朝日日本歴史人物事典 「鶴沢探山」の解説
鶴沢探山
生年:明暦1(1655)
江戸中期の画家。名は守見,兼信。京都の人。江戸に出て狩野探幽に入門,探川と号した。元禄(1688~1704)のころ,東山天皇の勅宣により探幽門下中から選ばれて上洛,禁裡御用絵師となり,探山と改号。別に幽泉の号がある。宝永(1704~11)度造営の禁裡,享保10(1725)年ごろ建造の東宮御殿に障壁画を描き,法眼に叙せられ,鶴沢派の祖となった。子の探鯨の代に本姓の鶴沢に復し,以後探索―探春―探泉と続いて,京都における探幽系江戸狩野の一派として活躍した。作品としては「鉄拐・山水図」三幅対(東京国立博物館蔵)がある。
(星野鈴)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報