双林寺(読み)そうりんじ

精選版 日本国語大辞典 「双林寺」の意味・読み・例文・類語

そうりん‐じ サウリン‥【双林寺】

京都市東山区鷲尾町にある天台宗の寺。山号は金玉山。延暦二四年(八〇五)唐から帰国した最澄を開山に桓武天皇が創建。沙羅双樹林寺と称し、のち延暦寺の別院となる。鳥羽天皇土御門天皇の帰依厚く、皇女を入寺させて双林寺宮と称した。至徳元年(一三八四)国阿が時宗に改宗し東山道場と称したが、応仁の乱により衰微し、明治維新後天台宗に復した。境内に西行庵・芭蕉堂などがある。

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デジタル大辞泉 「双林寺」の意味・読み・例文・類語

そうりん‐じ〔サウリン‐〕【双林寺】

京都市東山区にある天台宗の寺。山号は金玉山。延暦24年(805)に最澄が唐から将来した経巻・仏具を納めるために桓武天皇が創建。開山は最澄と伝える。延暦寺建立後はその別院。室町時代国阿中興時宗国阿派の本寺となったが、明治初期に天台宗となる。境内に西行庵・芭蕉庵がある。

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日本歴史地名大系 「双林寺」の解説

双林寺
そうりんじ

[現在地名]東山区鷲尾町

円山まるやま公園内にある。高台こうだい寺の北、大谷おおたに祖廟(東大谷)の西に位置する。山号金玉山、天台宗。本尊の木造薬師如来坐像は平安時代の作で、国指定重要文化財。盛時は広大な寺域に多くの塔頭を有したが、現在は本堂一宇のみ。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔開創〕

開基は最澄とされる。延暦二四年(八〇五)唐より帰朝した最澄は天台密教疏五〇〇巻および護摩供の器具を桓武天皇に献じた。天皇は左大史尾張連定鑑に勅してこの地に伽藍を創立し(拾芥抄)、最澄に賜り、将来した経典などを置いたと伝える。この地の形状が唐の沙羅双林寺に似たので霊鷲山沙羅双樹林寺と称し、弘仁一四年(八二三)の比叡山延暦寺建立後はその別院となった。永治年間(一一四一―四二)には鳥羽天皇皇女あや御前が住持し(今鏡)、建久七年(一一九六)には土御門天皇皇子静仁法親王が住持して双林寺宮と称したこともあったが(帝王編年記)、元弘の乱で戦場となり荒廃した。

双林寺
そうりんじ

[現在地名]子持村中郷 西組

中郷なかごう集落の北方にあり、最大山と号し曹洞宗。相模国最乗さいじよう(現神奈川県南足柄市)の末であった。本尊は釈迦如来。宝徳二年(一四五〇)白井しろい城にあった長尾昌賢(景仲・俊叟)が嫡子長尾景信に命じて白井庄内に建立した(「双林寺伝記」など)。長尾氏に招かれた一州正伊(一四一六―八七)は師の月江(光)正文を開山に迎え、自らは長禄三年(一四五九)の出火回禄ののちに中興開山となっている(双林寺聯燈録)。文明一〇年(一四七八)白井領に政治折衝にきた太田資清(道真)がまず当寺に入ったり(「太田道灌状」島原市教育委員会蔵)、天正一一年(一五八三)四月には長尾実景らの葬祭がとり行われるなど(加沢記)、創建以来、白井城主長尾氏の庇護を受けて繁栄した。事実上の開山である一州は、天倫正挺(授)に招かれて小幡憲重所領の南蛇井なんじやい最興さいこう(現富岡市)の開山になるなど、上野国内で曹洞禅の教線拡大につとめ(日本洞上聯燈録)、寛正六年(一四六五)に寺役を隠遁。

双林寺
そうりんじ

[現在地名]築館町 西小山

築館の町並の西にある曹洞宗寺院。通称杉薬師医王山と号し、本尊は阿弥陀如来。天正六年(一五七八)下宮野の能持しもみやのののうじ寺の五世繁松林茂の開山と伝える。もとは伝教大師を開祖とする天台宗で、医導山興福こうふく寺と称し、四八坊を擁したという。なお縁起によれば、脳を患っていた孝謙天皇が占者にその原因を問うと、東奥の地にある大杉の精が病のもとであるという。さっそく派遣すると当山に空高くそびえる大杉があり、これを伐らせたところ平癒したので、その跡に仏宇を建て、のち伝教大師に薬師仏像を刻ませ安置したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「双林寺」の意味・わかりやすい解説

双林寺
そうりんじ

京都市東山区鷲尾(わしお)町にある天台宗の寺。山号は金玉山(きんぎょくさん)。本尊は薬師如来(やくしにょらい)。805年(延暦24)唐より帰った最澄(さいちょう)が、天台密教疏(しょ)500巻と護摩供用仏具を桓武(かんむ)天皇に献じたので、天皇は一伽藍(がらん)を建立してそれを収め、最澄に賜ったと伝える。傅翕(ふきゅう)が創建した中国浙江(せっこう)省の双林寺に似ているので、霊鷲山沙羅双樹林法華三昧無量寿(りょうじゅせんさらそうじゅりんほっけざんまいむりょうじゅ)院と名づけ、略して双林寺とよばれた。かつては支院17をもつ大寺であったが、境内が削られ、現在は大部分が円山(まるやま)公園となっている。西行(さいぎょう)法師(1118―90)は出家後東山に住し、当寺での歌があり、頓阿(とんあ)(1289―1372)も西行を慕って住した。また鹿(しし)ヶ谷(たに)事件で流罪となり出家した平康頼(やすより)は寺内の山荘で『宝物集』を著したといわれる。室町時代には時宗の国阿(こくあ)が念仏道場として復興し、国阿派(双林寺派)の根本道場となった。明治初期に天台宗に復した。門前に西行桜、西行庵(あん)、芭蕉(ばしょう)庵がある。本尊薬師如来坐像(ざぞう)は国の重要文化財。西行、頓阿、平康頼の供養塔円山応挙の碑などがある。

[田村晃祐]

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デジタル大辞泉プラス 「双林寺」の解説

双林寺

宮城県栗原市にある寺院。曹洞宗。山号は医王山。杉薬師とも呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内の双林寺の言及

【築館[町]】より

…東に接する迫町,若柳町との境に迫川の遊水池としての機能をもつ伊豆沼,内沼があり,冬季にはハクチョウ,ガン,カモなどが飛来し,天然記念物に指定されている。平安時代の薬師如来座像(重要文化財)を本尊とする双林寺(杉薬師)がある。【千葉 立也】。…

※「双林寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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