。


三間町
さんげんちよう

[現在地名]水戸市ほん町二丁目

備前びぜん堀に沿い、さかな町の南、田中たなか(清水町)の西にある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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