鵜崎村(読み)うのさきむら

日本歴史地名大系 「鵜崎村」の解説

鵜崎村
うのさきむら

[現在地名]伊予市鵜崎、伊予郡砥部とべ鵜の崎うのさき

障子しようじ(八八四・九メートル)の北麓に位置し、東に砥部川支流、西にもり川が流れる水源の村。寛永一二年(一六三五)の替地以来大洲藩領。浮穴うけな郡砥部郷の一村

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)浮穴郡の項に「鵜崎村 茅山有」、高四二石七斗九升一合と記す。元文五年(一七四〇)の「大洲秘録」に村の産物は「米・大豆・薪」とあり、天保二年(一八三一)の戸数三〇戸、人口九四人(宮内家文書)である。氏神は砥部大南おおみなみ村八幡宮、檀寺は上唐川かみからかわ村真言宗真成しんじよう寺。「予州大洲領御替地古今集」の鵜崎村の条に、昔この村の庄屋の家で節分の夜、例年のように鰯の切身に髪の毛を付け焼きくすべ、の割木に挟んで家の四つ角に立て、豆打ちの大豆を煎っているところへ鬼が入って来たので、庄屋は即座に手に持つ杓子でこれを打ち殺した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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