日本歴史地名大系 「鵜森村」の解説 鵜森村うのもりむら 新潟県:加茂市鵜森村[現在地名]加茂市鵜ノ森信濃川左岸沖積地に立地。西は上(かみ)新田(現白根市)、東は砂押(すなおし)新田。慶長三年(一五九八)頃の新発田御領内高付帳(新発田市史資料)に「鵜ノ森村」とあり、二八三石六斗余。同一七年の御蔵納同払方帳(同書)によれば六二石二斗は蔵入地。初め両島組に属したが、次いで小吉組、延宝年間(一六七三―八一)に鵜森組となった。 鵜森村うもりむら 熊本県:飽託郡天明町鵜森村[現在地名]天明町内田(うちだ) 鵜森千間江(せんげんえ)湖の南の水田地帯にあり、東は上内田(かみうちだ)村、南は内田新開(うちだしんかい)村、西は下内田(しもうちだ)村に囲まれる。天文四年(一五三五)の鹿子木親員知行目録(鹿子木文書)に「四町 森」とある。同二四年四月九日「飽田之郡河尻庄内烏森四町」が、志岐燕語斎に給与されている(「菊池高鑑預ケ状」志岐文書)。慶長一二年(一六〇七)の検地帳によると田三四町三反五畝余、うち上田三二町七反九畝余、上畠六町二反九畝余、屋敷一町五反余、分米五〇七石四斗余で、家数三五、男五一・女三二、牛一四とある。 鵜森村うのもりむら 埼玉県:本庄市鵜森村[現在地名]本庄市鵜森など鵜ノ森とも記す。本庄台地末端部から利根川南岸の沖積低地にかけて位置し、村の北端を東流する元小山(もとこやま)川の対岸は傍示堂(ほうじどう)村、東から北は榛沢(はんざわ)郡牧西(もくさい)村、南端を東流する女堀(おんなぼり)川の対岸は東五十子(ひがしいかつこ)村、西は本庄宿。沖積低地の自然堤防上の本郷(ほんごう)と台地上の台(だい)に分散して集落がある。寛永二年(一六二五)一二月、大平角介(俊堅)は徳川氏から当村で一五石余を宛行われた(記録御用所本古文書)。正保二年(一六四五)の本庄町外石高等領知図(中原家蔵)では高三八〇石、家数二五。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by